手打ちそば屋は眠れない

年越しそばから正月営業、毎年ながら、大きな山だった。ふう。

そばを打つというのは、
つくづく体力勝負なのだなあ、
と、年をとるにつれて思うようになってしまった。

そば粉屋さんとも話したのだが、
いったい一人で、
どれだけのそばが1日で打てるものなのだろうか。
聞くところによると、
千人分ぐらいのそばを打つ人がいるのだそうだ。
ほとんど徹夜でね。

私なんぞは、二日をかけて、
500人分も打つのが精一杯。
それでも、一回一回、
息が弾むぐらい、
しっかりと捏ね上げて打っている。

ということで、
みなさんから、年越しそばのご用命をいただき、
ありがとうございます。
どうしても、作る数に限りがあるので、
お受けできなかった方々には、
大変に申し訳ございません。

そうして、休む間も無く、
怒涛の正月営業、成人の日の連休と続いたので、
背中から腰にかけて強張って、
やや、前かがみになって歩くようになってしまった。
ご常連のお客様から
「おや、腰にきているねぇ。」
などと、ご心配をいただいた。
面目ない次第だ。

それでも、寝る前とそば打ち前に、
少し時間をかけてストレッチをしているので、
以前ほどの、強い腰の痛みは感じられなかった。
ここ三年ほど続けている、
腹筋の強化運動も、効果があったのかもしれない。
脊柱管狭窄症の、独特の痺れも、
あまり感じなくなっているのが幸いだ。

何しろ、かんだたは貧乏なのだから、
とても、最新の製麺機は買うことができないのだ。
ドラえもんのような、ネコ型ロボットに、
そばを打ってもらう訳にもいかない。
だから、仕方がなく、手で打ち続けるほかはない。

自分の体と、うまく付き合っていかなければね。
何より、数を打つことより、
もっと、質を上げることを考えよう。

、、、、楽をすることもね。

 

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クリスマスは、どこへ行ったの?

さて、今日はクリスマス。
そば屋には、まったく縁のない日だ。

洋食屋さん(古い!)であれば、
クリスマスパーティなどとうたって、
お客さんを呼ぶことが出来ることだろう。
ケーキ屋さんは書き入れ時にちがいない。
でも、そば屋では、
いくら「クリスマスそば」、
「サンタのトナカイ南蛮そば」なんぞを作ったところで、
お客さんは寄ってこないだろう。

ということで、いつもどおりの静かな営業。

でも、あまり外に出歩かない私でも感じること。
世の中、クリスマスの様子が、
だいぶ変わってきているようだ。

10年ほど前までは、
スーパーなどは、
クリスマスの特別コーナーを作って、
ツリーの飾りやお菓子なぞを売っていた。
ケーキの売り込みが、どこでも盛んだった。
ブティックのウインドウなんぞも、
クリスマス気分を盛り上げるディスプレイがされていた。
昭和の時代には、
赤い帽子をかぶった、
酔っぱらいおじさんたちが、
街を闊歩、いや千鳥足をしていたっけ。

それがねえ、
最近は、とても静かに感じる。

やはり、
信仰の裏打ちのないお祭り騒ぎ。
堅実な時代には、
それなりの規模となったのだろうか。

それに引き替え、
おせち料理の売り込みの激しいこと。
世間の価値観が、
そちらに移っていったのだろうか。

そば屋にとって、
一番の山場になるのが、
大晦日に召し上がっていただく「年越しそば」。
こちらの方は、
時代の影響を受けずに、
相変わらずのご贔屓をいただいている。
ありがたいことだ。

今はその準備に追われている。
そして、それに続く正月営業のためにも、
体力を蓄えなくては。

クリスマスなんて、
私には縁のないお祭りだと、
そっぽを向いてきたけれど、
それが静かなのは、
逆にさびしいなあ。
かつての長野の繁華街、
権堂のアーケードも、
通り抜ける風が冷たい。

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小判をくずして新そばを食べる江戸っ子の粋

さて、各地の新そばも出尽くして、
そばも、どっしりと、落ち着いた味となってきた。

今は玄そばの保存環境も良くなったので、
夏を越した古そばも、それほど、捨てたものではない。
むしろ、甘みが強く、味がしっかりとしているので、
下手に青みがかった新そばより、
味わい深かったりする。
だから、「新そば」の有り難さが、あまり、
感ぜられない時代になってしまったのかもしれない。

しかし、何と言っても、新そばの若々しさにはかなわない。
特に、食感はまったく違うもの。
毎日そばを扱っている者としては、
切り替わるときには、
その差を大きく感じる。

保存の設備がなかった時代には、
梅雨を超えると、そばは風味が落ちた。
子供の頃のそばを覚えているが、
色が赤っぽくなり、独特の蒸れたような臭いを持つことがあった。

だから、昔の人は、
新そばを心待ちにしていたのだね。


〜〜 新そばに小判をくずすひとさかり 〜

 
江戸の川柳に、こんな句があった。
新そばを食べるために、小判をくずした、
つまり、小銭に換えた、それが一悶着、というわけだ。

江戸時代には、今と違って、
ちょっと複雑な貨幣制度になっていた。
小判などの金(きん)と、銀の貨幣、
そして銅銭といわれるものが、
それぞれの別のレートがあって、
その商売にあった貨幣が使われていたという。

だから、そば屋でそばを食べて、
一両小判を出したところで、お釣りなんぞ出てこない。
あらかじめ両替商というところで、
文(もん)という銅貨に換えて置かなければ、
そばを食べられないことになる。

さて、小判一枚で、つまり一両で、
そばがどのくらい食べられたかというと、
これが、なかなか。
江戸時代後期には、一両は6500文に交換されていたという。
その頃のそばは、一枚16文と決められていた。
ということは、、、

なんと、400枚ものそばが食べられることになる。
もっとも、その頃のそばの盛りは、
今よりずっと少なかったらしい。
それでも、一回三枚ずつ食べても、
百回以上は、そば屋に行けることになる。

小判一両って、価値があったのだねぇ。

おそらく、普通の町民は、小判なんぞ待っていなかったろう。
親の遺産か、なにやらの報奨で手に入れた、
虎の子の小判。
それを、新そば食べるためにくずしてしまおうというのだ。
さすがに江戸っ子、粋だねえ。

当時の人には、
「新そば」という言葉は、
それほどの価値があったということなのだろう。

それに引き換え今は、、、
なんて野暮な話はやめておこう。
今なら1万円札でもお釣りが貰えるし、
カードやスマホでも、支払いができる時代。
気楽にそば屋を楽しんでいただけたら、、、と思う次第。

 

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米の一俵は60キロ、玄ソバの一俵は45キロ。

さて、新そばの収穫の時期となり、
そば粉屋さんの倉庫には、
各地から集められた玄ソバが、
高く積まれていることだろう。

昔は一俵(いっぴょう)ごとに麻の袋に入れられていたが、
今はほとんどが紙製の袋だ。
玄ソバの取引単位は45キロで、
これがそばの一俵と呼ばれる。

これが製粉されると、
半分の22キロになる。
そして、そば粉の方の出荷単位となっている。

今では、製粉率は60パーセント強と言われているが、
昔は、せいぜい50パーセントぐらいだったのかもしれない。
とにかく、それが、取引の単位として残っているのだ。

ちなみに、米の一俵は60キロ。
米俵(こめだわら)に入る量だったのだね。

私のこどもの頃には、米屋さんの店頭に、
米の入った俵が積んであるのを見かけた。
その俵の蓋(さんだらぼっち)を貰ってきて、
犬小屋の敷物にしたりしたっけ。

そうして、米屋さんは、その俵を、
重そうに担いで奥へ運んで行った。
そう、一俵とは、
人が担ぐことができる大きさ、重さの単位だったのだね。

昔のそういう習慣が、
今でも取引の単位として残っているのだ。
ちなみに、小麦や豆の一俵は、
米と同じ60キロ、
じゃがいもや大麦は50キロ、
木炭は15キロなのだそうだ。

確かめたことはないが、
灯油が18リットル単位で売られているのも、
昔の単位、一斗の名残かもしれないね。

でも、60キロのもの米を担ぐのは、
大変なことだ。
っで、農家の人に聞いてみたら、
今では30キロの紙袋を使うのだそうだ。
それでも、車への積み込み作業などは、
骨が折れるという。

確かに、私も、22キロのそば粉の袋を、
よいしょ!と、掛け声をかけなければ、
持ち上げられなくなっている。
そば粉屋さんは、軽々と運んでくるのだけれどね。

歳とは、言われたくないのだが、、。

 

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標高2450メートルの山小屋で、美味しい、ホタルイカをいただいた。

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久々にいただいたのは、
ホタルイカの沖漬け。
ついつい、私の苦手な、
お酒も進んでしまう。

ホタルイカの沖漬けは、
ともすれば臭みが出てしまうものだが、
ここのは美味しい。
土産物屋で売られている瓶詰は、
まったく別のものと考えて方がいいようだ。

こういう珍味を食べられるのは、
さすが富山県ならではのこと。
しかも、私達がいるのは、
海辺の食堂ではない。
標高2,450メートルにある、
立山は室堂にある山小屋なのだ。

観光客のあふれかえるバスターミナルから、
ゴツゴツとした岩の歩道を、
20分ほど歩かないとたどり着けない、
「みくりが池温泉」だ。

限られた設備の中で、
観光地にありがちな、
安易な食べ物を出さない姿勢に乾杯、、、
ではない、共感するところ。

なぜ、立山に行ったかといえば、
地元の観光会社の日帰りツアーに参加したのだ。
アルペンルートの室堂から、
湿原の弥陀ヶ原までを、
紅葉を楽しみながら歩いてみようと思ったのだ。

ところが、ところが、
案の定というか、
日頃の行いの悪い私達にこの天気。

 

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仕方がないので、
山小屋で、飲み物研究会を開いたわけだ。

しかし、
この天気が幸いすることもある。
以前に来たときには見ることができなかった、
この鳥に会うことができたのだ。

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そう、天然記念物の雷鳥。
こういう天気の悪い時に、
出てくることが多いという。

平気で人のそばまで寄ってきて、
挙句の果てに、杭の上に登って、
写真のポーズまでとってくれるのだから。

そんなことで、
忙しい中、思い切って行った日帰りツアーだったが、
なかなかの収穫があった。
往復のバスの中では、
日頃の寝不足解消とばかり、
寝てばかりいたが。

いや、一番書きたかったのは、
この観光会社のこと。
小さな会社なのだが、
こういうバスツアーをたくさん企画している。
それがねえ、なかなか、きめ細やかなサービスをしているのだ。

詳しくは書かないが、
なるほど、リピーターの多いことが頷ける。
特に女性には人気のようだ。
つい先日も、
この時に参加者でとった写真が送られてきた。

こういう気の回ることが、
今の商売に、大切なこと。
お客様の気持に沿った気遣いを、
何気なくすること、
そういう積み重ねが大切なのだね。

と、ちっとも気の回らない、
私達も、少しは考えたの、、、、、、だ。

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今年は豊作の気配。もちろんそばの話。

この夏は、忙しさに追われてしまった。
とにかく、眠る時間を確保するのに精一杯。
気がつけば、二ヶ月もブログを書かなかった。
皆さん、申し訳ありません。

そんなことをしているうちに、
はや、新そばの季節。
店でも、すでに北海道北部産の粉に切り替わった。

今年は北海道では、大きな天候の乱れもなく、
これから内陸部のそばが届くにつれて、
甘みも香りも強いものになっていくことだろう。

さて、昨年は壊滅的な不作だった長野県でも、
今年は豊作が期待されている。
今月の始めに行った八ヶ岳の麓でも、
見かけたそば畑では、
そばの背がよく延び、分けつが多かった。
まだ、油断は出来ないが、
来月の刈り取りまでに、大雨でもない限り、
かなりの収量が見込まれそうだ。

どうしても、気候に左右されるのが、
農作物の宿命。
豊作の時は豊作の時なりに、
不作の時は不作の時なりに、
業界の人たちは、そばの質を保つべく、
努力をされているのだ。

去年は、信州産が少なかったので、
だいぶ、ニセものが出回った、、、
との噂もちらほら。

とにかく今年は、そんな心配はなさそうだ。
きっと、質のいいそばが出回ることだろう。
これからの季節、皆さんお楽しみに。

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気に入ったそば粉を、自分で挽ければ、最高なのだけれど、、。

さて、店で使うそば粉というのは、
まさに、店の命というべきもので、
このそば粉の選び方一つで、
店の印象は大きく変わってしまうこともある。

なんていうと、
また、おおげさな〜〜、
などと言われるかもしれないが、
とても、とても、
簡単に言い表せられるものでもない。

う〜ん、
まあ、大風呂敷に包まれた気分でお読みください。

もちろん、そば屋をやっているので、
色々なところから、
そば粉のサンプルをいただくし、
また、あえて、手に入れることもある。

それぞれに、微妙な違いがあって、
面白いのだよね。
製粉屋さんによって、
それぞれ印象の違うソバが出来上がるし、
味はともかく、とにかく、
食感の違いは著しい。

同じ玄そばから作られたそば粉でも、
そばに打ってみると、
ずいぶんと変わりがある。
だから、自分の店にあったそば粉を、
選び続けることは、
そば屋にとって、とても大切なことだ。

そばを粉にするだけなら、
簡単なことと思われていたりするが、
このやり方で、差が出るのだね。

製粉屋さんも、
いろいろと工夫をして、
そば粉を作っている。
だけど、その会社によって、
作り方に、わずかながら、
違いがあるのだよね。
そんな特徴が出る。

だから、
地元のそば屋さんに入ったりすると、
すぐに、あそこの製粉屋さんの粉を使っているなあ、
と、勘ぐったりしてしまうのが、
我ながら、面白くなかったりする。

それに引き換え、
自家製粉なら、
つまり、自分で石臼を用意してそばを挽けば、
思う通りの粉が出来上がるのではないかと、
考えていた時期もあった。

幸いに、
全国の製粉屋さんの機械を作る会社が、
長野にあるので、
事情を話して、試しに、
石臼を使って、そば粉を挽かせていただいた。

製粉屋さんから、
丸抜きといわれる、
皮を剥いたそばの実を持ってきて、
一尺一寸(約33センチ)の小さな石臼で、
グリグリと挽いてみた。
もっとも、電動だから、私は見ているだけ。

なるほど、
石臼の間から、
粉になったそばが挽きだされ、
下のフルイに落ちていく。
それを、私は見ているだけ。

で、引き終わった粉を、
店に帰ってそばに打ってみた。
わあい、挽きたてのそば粉だぞう。

ところがねえ。
ところがねえ。
ところが、、、、、。

挽きたてのそばの香りはするのだが、
なんとも食感が悪いのだ。
茹でても、ふわっと膨らまない。
甘みがいまいち。
なにやら、ねばりっこいような、
舌に残るような風味がある。

なぜだろう。

その後で、
その機械会社の人に正直に話したら、
その技師さんも正直に言う。
「そうでしょうねえ。」

その技師さんの言うことには、
まず、次の3つのポイントがあるという。

まず、そばの実は、
皮を剥いた途端に劣化するのだそうだ。
だから、製粉会社では、
皮を剥いたらすぐに粉にしている。

次に、
どんなにいい石臼でも、
癖があり、
その癖を治すには時間が掛かるとのこと。
いい粉を挽くには、
最低でも三個の石臼を使うことによって、
その癖の影響を取り除く事ができるという。

思わず、石臼が何十台も並んでいる、
製粉屋さんの光景を思い出してしまった。

そして、
石臼が小さすぎるとのこと。
つまり、
一尺一寸の石臼では、
挽いたときのムラが大きいと言うのだ。

この技師さん、
実際は石臼を売っていながら、
まったく商売っ気がないんだね。
その後も、シフターの大切さや、
分子間引力などの話も伺い、
とても参考になったというか、
私たちの想像とは違う次元で、
製粉の機械が作られていることを実感したのだ。

いいそば粉を作ること、
世の中には、それを考えながら、
努力している人達もいるのだ。
思い込みだけで、入れる世界ではない。

で、いいそば粉って、、、、
なんなの。

そんな話は、
またいつか。
いるになるやら、、、、。

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地道な努力に支えられてきた、常陸秋そば。

そば粉屋さんから、
常陸秋そばのいいのが入ったからと、
挽きたてのサンプルの粉をいただいた。

打ってみると、
これがねえ、なかなかいいんだよね。

食感は、ややもちっとした感じであるが、
口に入れたあとに、少し遅れて、独特の香りが広がる。
甘さはそれほど強くはないが、なんというか、
品のある味わいだ。

なるほど、東京あたりのそば屋さんで、
このそば粉が人気なのが、わかる気がする。
先日、東京に行った時に訪ねた一軒でも、
このそばを使っていた。

長野の信濃一号や、
北海道のキタワセなどとは、
まったく違う風味なのだ。
特に、口の中に強く残る香りは、
好き嫌いはあるかもしれないが、
じつに特徴的だ。

この常陸秋そばは、
名前からも分かるように、
茨城県の北部で作られている。
在来種から選別して、
粒ぞろいのいい品種を作り上げたのだね。

しかし、良い品種を作ったからといって、
それは広まらない。
交雑しやすいそばは、
栽培の品種を保つのが難しいのだね。
そこを県をあげて、
地道に、ブランドづくりに励んできたそうだ。
30年以上もね。

種子の更新、栽培方法の統一など、
様々な努力を重ねて、
常陸秋そばという、
ブランドを作り上げてきたのだ。

私は、だいぶ前にこのそばを食べたときには、
風味は強いが、味のないそばという印象があった。
それが、今では、しっかりとしたそばになっている。

この独特の風味を活かすには、
私の 絡むタイプのそば汁には、合わないかもしれない。
もっと、サラッとした、
塩味の濃い汁がいいのかもしれないね。

そうして、この地元長野でも、
こういうそばのブランドを育てる努力をしていただきたいなあ。
と、切に思うのだが。

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久しぶりの東京のそば屋食べ歩き

先日、久しぶりに日帰りで東京へ出て、
そば屋巡りをしてきた。
う〜ん、東京は、色々な店があって、
楽しいね。
と言っても、若い頃と違って、
せいぜい三軒を回るのが精一杯。
一軒一軒、じっくりと楽しみたいからね。

今回は、上野に用事があったので、
その周辺の店となる。

まず、最初が上野駅前の「翁庵(おきなあん)」。
ここは、古くから、地元の方々に支えられている、
伝統的なそば屋。
ネギせいろというのが、一番人気だと、
最初に食券を買う時に、
おばちゃんが教えてくれる。
その食券は、ボールペンで走り書き。
これなんて書いてあるのかな、、、
という字だが、花番のお姉さんには、
分かるらしく、間違いなく運ばれてくる。

時代を感じさせる店内。
落語家の色紙なんぞも飾ってあって、
見て飽きない。
この店独自のメニューがあって、
お客さんを楽しませる工夫をしているのだね。
歴史のある店は、
たいてい高級路線に走ってしまうものだけれど、
こういう大衆的なそば屋が残っているのが、
なんともうれしい。

二軒目は、動物園の横を下って、
根津にある「蕎心(そばこころ)」。
ここ古い2階建ての家を、
そのまま改装して店に作っている。
入ってみると、十席あまりの一階はうまっていて、
狭い階段を登って二階の座敷へ。
八畳二間ぐらいの広さの、
普通の家の部屋という感じだが、
照明とか、テーブルなんぞに、
ちょっとした、店らしい工夫がなされている。

ここは開店して二年なのだそうだが、
こういう造りの店にした、店主の姿勢が感じられるね。

そして、ここには、
「巣ごもりそば」がある。
これは、揚げそばのあんかけのこと。
かんだたの「油地獄」とは、
また違った味わいがあっていいなぁ。

そばも、じつに、丁寧に打たれていて、
う〜ん、見習わなくては、、、、。
店主もスタッフも若く、
小さいけれど、じつに、活気を感じさせる店だった。

そして、最後は、
老舗といえる「上野藪(やぶ)そば」へ。
ここには、若い頃何回か入ったことがある。
あまり記憶が無いのだけれど、
「お酒は◯本まで」などという張り紙があったような、、、。
今は建て替えられて、
モダンな造りとなっている。

この店に行くために通ったアメ横の雑踏のスゴイこと。
やたらと外国語が飛び交い、
安さを競う立ち飲み屋に人が溢れている。
その猥雑な喧騒の中で、
扉を開ければ、なにやら、
張りつめたものを感じさせるのは、さすがだなあ。

メニューに「焼き海苔」なんぞがあるので、
ついつい頼んでしまった。
下に炭の入った箱で出て来るのは、
昔のまま。
ついでに、酒の銘柄も、昔と変わらず。

これだけの店なのに、
そばを手打ちしているのは大したものだ。
特に、つゆの味は、そばとの相性がいい。
東京のそば汁は辛いというけれど、
ここは、それほどでもない気がする。

ということで、楽しませていただいたそば屋巡り。
そば屋というと、蕎麦の味だけ見て、
自分の好みに照らして、
うまいとか不味いとか言う人もいるけれど、
そば屋の世界はもっと奥が深い。
そんな単純な言葉では、そばは語れないだろう。

私たちは、どうしても、
そばを食べると、廚房の仕事が見えてしまう。
だから、きちんと、頑張っているそば屋さんが好きだ。
雑誌取り上げられたり、
ネットで評価の高い店などにいっても、
そば屋の仕事として考えると、
意外と、がっかりしてしまうことも多い。
ただ、シチュエーションや内装が良かったり、
奇をてらった盛り付けで、
内容の伴わない店もある。

たとえ評判にならなくても、
地元の人達に愛され、
長く続けていけるようなそば屋を
こうして訪ねてみたいものだ。

で、今回の本当の目的は、
この展覧会。
奇妙な怪物の絵をかいた、
ボスとプリューゲルの作品を見るため。
あれ、絵の中の怪物が、
一匹抜け出している、、、、、、のかな。

 

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製粉屋さんは「設備産業」?でも、職人技も必要。

この春に、
店のスタッフの研修ということで、
いつも世話になっている製粉屋さんの、
工場を見学させていただいた。
そして、改めて、
そばを粉にする、
いや、いいそば粉を作るために、
ずいぶんとたくさんの手がかかっていることを、
みんなで実感したところだ。

この製粉屋さんは、
何十年も続く、業務店向けのそば粉を作っているところ。
地元長野のそば屋さんばかりでなく、
東京のそば屋さんにも、
数多く出荷している。
製粉工場とすれば、小規模というが、
それでも、なかなかの広さと大きさがある。

工場の三階には、まず、
玄そばを加工する設備がある。
玄そばを、様々な方法で磨いて、
ゴミや不純物を取り除かなくてはならない。
それから、皮を取りのぞき、
その皮を分離する。
そのための機械も、何種類もあり、
どれがどう動いているのか、見ただけではよくわからない。

その機械の間には、
幾つものシフターがあり、
粉をより分けている。
シフターというのは、機械式のフルイのようなもので、
網の目によって、
何段階にも粉や粒を選り分けることができる。
それが横に休みなく動いているので、
見ていると、建物全体が揺さぶられているような気がしてくる。

そうして皮を剥かれたり、
大割れといって、粗く砕かれた実が、
石臼によって挽かれていく。
二三十台もある大きな石臼が、
ゴロゴロ回って、粉を作っている光景は、
なんとも圧巻だ。

それでも、一回の回転で、
石臼の端からこぼれ落ちる粉は、
僅かなもの。
それを、石臼と一緒に回っているハケが、
かき集めていく。

天井には、
空気圧で粒や粉を運ぶ、
銀色の管が、複雑に絡み合っている。
そして、とにかく、音がやかましい。
せっかく説明してくれている、
社長さんの声も、
ほとんど聞こえない。

最後には、
粉はそれぞれの製品に分けられて、
手作業で袋詰されていく。

なるほどねえ、
とにかく、
倉庫に山と積まれている玄そばが、
そば粉になるまでは、
じつに、じつに、
たくさんの機械を通り抜けているのだ。
品質を上げるために、
以前に見せていただいたときより、
設備の数が増えている。

あとで、事務所で社長が言っていた。
とにかく、機械にお金がかかると。
特別な機械だから、
割高になってしまうのだね。
「でも製粉屋は、設備に投資しなければやっていけない。」
のだそうだ。
しかも、
そばの製粉は、
小麦と違って、完全なオートマチックでは出来ないのだそうだ。
玄そばは、産地や生産者による、
品質の違いが大きいのだそうだ。
そういうことを、微妙に調整しながら粉にしていく。
常に、眼で見て、手で触って調整をしていく、
職人技が必要だという。

そういう社長さん、
そうとうガンコが入っているなあ。

ということで、
いつも使っているそば粉も、
それだけの手をかけられて作られていることを、
忘れないようにしなければね。
そういうことを踏まえて、
私は、いいそばを作らなくては、、。

ブログを書く時間がなくて、
すみません。
いつの間にか、畑の周りのニセアカシアの花が咲いていたりして。

 

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