
「石田三成、一本で〜す。」
中居さんの、中へ通す声が、
我々の座った座敷までよく響く。
ここは滋賀の長浜。
北国街道沿いにある、
少し、時代のかかった料理屋さん。
名物と言われる「焼鯖そうめん」で、
名の知れたお店だ。
さて、料理を注文して横を見ると、
地酒の紹介と共にこの名がある。
酒が苦手の私でも、
つい、注文してみたくなったのだ。
ここ長浜は、石田三成の育った場所。
そして、その才能を見出したのが、
この地に、自身の初めての城を構えた、
秀吉だったと言われている。
寺で茶を所望した秀吉に、
ぬるい湯から、熱い湯へとの、
気遣いをしたという話は有名。
小谷城の攻撃などで功をあげ、
急速に出世していた秀吉にとって、
能力のある家来を持つことは、
必要なことであった。
その要望に応えた中に、
石田三成もいたのだね。
さて、そのそうめんは、
早々と登場した。
麺線を揃えて丸めたそうめんの上に、
焼いたあとに、長い間煮込んだと思われる、
鯖のぶつ切りがどんと乗っているのだ。
汁はなく、そうめんに味が染み込んでいるらしい。
吸い物と、焼鯖の押し寿司が付いてくる。
一緒に、彦根の赤蒟蒻と、
琵琶湖のスジエビと煮込んだエビ豆も。
で、「石田三成」という酒は、
ガラスの徳利に入れられて出てくる。
なので、こちらも、ガラスのお猪口を選んでいただく。
これは、「七本槍」という酒造の造る原酒とかで、
冷や、いや、常温でいただくのがお勧めなのだそうだ。
ええ、「七本槍」だって。
七本槍といえば、信長亡き後、
柴田勝家と秀吉が争った時に、
活躍した武将たちに与えられた名前ではなかったか。
その戦場となった賤ヶ岳(しづがたけ)は、
このすぐ近くのはずだ。
七本槍といえば、福島正則、
加藤清正、加藤嘉明、脇坂なにがし、、、
などで有名。
この戦いに、石田三成も参加しているはずだ。
でも名前は出てこない。
それもそのはず、
「賤ヶ岳の七本槍」が持ち上げられたのは、
江戸時代になってからの戦記物なので、
まさか、そこに、
家康に逆らった三成の名を出すわけにもいかなかったのだろう。
本当はどうだったのかわからないが、
三成は、戦が下手だったと言われている。
秀吉の北条攻めの時に、
一つの城を落とすのに、
随分と手こずってしまった。
映画にもなった「忍城」の戦いだ。
しかしながら、官僚としての才覚は抜群で、
秀吉に重用されたそうだ。
特に、朝鮮出兵の際には、
船の手配や武将の配分に、
その才を発揮したと言われる。
でもねえ、その時の振る舞いが、
前線で戦っていた武将たちには、
不評どころか、恨みまで買うことになってしまう。
だからねえ、
秀吉亡きあと、
せっかくの「七本槍」の仲間たちからも、
殺されかけたりしたんだよね。
でも、自分の領地を治めるには、
良い指導者だったとも言われている。
真面目で、融通の効かぬ性格のゆえ、
家康の横暴を許すことができず、
関ヶ原の戦いのような結果となったのかなあ。
鯖の味の染みたそうめんは、
見た目に反して、美味しいものだった。
ここから峠を越えた福井から、
運ばれてきた鯖を、
大切にいただくための工夫なのだろうか。
ちょうど座った場所が、
小部屋のようになっていて、
雪の積もった中庭が見える。
乱雑に積まれた本棚があって、
その上に、なんだかわからない、
黒い雲のような絵が飾ってある。
そんなところが、
また、気のおけなくていい。
石田三成について、
多くの人が、語っているが、
その人柄について、
今ひとつ、ピンとこないのだ。
かわいそうなのは、大谷刑部(ぎょうぶ)だ。
家康の東北出兵に参加しようと、
三成の元を訪ねたのに、
挙兵の意思を聞いて、
最後まで付き合うこととなる。
それなりの深い親交があったのだね。
きっと、
才はあったけれど、
生き方が下手な人だったのだ、三成は。
などと勝手に、
才もないのに、生き方も下手な私は、
そう思い描いている。
ついでに、私は、
商売も下手なようだが。
で、美味しい料理に、
いつの間にか、
酒の「石田三成」が終わっている。
私は酒が苦手なのだ。
でも、でも、
今一度、聞いてみたいのだ。
関ヶ原の古戦場巡りから始まった、
琵琶湖の4日間の旅の締めくくりに。
だから、だから、仕方なく、
仕方なく、中居さんに手を挙げる。
「石田三成、一本追加で〜す。」
ほら、やったね、三成くん。



