2020年05月

スペイン人にそばを食べさせるには、、。

私たちがスペインを訪れたのは、
この一月だった。
旅行にはオフシーズンとなり、
航空機もホテルも安い。
ということで、
貧乏の海にアップアップしている私たちでも、
やっと、行くことができたのだ。

 

今になって、
多くの人から、
いい時期に行ってきたね、
と言われる。
全くその通りだ。

 

一月のスペインでは、
街中でマスクをしている人の姿はなかった。
それが、一ヶ月後には大流行を起こし、
今や二十三万人が感染し、
二万八千人近くが亡くなっている。
人口十万人あたり50人が感染しているので、
かなりの高率となるようだ。

 

でも、このコロナ騒ぎがなかったら、
日本を訪れていたスペイン人が、
かなり居たのではないかと思われる。
私の二週間の旅行期間で、
日本に行きたいと言ったスペイン人に、
3人も出会ったのだ。

 

一人は、スペイン国内戦の飛行機内。
到着寸前に、隣の席の女性が話しかけてきた。
私のスペイン語の能力で聞き取ったところでは、
5月に会議に出席するために、東京に行くという。
その後、京都にも寄って見たいという。

 

みると、彼女の読んでいた本は、
日本の文化を紹介するものだった。
私は、5月ならば、暑くもないし、
日本を旅行するには、いい季節だと答えた。

 

二人目は、首都のマドリードで借りた、
アパートのスタッフの女性。
部屋の設備や、街の様子などの説明をした後、
来年の初めごろ、日本に行くつもりだと言う。
まだ若い彼女は、ぜひ、
東京の街を歩いて見たいと言うのだ。
ちょうど、私たちがマドリードの人混みを、
歩きたかったようにね。

 

三人目は、マドリードの中心地で、
観光客もよく来る、人気のレストランで会った。
折しも、中国の人たちがたくさんいた中で、
私たちのところに来たスタッフの兄ちゃんが、
「私は、今、日本語を勉強しています。」
と、まさに、日本語で話したのだ。

 

そして、10月ごろに、日本に来ると言う。
まず、東京、京都、神戸、広島、
そして友人の居る沖縄へ行くのだと、
見事な日本語で説明してくれた。

 

たった三人だけだったが、
日本に興味を持っているスペイン人が、
増えていることの実感となった。
何しろ、私がスペイン語を学んだ三十年前ごろには、
日本は、中国の一部だと思っているような、
スペイン人ばかりだった。

 

それが、街を歩いても、
日本料理店が増えたし、
フードコートなどでは、
スシが普通に売られている。
日本語で「ラーメン」と書かれて店もあり、
けっこう、混み合っていた。

 

東京とマドリードを、
乗り換えなしで行ける直行便も運行され、
スペインと日本との行き来が、
盛んになっているのだなあと思う。
まだまだ、僅かではあるけれど、
スペイン人の中に、
日本という国を意識する人たちが、
増えていることは、嬉しいことだ。

 

なのに、
このコロナ騒ぎて、
外国旅行どころではなくなってしまった。
彼らの計画はどうなったことだろう。

 

今は、じっと足元を見て、
目の前のことに、対応していくしかない。
でも、この状況が、
いつまで続くのかわからないが、
夢を持ち続けることは大切だ。
多くの人の思いが、
宙ぶらりんになってしまったが、
遠い世界を、見続ける気持ちは持ち続けたいね。

 

私も、スペインの人たちが、
日本にやってくるようになった時に、
どうやって「そば」を食べて貰えばいいか、
じっくりと、考えておくことにしよう。

 

ということで、
マドリードで借りたアパートの紹介。
4人で泊まったけれど、
ベットルームもシャワーも2つづつあり、
キッチン、洗濯機もあり快適だった。
場所はスペイン広場のすぐ横で、
中心部といっていいだろう。
三泊で7万円余り。

 

待ち合わせの約束と、
部屋の説明などを聞くので、
多少のスペイン語、または英語が話せることが必要。
ほとんどのところで、英語が通じるようだ。
少し旅慣れた人だったら、
ホテルより気軽で楽しいと思う。

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キッチンには、調理器具も食器もある。

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豊富な果物と生ハム、卵で朝食。

すぐ近くにスーパーがあった。

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夜のマドリードの人ごみ。

バルは、どこもたくさんの人だかり。これならコロナも一気に広まることだろう。

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何かが、変わっていくかもしれない。

未だに営業自粛が続いている。
まだまだ先が見通せない様子。
営業できるようになるには、
相当時間がかかることを覚悟しなければならないだろう。

 

みんなが行動を自粛して、
感染者が減ったところで、
この病気そのものがなくなる訳ではない。

 

この病気への確実な治療法が確立される。
ワクチンなどの予防法が広く行われる。
多くの人が、この病気の免疫を持つ。

 

そのようにならない限り、
今まで通りの世の中に、
戻れないだろうなあ。

 

百年近く前の関東大震災では、
東京の街は大打撃を受けた。
飲食店の多くは、廃業せざるを得なかったそうだ。
多くの料理人が地方に帰ったので、
東京の料理が、全国に広まるきっかけになった、
という説もあるそうだ。

 

そば屋の世界では、
この後に、製麺機が一気に普及したという。
再建を機に、合理的な営業を目指したのだね。

 

太平洋戦争中も、
飲食店は営業できなくなった。
戦後になっても、
数年間は食糧難が続いたそうだ。

 

そば屋はそば粉が入らず、
配給の小麦粉でうどんを打って、
店を支えていたという。

 

この時に広まったのが混合機、
つまりミキサーだ。
この器械がないと、営業の許可が下りなかったという。
かくして、そばの世界から「手打ち」が消えてしまったのだね。

 

また、以前のようなそばの専門店ではなく、
うどんも、丼物も置くような、
広い意味での食堂、
という、そば屋が増えたのだそうだ。
時代の変化に対応して行ったのだね。

 

さて、今のこの状態の中でも、
忙しい仕事はあるようだ。
また、多少は支障のあるものの、
業務を続けられている方もいらっしゃるだろう。

 

でも、飲食店は手も足も出ない。
でも、悶々としている訳にもいかないので、
少しはもがいてみることにしよう。

 

この世界的な災難の後には、
私たちの意識や行動が、
大きく変わるかもしれない。
世の中のしくみも、世界の力関係も、
変化を見せるに違いない。

 

そんなことを考えていると、
毎日が、結構忙しい、、、のだ。
まずは、歩き回って、身体を鍛えておくことにしよう。

 

ということで、近くの裏山歩き。
そこから見えた鹿島槍ヶ岳です。
登山もしばらく自粛ですね、、、、。

 

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