2026年03月

旅の終わりの「石田三成」

「石田三成、一本で〜す。」

中居さんの、中へ通す声が、
我々の座った座敷までよく響く。
ここは滋賀の長浜。
北国街道沿いにある、
少し、時代のかかった料理屋さん。
名物と言われる「焼鯖そうめん」で、
名の知れたお店だ。
さて、料理を注文して横を見ると、
地酒の紹介と共にこの名がある。
酒が苦手の私でも、
つい、注文してみたくなったのだ。

ここ長浜は、石田三成の育った場所。
そして、その才能を見出したのが、
この地に、自身の初めての城を構えた、
秀吉だったと言われている。
寺で茶を所望した秀吉に、
ぬるい湯から、熱い湯へとの、
気遣いをしたという話は有名。
小谷城の攻撃などで功をあげ、
急速に出世していた秀吉にとって、
能力のある家来を持つことは、
必要なことであった。
その要望に応えた中に、
石田三成もいたのだね。

さて、そのそうめんは、
早々と登場した。
麺線を揃えて丸めたそうめんの上に、
焼いたあとに、長い間煮込んだと思われる、
鯖のぶつ切りがどんと乗っているのだ。
汁はなく、そうめんに味が染み込んでいるらしい。

吸い物と、焼鯖の押し寿司が付いてくる。
一緒に、彦根の赤蒟蒻と、
琵琶湖のスジエビと煮込んだエビ豆も。

で、「石田三成」という酒は、
ガラスの徳利に入れられて出てくる。
なので、こちらも、ガラスのお猪口を選んでいただく。
これは、「七本槍」という酒造の造る原酒とかで、
冷や、いや、常温でいただくのがお勧めなのだそうだ。

ええ、「七本槍」だって。
七本槍といえば、信長亡き後、
柴田勝家と秀吉が争った時に、
活躍した武将たちに与えられた名前ではなかったか。
その戦場となった賤ヶ岳(しづがたけ)は、
このすぐ近くのはずだ。

七本槍といえば、福島正則、
加藤清正、加藤嘉明、脇坂なにがし、、、
などで有名。
この戦いに、石田三成も参加しているはずだ。
でも名前は出てこない。

それもそのはず、
「賤ヶ岳の七本槍」が持ち上げられたのは、
江戸時代になってからの戦記物なので、
まさか、そこに、
家康に逆らった三成の名を出すわけにもいかなかったのだろう。

本当はどうだったのかわからないが、
三成は、戦が下手だったと言われている。
秀吉の北条攻めの時に、
一つの城を落とすのに、
随分と手こずってしまった。
映画にもなった「忍城」の戦いだ。

しかしながら、官僚としての才覚は抜群で、
秀吉に重用されたそうだ。
特に、朝鮮出兵の際には、
船の手配や武将の配分に、
その才を発揮したと言われる。
でもねえ、その時の振る舞いが、
前線で戦っていた武将たちには、
不評どころか、恨みまで買うことになってしまう。

だからねえ、
秀吉亡きあと、
せっかくの「七本槍」の仲間たちからも、
殺されかけたりしたんだよね。

でも、自分の領地を治めるには、
良い指導者だったとも言われている。
真面目で、融通の効かぬ性格のゆえ、
家康の横暴を許すことができず、
関ヶ原の戦いのような結果となったのかなあ。

鯖の味の染みたそうめんは、
見た目に反して、美味しいものだった。
ここから峠を越えた福井から、
運ばれてきた鯖を、
大切にいただくための工夫なのだろうか。
ちょうど座った場所が、
小部屋のようになっていて、
雪の積もった中庭が見える。
乱雑に積まれた本棚があって、
その上に、なんだかわからない、
黒い雲のような絵が飾ってある。
そんなところが、
また、気のおけなくていい。

石田三成について、
多くの人が、語っているが、
その人柄について、
今ひとつ、ピンとこないのだ。
かわいそうなのは、大谷刑部(ぎょうぶ)だ。
家康の東北出兵に参加しようと、
三成の元を訪ねたのに、
挙兵の意思を聞いて、
最後まで付き合うこととなる。
それなりの深い親交があったのだね。

きっと、
才はあったけれど、
生き方が下手な人だったのだ、三成は。
などと勝手に、
才もないのに、生き方も下手な私は、
そう思い描いている。
ついでに、私は、
商売も下手なようだが。

で、美味しい料理に、
いつの間にか、
酒の「石田三成」が終わっている。
私は酒が苦手なのだ。
でも、でも、
今一度、聞いてみたいのだ。
関ヶ原の古戦場巡りから始まった、
琵琶湖の4日間の旅の締めくくりに。
だから、だから、仕方なく、
仕方なく、中居さんに手を挙げる。

「石田三成、一本追加で〜す。」
ほら、やったね、三成くん。

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