かんだたの世界

スペイン人にそばを食べさせるには、、。

私たちがスペインを訪れたのは、
この一月だった。
旅行にはオフシーズンとなり、
航空機もホテルも安い。
ということで、
貧乏の海にアップアップしている私たちでも、
やっと、行くことができたのだ。

 

今になって、
多くの人から、
いい時期に行ってきたね、
と言われる。
全くその通りだ。

 

一月のスペインでは、
街中でマスクをしている人の姿はなかった。
それが、一ヶ月後には大流行を起こし、
今や二十三万人が感染し、
二万八千人近くが亡くなっている。
人口十万人あたり50人が感染しているので、
かなりの高率となるようだ。

 

でも、このコロナ騒ぎがなかったら、
日本を訪れていたスペイン人が、
かなり居たのではないかと思われる。
私の二週間の旅行期間で、
日本に行きたいと言ったスペイン人に、
3人も出会ったのだ。

 

一人は、スペイン国内戦の飛行機内。
到着寸前に、隣の席の女性が話しかけてきた。
私のスペイン語の能力で聞き取ったところでは、
5月に会議に出席するために、東京に行くという。
その後、京都にも寄って見たいという。

 

みると、彼女の読んでいた本は、
日本の文化を紹介するものだった。
私は、5月ならば、暑くもないし、
日本を旅行するには、いい季節だと答えた。

 

二人目は、首都のマドリードで借りた、
アパートのスタッフの女性。
部屋の設備や、街の様子などの説明をした後、
来年の初めごろ、日本に行くつもりだと言う。
まだ若い彼女は、ぜひ、
東京の街を歩いて見たいと言うのだ。
ちょうど、私たちがマドリードの人混みを、
歩きたかったようにね。

 

三人目は、マドリードの中心地で、
観光客もよく来る、人気のレストランで会った。
折しも、中国の人たちがたくさんいた中で、
私たちのところに来たスタッフの兄ちゃんが、
「私は、今、日本語を勉強しています。」
と、まさに、日本語で話したのだ。

 

そして、10月ごろに、日本に来ると言う。
まず、東京、京都、神戸、広島、
そして友人の居る沖縄へ行くのだと、
見事な日本語で説明してくれた。

 

たった三人だけだったが、
日本に興味を持っているスペイン人が、
増えていることの実感となった。
何しろ、私がスペイン語を学んだ三十年前ごろには、
日本は、中国の一部だと思っているような、
スペイン人ばかりだった。

 

それが、街を歩いても、
日本料理店が増えたし、
フードコートなどでは、
スシが普通に売られている。
日本語で「ラーメン」と書かれて店もあり、
けっこう、混み合っていた。

 

東京とマドリードを、
乗り換えなしで行ける直行便も運行され、
スペインと日本との行き来が、
盛んになっているのだなあと思う。
まだまだ、僅かではあるけれど、
スペイン人の中に、
日本という国を意識する人たちが、
増えていることは、嬉しいことだ。

 

なのに、
このコロナ騒ぎて、
外国旅行どころではなくなってしまった。
彼らの計画はどうなったことだろう。

 

今は、じっと足元を見て、
目の前のことに、対応していくしかない。
でも、この状況が、
いつまで続くのかわからないが、
夢を持ち続けることは大切だ。
多くの人の思いが、
宙ぶらりんになってしまったが、
遠い世界を、見続ける気持ちは持ち続けたいね。

 

私も、スペインの人たちが、
日本にやってくるようになった時に、
どうやって「そば」を食べて貰えばいいか、
じっくりと、考えておくことにしよう。

 

ということで、
マドリードで借りたアパートの紹介。
4人で泊まったけれど、
ベットルームもシャワーも2つづつあり、
キッチン、洗濯機もあり快適だった。
場所はスペイン広場のすぐ横で、
中心部といっていいだろう。
三泊で7万円余り。

 

待ち合わせの約束と、
部屋の説明などを聞くので、
多少のスペイン語、または英語が話せることが必要。
ほとんどのところで、英語が通じるようだ。
少し旅慣れた人だったら、
ホテルより気軽で楽しいと思う。

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キッチンには、調理器具も食器もある。

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豊富な果物と生ハム、卵で朝食。

すぐ近くにスーパーがあった。

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夜のマドリードの人ごみ。

バルは、どこもたくさんの人だかり。これならコロナも一気に広まることだろう。

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何かが、変わっていくかもしれない。

未だに営業自粛が続いている。
まだまだ先が見通せない様子。
営業できるようになるには、
相当時間がかかることを覚悟しなければならないだろう。

 

みんなが行動を自粛して、
感染者が減ったところで、
この病気そのものがなくなる訳ではない。

 

この病気への確実な治療法が確立される。
ワクチンなどの予防法が広く行われる。
多くの人が、この病気の免疫を持つ。

 

そのようにならない限り、
今まで通りの世の中に、
戻れないだろうなあ。

 

百年近く前の関東大震災では、
東京の街は大打撃を受けた。
飲食店の多くは、廃業せざるを得なかったそうだ。
多くの料理人が地方に帰ったので、
東京の料理が、全国に広まるきっかけになった、
という説もあるそうだ。

 

そば屋の世界では、
この後に、製麺機が一気に普及したという。
再建を機に、合理的な営業を目指したのだね。

 

太平洋戦争中も、
飲食店は営業できなくなった。
戦後になっても、
数年間は食糧難が続いたそうだ。

 

そば屋はそば粉が入らず、
配給の小麦粉でうどんを打って、
店を支えていたという。

 

この時に広まったのが混合機、
つまりミキサーだ。
この器械がないと、営業の許可が下りなかったという。
かくして、そばの世界から「手打ち」が消えてしまったのだね。

 

また、以前のようなそばの専門店ではなく、
うどんも、丼物も置くような、
広い意味での食堂、
という、そば屋が増えたのだそうだ。
時代の変化に対応して行ったのだね。

 

さて、今のこの状態の中でも、
忙しい仕事はあるようだ。
また、多少は支障のあるものの、
業務を続けられている方もいらっしゃるだろう。

 

でも、飲食店は手も足も出ない。
でも、悶々としている訳にもいかないので、
少しはもがいてみることにしよう。

 

この世界的な災難の後には、
私たちの意識や行動が、
大きく変わるかもしれない。
世の中のしくみも、世界の力関係も、
変化を見せるに違いない。

 

そんなことを考えていると、
毎日が、結構忙しい、、、のだ。
まずは、歩き回って、身体を鍛えておくことにしよう。

 

ということで、近くの裏山歩き。
そこから見えた鹿島槍ヶ岳です。
登山もしばらく自粛ですね、、、、。

 

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営業自粛で毎日「そばニラせんべい」ばかり食べています。

新型コロナウイルスの拡散防止のため、
営業自粛を続けている。

 

愚痴を言っていてもしょうがないので、
毎日家で、片付けなんぞをしながら過ごすことになる。
畑仕事をしたり、庭の手入れをしたり、
時には裏山(?)への散歩なんぞをしていて、
なにやら、毎日忙しい。

 

そこで、自宅で食事をすることになるのだ。
畑で、今の時期の採れるものといえば、
ニラばかり。
それもたっぷり。
それに、仕入れたものの、使えなくなったそば粉が、
これもたっぷりとある。

 

そこで毎日のように、
ニラとそば粉で「そばニラせんべい」なんぞを作っているのだ。

 

先日Facebookでそれを紹介したら、
どうやって作るのかと、ご質問をいただいた。

 

そこでレシピを紹介。

 

最初に知っていただきたいのは、
「ニラせんべい」というのは、
長野県の北部、
北信地方と呼ばれる地域の郷土食なのだ。

 

小麦粉を水で溶いて、
刻んだニラを混ぜて、ほうろく、
いや、今はそんなものはないから、
フライパンで焼いただけのもの。
「薄焼き」ともいうらしい。

 

甘醤油や甘味噌をつけていただいたり、
最初から、生地に、味噌味なんぞをつけたりする。
ちょっと、小腹の空いた時に食べる、
おやつのようなもの。

 

そんな、長野県人なら当たり前の食べ物を、
小麦の代わりに、そば粉を使っただけのこと。

 

レシピらしく材料から。
そば粉    80グラム
ニラ      二束分ぐらい
そばつゆ     80ml
水         80ml

 

1、ニラを洗って(畑で採ったものは、外葉をとります)3、4センチに切る。
2、ボウルに入れたそば粉に、水を加える。
 ダマになりやすいので、よくかき混ぜながら、水を少しづつ加えるように。
3、そばつゆを加えて混ぜ、さらに、ニラを入れてかき混ぜる。
 ニラの量にもよりますが、この時、少しトロっとした感じの方が焼きやすいので、水を加えて調整します。

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4、フライパンに、油を引いてから、中火にして、3の生地を流し込みます。
 蓋をして3分ぐらい焼き、表面が乾いてきたら、ひっくり返して2分ほど焼きます。
 焼き時間は、生地の厚さで調整してください。
 小さなフライパンの場合は、二回に分けた方がいいかも。

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5、まな板に乗せて、ピザのように8等分に切ります。
6、甘味噌を塗っていただきます。

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あっ、甘味噌を作っておかなければいけませんね。
味噌、砂糖、みりんで煎りつければ簡単にできます。
私は、今の季節なので、自家製の蕗味噌でいただいております。
お好きな調味料で召し上がって頂ければと思います。

 

本来はおやつなのでしょうが、
私なんぞは、シッカリと昼食としていただいております。
やはり畑で有り余っている、サラダ野菜とともにね。

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まだまだ営業再開には、
時間がかかりそうですが、
日々、気持ちを途切らせないように、
励みたいと思います。
皆さんもお大事に。

 

 

ペンギンはダチョウに追い抜かれる。

世の中は、どうしようもない状態が続いている。
飲食店は、どこも大変なことでしょうね。

 

で、手持ちぶたさでじっとしてもしょうがないので、
この時間に、少し、体の調子を整えることに。

 

実は、数年前から、心臓の脈の気まぐれに悩んでいたのだが、
昨年の冬に、あまりにひどくなったので、
行きつけの医者に見てもらった。

 

いろいろ調べたが、
病的なものではないそうだ。
このような不整脈の原因は、
加齢の他にもいろいろとあるようだが、
普段の生活習慣の影響もあるらしい。

 

日々の慢性的な睡眠不足も、
その中の一つらしい。
そこで、毎日五時間の睡眠では身が持たない、
ということで、今年からは、夜の営業は取りやめ。
昼のみの営業で、
しかりと、睡眠時間を確保させていただくことにした。

 

今は、いい薬もあるから、
あまり心配しないように、、、
との、先生のお言葉。
そして、最後にキメの一言。
あっ、もう三キロか五キロぐらい、痩せたほうがいいよ。

 

もう先生。
ニコニコしながら、どきっとする事を言うのだから。
それこそ心臓に悪い。

 

確かに、店の中で立ちっぱなしで、
働いているけれど、
全身の運動をしているとは言い難い。
畑仕事に行けるのは、
週に一度だけだ。
山登りだって、年に五、六回しか行けない。
それも、亀のようなノロ足で。

 

この運動不足をなんとかしなければ。

 

だから、仕事が終わった夜に、
街を歩くようにした。

 

ご存知のように、
ただ、漫然と歩いているだけでは、
あまり運動効果はないと言う。
それなりに、早く歩くことが大切だそうだ。
だから、長野の街の中を、せっせと
歩くことにする。

 

どうも私の親戚に、ペンギンがいて、
その血が受け継がれているようだ。
一生懸命に歩いていても、
よちよちとしか歩けない。
速い人は、スタスタと追い越していくのだよ。

 

先日は、たまたま、県庁の退庁時間と重なった。
県庁の皆さん、揃ったように黒いカバンをぶら下げて、
早足で、歩いていかれる。
それが速いのだね。
たちまち、追い付かれ、
追い越され、
離されてしまうのだ。

 

私と同じような小柄な女性も、
携帯電話を見ながら、
腕も振らずに追い抜いていく。
きっとこの人たちは、
ダチョウの親戚なのだろうなあ。

 

1日に1万歩以上歩くといいと言うが、
これは大変だ。
店から、善光寺にお参りして、
長野駅までくだってきて、
また店まで戻れば小一時間はかかる。
それでも歩数は七千歩ぐらい。
ええっ、そんなものなの。

 

それでも、
これを習慣としていくことが、
大事なのだろうなあ。

 

それにしても、
長野の夜の街は静かになっている。
ここのところの情勢で、
特にそうなのだろう。

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街を歩いてみれば、
知らない店ばかり、
ずいぶんと増えている。
こんな店もあるのだなと、
驚かされることもある。
みんな、がんばっているんだね。

 

ちなみに、
私は「歩く」ことをしているので、
「飲み」と言う帽子はかぶっておりません。
誤解のありませぬように。

 

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ただいま、胃のピロリ菌除菌中。

またしても、個人的な話題で申し訳ないのですが、、。

大腸の検査をしたので、
これを機会に胃の方も診てもらうことにした。
なんとなく、胃のあたりが、
重たいような感覚があったからだ。

ということで、
上部消化管内視鏡検査なるものを受けることにした。
要するに、胃カメラを飲むことだね。

この検査をするのは十数年ぶり。
先生が麻酔をしますかと聞くので、
お願いしますと答えた。
以前に、胃カメラを飲み込む時に、
ずいぶん苦しかったからだ。

麻酔といっても、意識がボオーとするぐらいだと思っていたら、
注射を受けて、間もなく意識を失い、
看護婦さんに起こされて眼を開けたときには、
もう検査は終わっていた。
何の痛みもなく、本当に胃カメラを入れたのかな、
などと、疑いたくなるような気持ちだ。

しばらく休んでから、
医師の説明を聞いた。
「診たところ、慢性胃炎ですね。
 あと、逆流性食道炎の痕跡があります。」
胃炎とは、胃の粘膜がただれていることなのだそうで、
写真を見せていただいたが、よくわからない。

なんでも、胃の中に住むピロリ菌の影響かもしれない、
とのことで、尿の検査をしたら、
ドンピシャリ。
医師のいうことには、
この菌がいても、
放おっておいても大丈夫な人もいるし、
胃がんに進む人もいるという。

今はいい薬があるので、
その、ヘリコバクター・ピロリ菌というやつを、
かなりの確率で、取り除けるという。
副作用のリスクもあるが、
その除菌薬を飲むことにした。

とにかく7日間、
連続して薬を飲み続けないといけないらしい。
抗生物質なので、腸などにも影響があるかもしれないそうだ。

ということで、
只今、ピロリ菌除菌中。
5日目だけれど、今のところ、
副作用もなく過ごしている。

話は変わるが、
私はこの頃、自分で勝手に、
「六時間眠ろうキャンペーン」を試みている。
少なくとも、そのくらいは眠らないと、
体によくないと言われているからだ。

ところがこのキャンペーン、
達成率は、30%まで届かない。
つまり、定休日も含めて、
月に7日か8日しか六時間以上寝ていないのだ。
細かい仕事に追われて、
どうしても、五時間を切る日もあるような状態。

医師のいうことには、
十分な睡眠を取ることも、
胃の健康につながるのだそうだ。

私も60歳を超えて、
無理の出来ない体になってきている。
店の作業の能率を上げ、
一日の仕事量を、ぐっと搾る努力をしないといけないねえ。

体がいい状態だからこそ、
いいそばが打てるのだから。

、、て、なんだか、年寄りのぐちになってしまった。

 

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入院して、久しぶりにゆっくり読書三昧

いやいや、今月は、四日間の入院をした。
といっても、
具合が悪いわけではない。
とにかく安静が必要とのことで、
点滴と、釜を洗った湯のような重湯の食事で、
ベットの上で過ごしていたのだ。

昨年の夏の市民検診で、
大腸がんの発見のための、
便の潜血検査に反応が出てしまった。
店の近くの病院で、
大腸の内視鏡検査を受けると、
なんとまあ、5ミリほどのかわいいポリープが見つかった。

その病院では、切除が出来ないとのことで、
他の病院を紹介された。
最初はある大病院を紹介されたのだが、
あそこは、人が大勢居て、
落ち着かないことは経験済み。
そこで、
前に女将が入院した小さな病院にいくことにしたのだ。

大腸の内視鏡検査は、
ご存知のように、
腸をきれいにするために、
二リットルの下剤を飲まなければならない。
そして頻繁にトイレに通わなければならないのが、
なんともうっとうしい。
しかし、内視鏡を使ったポリープの切除手術そのものは、
それほど痛みも苦痛もなく、
結構簡単に終わってしまった。

手術中、腸が動くというので、
モニターが見えない方向に向けられてしまったのが残念。
でも、あとで写真で見せていただいた。
切ったあとは、
洗濯ばさみのような3つのクリップで、
出血しないように留められていた。
ずいぶん細かい作業なのだね。

私のポリープは、
キノコ型ではなく、富士山型なので、
後で、出血しやすいとのこと。
だから、
ベットの上でひたすら安静に努めていた。
もっとも、動けないように、
ずっと点滴をされていたが。

お陰で、
久しぶりの読書三昧。
持っていった電子ブックで、
藤沢周平と司馬遼太郎。
あっという間に、四日間が過ぎてしまった。
もう何日間か、入院していたかったなあ。
何しろ、
こんなことでもないと、
ゆっくりと本を読む時間もないのだ。

大腸に出来たポリープといわれる突起は、
放おって置くと、ガンになる可能性が高いと言われている。
だから、内視鏡で取り除けるうちに、
手術をしておいたほうが良いのだね。
その方が、腹を切るよりは、
体の負担が軽くて済む。
ちなみに私のポリープは、
癌になるタイプではなく、
単なる出来物だったと、
あとの検査でわかった。

大腸がんは、早めに発見されれば、
それほど大事にならない。
女将も、もう十年近く前に見つかり、
腹を切って取り除いた。
よいことか、悪いことか知らないが、
いまだにピンピンしている。

とはいえ、
不幸な話もずいぶん聞いている。
毎年、りんごを送っている遠方の友人は、
大腸がんでなくなったと、
その妹さんから突然の電話を頂いた。
私より、十歳ぐらい若かったのに。
あるそば屋さんの奥さんは、
体調が悪かったのに我慢をして、
気がついたときには手遅れだったのだそうだ。

検査は、たしかに抵抗のある方もいるかもしれないが、
ぜひ、受けたほうが良いだろう。
病気になって苦しむのは、
本人ではない。
実は、本人の周りの人達なのだから。

入院三日目にして、
やっと、ご飯粒の見えるおかゆの食事になった。
食べ物と腸の関係、
不思議だなぁ。

 

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新蕎麦で俳句なんぞ

新そばの季節ですね。
で、新そばにまつわる俳句を紹介。

山国や新蕎麦を切る音疾し
      井上 雪

新そばは、打っていても、滑らかさが違う。
確かに、切るときも、
トントンと気持ちよく切れる気がするね。
このそばを切る音が、
この時期の信州らしいと、
ラジオ局が、音だけ採りに来たりして。


新蕎麦の袋を縫いぬ赤き糸
      長谷川かな女

そば粉は、湿気を調整するために、
紙の袋に入れられ、店に届く。
その袋の口を閉じてあるのが、
赤と白の糸なのだ。
しっかりと縫い込まれているが、
赤い糸を引くと、
サッと、その縫い目がほどけるようになっている。

別に、新そばでもなくとも、
そのように縫った紙袋が届くのだが、
今日から新そばの粉だと思うと、
その赤い糸が、何故か、特別のものに思われるのだね。


新蕎麦やむぐらの宿の根来椀
         蕪村

ちょっと難解な蕪村の句。
むぐらの宿とは、草の生い茂った、
荒れ果てた家のこと。
根来椀といえば、
黒塗りに、朱のウルシを重ねた実用的な器。
さて、そこにどうして新そばなのか。
よく解らないけれど、
なんだか気になる一句。


そば時や月の信濃の善光寺
        一茶

こちらは有名な句。
信州のいいとこ取りというところ。

ということで、
とにかく新蕎麦をお楽しみいただければ。

 

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