年末から、新年への、
大きな山を乗り切ることができました。
みなさんありがとうございました。
ふうー。
というところが、
正直な感想。
忙しすぎて、このブログすら更新できなかった昨年。
今年は、自分の時間を持てるように、
頑張るつもり。
いえ、
決してサボるのではなくてね。
とりあえず、
これから二週間ほどお休みをいただいて、
からだのメンテナンス。
心に油をさして、
少しは動きをなめらかにしたいと思っております。
かんだたでは、さらしな粉を使った、
さらしなそばを「小町」と称して提供させていただいている。
この名前のせいか、何となく、
女性の方の注文が多いような気がする。
確かに、女性好みの、やさしい味なのだ。
もちろん、男性の方も、さらしな好きの方がいらっしゃる。
そば通の行き着く味、とも言われている、、、そうだ。
この「さらしな」のそばは、
けっこう誤解の多いそばのようだ。
「さらしな」って何ですか、
と聞かれる方もいらっしゃるし、
初めて召し上がったという方もいらっしゃる。
ソバの実のデンプンだけを挽き出した粉で、
普通のそばより、色が白い。
モチっとした食感で、甘みが強いそばになる。
よく、聞きかじりに、
一番粉のことだという人がいるが、
それとは少し違うようだ。
確かに昔は、普通に粉を挽いて、
目の細かいふるいを通したものを使っていたみたいだ。
でも、それでは、味のないそばになってしまう。
今では、全く別の方法で、作られているという。
わかりやすく、コメに例えて言うと、
普通のそばは玄米、さらしなは白米。
と言うところか。
それならば、何割ぐらい磨いているのですか、、、
などと聞かれても、
これは、あくまでも、例え話なので。
この「さらしな」を手打ちするのは、
なかなか難しいものだ。
何しろデンプンだけなので、
ただでさえ仲の悪いそば粉同士が、
一緒になってくれない。
そこで、熱湯を使って、
「友つなぎ」と言う方法で、
さらしな粉を練り上げる。
そして、伸びのない生地なので、
それを延ばすのが難しい。
さらしなそばを扱っている多くの店では、
生地を練り上げた後、
ロール式の製麺機に掛けてそばを作るらしい。
先日行った東京の老舗店でも、
普通のそばは手打ちだったが、
さらしなはロールを使っていたっけ。
でも、貧乏なかんだたは、
その製麺機すら買うことができないので、
もっぱら、手で打ち上げるしかないのだ。
おかげで、未だにデコボコのさらしなそばをお出ししていて、
まことに恥ずかしい。
いや、恥ずかしがっているフリをしておこうか。
ところで、「さらしな」は漢字で書くと「更科」。
それが、長野の古名の「更級」と関係あるのか、
と言われれば、、、よくわかりません。
でも、更科に関するエピソードは、
たくさんあるので、またの機会に。
さて、昨年は全国的にそばが不作で、
国産の玄ソバが不足して、
値段が高騰していることを、
前回のブログでお伝えした。
どうしても、質の良いそばがなければ、
この夏を乗り切るためには、
外国産を使わなくてはならないかと覚悟していたのだが、
どうやら、その怖れはなさそうだ。
さて、そばの輸入について、
昨年の財務省の統計が出ていた。
玄そばの輸入量は、5万4千トン。
一位は中国で2万5千トン。
次がアメリカで、1万7千トン。
三位がロシアで、8千トン余りとなっている。
アメリカでは、健康食ブームもあって、
そばの栽培が盛んになっているそうだ。
でも、そこで栽培されるのは、
シリアルやクッキー向けで、
淡白な味のそばなのだそうだ。
だから、日本向けに風味の強い品種を開発し、
契約栽培で作られているらしい。
そのため、毎年、ほぼ同じ量が輸入されるし、
価格変動はあまりない。
そう言えば、何年か前に、
そばの農園をやっているという、
体格のいいアメリカ人が、
製粉会社の人とやってきたことがあったっけ。
ちゃんと、日本で食べられているそばを、
研究しているのだね。
ロシアからの輸入は、
ここ数年でグンと伸びている。
もともと、ロシアや東欧諸国は、
そばの栽培の盛んなところ。
粒のままスープにして食べられているとか。
あれ、キャビアも、そば粉のクッキーで
食べるのではなかったっけ。
ところが、商習慣の違いや、
手続きの問題などがあり、
なかなかスムーズにいかないところがあるようだ。
価格も、輸入量も、変動が激しいところだ。
全体に、玄そばの輸入量は、
減少傾向にあるという。
特に、中国からの輸入は減っている。
ところが、日本のそばは、
やっぱり中国の力に頼っているのだね。
玄そばの代わりに増えているのが、
皮をとった抜き(むき実)なのだ。
これらは主に、乾麺などの加工用に使われるらしい。
今や、中国からは、玄そばより多く輸入され、
抜きは、玄そばに換算すると、
5万トンぐらいになるらしい。
一昨年の統計では、
玄そば、抜きを合わせた輸入量の総計は、
約10万トン。
そのうち75パーセントは中国からのものだ。
この中国産の値段は、
以前に比べてかなり高くなっていて、
今や、アメリカ産と同じぐらいになっているとか。
加工業者さん泣かせなのだ。
そこで、たくましき日本の商社は、
新たな産地を求めて、
ブラジル、モンゴルなどからも、
そばを輸入しようとしているとか。
でもねえ。
日本には、
空いている畑がたくさんあるのだよ。
この長野の周辺だって、
少し山の中に入ってみれば、
動物の住処となるつつある、
かっての耕作地がたくさんある。
せっかく、お金と労力を使って切り開いたのにね。
一茶の時代のように、
山の上まで真っ白になるまで、
そばの花が咲き乱れるような風景は無くなってしまった。
今、そばの花が咲くのは、
かって米が作られていた田んぼなのだ。
米も余っている時代になってしまったからね。
値段が安いからと、
遠くのそばを買いに行くのではなく、
なんとか、身近で、
美味しいそばが採れるようになってもらいたいものだ。
上田といえば、三年前のNHKの大河ドラマ、
「真田丸」で一躍注目を浴びた場所。
上田城を作った真田昌幸、その子信繁(幸村)の活躍した舞台。
その年は、大いに観光客で賑わったそうだ。
長野からは、新幹線でわずか11分、
しなの鉄道の各駅停車でも35分で着いてしまう、
すぐ近くの町。
でも、何回も訪ねている割には、
意外と町のことをよく知らない私。
そこで、この冬の休みに、
ガイド付きのツアーに参加してみることにした。
案内してくれるのは、
真田幸村と十勇士に扮する「おもてなし武将隊」のメンバー。
筧十郎と根津甚八のご両名。
さぞかし、大勢の参加者がいることだろうと思っていたら、
駅前に集まったのは、
我々二人だけ。あらら、、、。
それでも、駅前の幸村公の像の前で、
気勢を上げて出発。
昭和の匂いを残す古い繁華街を抜けて、
真田家ゆかりの寺なんぞをめぐる。
細い露地を抜けたりして、探検気分十分。
古い街道筋には、
昔ながらの屋根の大きな建物なんぞが残っている。
ここは昌幸公の奥方の菩提寺。
禅宗の寺らしい、きりりとした雰囲気が漂う。
柳町は宿場跡で、
造り酒屋などの、立派な建物が並んでいる。
幸村の兄、信之の奥方、小松姫の墓のある寺には、
真田の紋である六文銭と、徳川の三つ葉葵が並んでいる。
なるほど。
こんな立派なお寺があったのだね。
それから上田城まで、
三時間にわたってご案内をいただいた。
お二人の派手な格好は、よく目立ち、
通りがかる地元の人からも声がかかる。
すでに、おなじみとなっているようだ。
寒くないの?と聞けば、
下にダウンを着ているから大丈夫とのこと。
それよりも、夏の暑さの中の方が、大変だそうだ。
この武将隊、観光客の集まる季節には、
上田城を中心にして、様々なイベントに参加されているそうだ。
上田の街を元気にしようと、
頑張っているのだね。
他の地域にも、武将隊があって、
交流もされているとのこと。
ということで、ほぼマンツーマンで、
案内していただき、とても贅沢な気分になった。
おそらく、ガイドされなければ、
踏み込まなかった道、小さな歴史なんぞを、
知ることができたのだからね。
ありがたいことだ。
これからの観光は、こういう企画が必要なんだなあ、
と、つくづく思う次第。
で、寒風にさらされた後は、
上田ならでの、馬肉を使った肉うどんで温まったりして、、。
先日、ある蕎麦屋でそばを手繰っていたら、
あとから来た人が、
そばの大盛りを注文した。
そしたらご主人が、大盛りはやっていないという。
一枚召し上がっていただいた上で、
追加のご注文をお願いいたします、
との、丁重なご説明。
そこは、粉も自分で挽いている、
こだわりのお店。
自分の苦労をかけたそばを、
最後まで美味しく召し上がっていただくために、
あえて、そういう選択をしているのだね。
東京の老舗の蕎麦屋でも、
大盛りという頼み方は無いところが多い。
そばは伸びやすいので、
一度にたくさんのそばを盛れば、
最後の方は、味がだれてしまう。
だから、たくさん召し上がりたい方は、
「御替わり」を頼んだほうが、
美味しくいただけるというわけだ。
老舗のそばの盛りが少ないというのも、
同じ理由による。
一度に食べるそばの味が、
舌に飽きないうちが、そばを楽しめる。
つい勘ぐりたくなるが、
けっしてケチなわけではない。
なんでも、昔のそばの盛りは、
今よりずっと少なかったらしい。
明治の初めに撮られた写真で、
芸者さんたちが、何人かでそばを食べる写真を見たことがある。
それぞれの女性が、せいろを何枚も積み重ねているところを見ると、
この人達はよっぽど大食い、、、、
ではなく、一枚のそばの量が少なかったようだ。
なんでも、明治の終わり頃までは、
そばの一人前といえば、
せいろが二枚来たのだそうだ。
今でも長野県の中部や南部では、
そんな習慣があって、
一人前と頼むとそばが二枚来る店がある。
だから、せいろ一枚の量が少なかったのだね。
確かに、食べ比べてみると、
少ない量で、その都度そばを茹でてもらったほうが、
飽きずに、そして、量をいただけるようだ。
なんでも、大盛りと注文される前に、
そんな食べ方も試されるといいかもしれない。
ちなみに、かんだたでは、
しっかりと大盛りがあったりして。
皆さんはモリアオガエルという生き物を、
ご存知だろうか。
カエルと聞くだけで、
あ〜気持ち悪い、という方もいらっしゃるかもしれない。
私にとっては、
若い頃のいつかどこかの動物園で見かけて、
とても気になった生き物。
ほんの五センチぐらいの大きさのカエルだが、
手の吸盤の大きさが特徴的。
それもそのはず、このカエルは、
木の上で暮らすのだという。
先日、今は長野市となった鬼無里(きなさ)の、
奥裾花(おくすそばな)自然園を訪れた。
ここは、春の水芭蕉(ミズバショウ)の群生で有名な場所。
5月の初めの頃の、まだ、残雪のある時期に、
一面の水芭蕉の花が楽しめる。
その花の時期には、
大勢の人が押し寄せる。
観光バスも来る。
でも、自然を守るため、
駐車場からは、約一時間歩かなければならない。
それでも大混雑をするらしい。
その水芭蕉が、
おばけのような巨大な草になった今、
奥裾花自然園の広い駐車場に、
ここから登ることのできる山に、
花を楽しみがら登りに行ったのだ。
その帰りに寄ったのが、
この自然園の奥にある吉池というところ。
ブナをはじめとする天然林に囲まれたこの池は、
ほんの二十メートル四方の小さな池。
水が湧いているわけでもなく、
流れて来る川もないので、
でも、ここは、はじめに書いた、
モリアオガエルの産卵の場所なのだ。
とにかく、どんな音も、吸い込んでしまいそうな、
静かな池。
周りに、木が取り囲んでいる。
その木に枝先に、何やら、白いかたまりが見える。
大きさは、大人の握りこぶしほど、
泡のようなものに包まれたかたまりだ。
よく見ると、向こう岸の、
十メートル以上の高さがありそうな枝先にもぶら下がっている。
これが、6月頃産卵するという、
モリアオガエルの卵なのだ。
ほとんどのカエルが水の中で卵を生むのに、
木の上に生息するこのカエルは、
高いところにある木の枝に卵を生むのだ。
そうして、木の上の泡の中で孵ったカエルの子、
オタマジャクシは、まっすぐ下に落ちていく。
そこが、池の中なのだ。
つまり、このカエルは、
池の上に張り出した枝に、
卵を産むのだね。
オタマジャクシは池の中で育ち、
やがて手も足も出てくると、
池を離れて森のなかで暮らすようになるのだ。
ところが、この池には、
もう一つの生き物がいる。
クロサンショウウオだ。
こちらも、春先に卵を生み、
ちょうど鶏の卵のようなかたまりを、
水の中に見ることができる。
そして、こちらのほうが早く孵化するのだよね。
つまり、木の上で生まれたモリアオガエルのオタマジャクシは、
やはり、生まれたばかりのクロサンショウウオが、
口を開けて待っている池の中に落ちるのだ。
私が初めてここで、
この光景を見たのは、20代初めのこと。
えっ、もう40年前のことだって。
それでもいまだに、この営みが繰り返されているのは、
それなりに自然界のバランスがとれているということだろう。
とにかく、ブナの原生林といい、
森のなかの生き物といい、
そして、季節を忘れない花たちに、
心の中に沁みるものがある。
私達は、こんな自然の中で生きているのだね。
そして、こんな生き物もいる。
皆さんはゴールデンウィークは、
どのようにお過ごしになったのでしょうか。
善光寺に向かう中央通りでは、
花を飾るイベントなどがあり、
店にも、大勢の方がお見えになって、
ありがたいことだ。
たいへん混雑をしてしまい、
長い時間お待たせをして、
申し訳けないと思っている。
この時期、私としては、
いつもより大量のそばを打ち、
それを釜で茹でることになる。
身体は元気なつもりでも、
やはり、かなりの負担になっているようだ。
閉店してから行う、
汁作りなどの仕込み中には、
強いだるさを感じるようになってしまった。
腕や胸の筋肉も、
痛むというほどではないが、
普段とは違うふうに張ってしまっている、
歳のせいにはしたくはないが、
まあ、これが現実なのだろうなあ。
で、そば打ちの話。
よく、重労働でしょうと聞かれるけれど、
そば打ち自体は、それほどのことはない。
ただ、それを五回も六回も、
時間に追われながらするとなると、
話は別だ。
そば打ちで、最も身体に負担がかかるのが、
最初の木鉢での仕事だ。
粉に水を含ませる「水回し」は、
手を、水平に動かすので、
腰に力がかかる。
忙しい時には2キロを超える量を扱うから、
なおさらだ。
粉は水が馴染んでいくににつれて、
ますます重くなるので、
しっかり脚を踏ん張って行う。
ここで、時間をかけてしまうと、
そばに粘りがでてしまう。
そして、その粉を丸めてから、
ギュウギュウと捏(こ)ねることになる。
どのくらい生地を捏ねればいいのかと、
そば打ちをする方に聞かれることがある。
まあ、粉や量によっても変わってくるのだろうが、
よく捏ねることに越したことはないだろう。
私の場合は2キロぐらいの玉だと、
だいたい120回ぐらい、
時間にして2分半を捏ねている。
そう、ちょっと、息が上がる程度にだ。
だいたい百回前後で、
生地の伸びがぐっと良くなる感覚に変わる。
そして、指で押してみて、
じわっと戻ってくるようになればいい。
水加減が多いと捏ねるのも楽だが、
切ったときに麺線が乱れやすく、膨らみ感がなくなる。
だから、
ある程度硬めの玉を、
体重を載せるようにして捏ねていく。
どのくらい捏ねるかは、
そば屋によって考え方があるようだ。
でも、食べてみれば、どのくらい力を入れて捏ねたのが、
分かるっていうものだ。
こんなことで、手を抜いちゃいけないね。
人によっては、捏ねすぎると、
まったく弾力がなくなってしまうことがあると言う。
うどんを打つ時もそういうことがあるそうで、
「腰が抜ける」というのだそうだ。
でも、私も試してみたが、
かなりの回数を捏ねてみても、
そのようなことはなかった。
粉や、割粉の具合で、
起こることもあるのかなあ。
とにかく、
どんなに忙しい時でも、
どんなに身体が疲れていても、
この捏ねることだけはしっかりとするようにしている。
そうしないと、
お客様に喜んでいただけないような気がしてね。
ということで、
まだまだ、歳のせいにしたり、
そば打ちが辛いなどと言ってはいられない。
まあ、少しは休ませていただくことにしよう。