2017年12月

クリスマスは、どこへ行ったの?

さて、今日はクリスマス。
そば屋には、まったく縁のない日だ。

洋食屋さん(古い!)であれば、
クリスマスパーティなどとうたって、
お客さんを呼ぶことが出来ることだろう。
ケーキ屋さんは書き入れ時にちがいない。
でも、そば屋では、
いくら「クリスマスそば」、
「サンタのトナカイ南蛮そば」なんぞを作ったところで、
お客さんは寄ってこないだろう。

ということで、いつもどおりの静かな営業。

でも、あまり外に出歩かない私でも感じること。
世の中、クリスマスの様子が、
だいぶ変わってきているようだ。

10年ほど前までは、
スーパーなどは、
クリスマスの特別コーナーを作って、
ツリーの飾りやお菓子なぞを売っていた。
ケーキの売り込みが、どこでも盛んだった。
ブティックのウインドウなんぞも、
クリスマス気分を盛り上げるディスプレイがされていた。
昭和の時代には、
赤い帽子をかぶった、
酔っぱらいおじさんたちが、
街を闊歩、いや千鳥足をしていたっけ。

それがねえ、
最近は、とても静かに感じる。

やはり、
信仰の裏打ちのないお祭り騒ぎ。
堅実な時代には、
それなりの規模となったのだろうか。

それに引き替え、
おせち料理の売り込みの激しいこと。
世間の価値観が、
そちらに移っていったのだろうか。

そば屋にとって、
一番の山場になるのが、
大晦日に召し上がっていただく「年越しそば」。
こちらの方は、
時代の影響を受けずに、
相変わらずのご贔屓をいただいている。
ありがたいことだ。

今はその準備に追われている。
そして、それに続く正月営業のためにも、
体力を蓄えなくては。

クリスマスなんて、
私には縁のないお祭りだと、
そっぽを向いてきたけれど、
それが静かなのは、
逆にさびしいなあ。
かつての長野の繁華街、
権堂のアーケードも、
通り抜ける風が冷たい。

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小判をくずして新そばを食べる江戸っ子の粋

さて、各地の新そばも出尽くして、
そばも、どっしりと、落ち着いた味となってきた。

今は玄そばの保存環境も良くなったので、
夏を越した古そばも、それほど、捨てたものではない。
むしろ、甘みが強く、味がしっかりとしているので、
下手に青みがかった新そばより、
味わい深かったりする。
だから、「新そば」の有り難さが、あまり、
感ぜられない時代になってしまったのかもしれない。

しかし、何と言っても、新そばの若々しさにはかなわない。
特に、食感はまったく違うもの。
毎日そばを扱っている者としては、
切り替わるときには、
その差を大きく感じる。

保存の設備がなかった時代には、
梅雨を超えると、そばは風味が落ちた。
子供の頃のそばを覚えているが、
色が赤っぽくなり、独特の蒸れたような臭いを持つことがあった。

だから、昔の人は、
新そばを心待ちにしていたのだね。


〜〜 新そばに小判をくずすひとさかり 〜

 
江戸の川柳に、こんな句があった。
新そばを食べるために、小判をくずした、
つまり、小銭に換えた、それが一悶着、というわけだ。

江戸時代には、今と違って、
ちょっと複雑な貨幣制度になっていた。
小判などの金(きん)と、銀の貨幣、
そして銅銭といわれるものが、
それぞれの別のレートがあって、
その商売にあった貨幣が使われていたという。

だから、そば屋でそばを食べて、
一両小判を出したところで、お釣りなんぞ出てこない。
あらかじめ両替商というところで、
文(もん)という銅貨に換えて置かなければ、
そばを食べられないことになる。

さて、小判一枚で、つまり一両で、
そばがどのくらい食べられたかというと、
これが、なかなか。
江戸時代後期には、一両は6500文に交換されていたという。
その頃のそばは、一枚16文と決められていた。
ということは、、、

なんと、400枚ものそばが食べられることになる。
もっとも、その頃のそばの盛りは、
今よりずっと少なかったらしい。
それでも、一回三枚ずつ食べても、
百回以上は、そば屋に行けることになる。

小判一両って、価値があったのだねぇ。

おそらく、普通の町民は、小判なんぞ待っていなかったろう。
親の遺産か、なにやらの報奨で手に入れた、
虎の子の小判。
それを、新そば食べるためにくずしてしまおうというのだ。
さすがに江戸っ子、粋だねえ。

当時の人には、
「新そば」という言葉は、
それほどの価値があったということなのだろう。

それに引き換え今は、、、
なんて野暮な話はやめておこう。
今なら1万円札でもお釣りが貰えるし、
カードやスマホでも、支払いができる時代。
気楽にそば屋を楽しんでいただけたら、、、と思う次第。

 

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