そばの世界

そばとウクライナ紛争との影響は。

全世界での生産量は290万トン。

これはトウモロコシの11億5千万トン、
小麦の7億6千万トン、
米の4億8千万トン
に比べれば全く微々たるものだ。

統計の出ている2018年の数値では、
生産量の順位は、
1、中国」 113万5千トン
2、ロシア 93万7千トン
3、フランス 18万8千トン
4、ウクライナ 13万7千トン
  ・
  ・
  ・
10、日本  2万9千トン

これ、もちろん、そばの生産量の話。
この年は、たまたま中国がトップになったが、
その前の年まで、
ずっとトップにいたのは、ロシアの方だ。

日本の国内でのそばの需要は、
約13万トンと言われている。
国産は3万トン弱しかないので、
残りの10万トンは輸入されている。
そのほとんどが中国からだが、
ロシアからも年に1万トンを買っている。

ロシアはそばの生産量が多いのだから、
もっと取引があっていいはずなのだが、
そうもいかないようだ。
ロシアでは、主に、
そばの実のお粥(カーシャというらしい)や、
パンケーキにして食べられているという。
ところが、同じそばでも、
なかなか、日本の蕎麦に向くものが、
少ないそうだ。

それでも商社の方々が苦労して、
ロシアからの輸入が始まったのが、
10年ほど前のこと。
あまり質が評価されないので、
主に加工用として使われているという。

ロシアとウクライナを巡る、
不幸な出来事の勃発によって、
日本のそばの事情に影響するのではないか、
ということを心配される方も、
いらっしゃるようだ。

でも、数字で見れば、
このような状態なので、
普通に店で食べられるそばには、
ほとんど影響がないと、
考えていいのではないかな。

むしろ、問題なのは、
ここ一、二年で外国産、
特に中国産の輸入蕎麦粉の価格が、
急上昇しているのことだ。

これは、その国の事情もあるが、
世界的に、輸送コストが上昇しているという理由がある。
そう、コンテナ不足や、
燃料費の高騰などだ。

今度の紛争が、
さらに、そういう事情に拍車をかける、
という可能性はある。
だから、日本のそば業界も、
恐れをなしているところらしい。

今まで、安価な外国産の蕎麦粉を使っていた、
値段で勝負していたような店は、
値上げ対応を迫られるかもしれないね。

今まで、高くとも、
国産の蕎麦粉を使い続けていた私としても、
黙ってはいられない。
つい、ざまを見ろ!
と言いたいのだが、
そんなことは口が裂けても言ってはいけない。
(ここ、消しておいてください)

今の日本は、多くの食品を、
外国の産物に頼っている。
だから、何か変事があったときには、
大きな影響を受ける可能性があるのだ。

日本の国の中では、
まだまだ、たくさんの食物を作る余力があるのに、
どうして、
遠い外国で作られたものの方が、
安く手に入るのだろう、、、。

そういうことを、
根本的に、考えなければね。
いや、考えるだけでなく、
改善していかなければ、、、。

みなさん、
国産のそばを食べましょうね。

 

 

 

 

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「そばの花」は秋の季語。

ご存知のように、今、そば屋を含めて、
外食産業は、大きな危機を迎えている。
何かを書こうとすると、
つい、誰かを責めたり、
愚痴をこぼしてしまったり、
ということになるので、何も書けなかった。

ということを言い訳にして、
ブログの更新をさぼってしまった。
すみません。

長野ではもう、そばの花が咲き始めたようだ。
先日、信濃町方面に行かれたというお客様が、
そうおっしゃっていた。
北海道では、もう収穫が始まっているらしい。
そう、もうじき、新そばの季節。
気持ちを切り替えて、
前を向きたい、、、ところ。

ということで、そばの花の俳句なんぞ。

 


「蕎麦はまだ花でもてなす山路哉」
            芭蕉

そばの花と言っても、
見たことのない方にはわかりづらいようだが、
白い花が一面に咲き誇っているので、
一度ご覧いただくと理解いただけると思う。

 

「信州の浄土の白さ蕎麦の花」
          鷹羽狩行

そばの花の白さは、確かに目を引くようだ。
陽に照らされ、遠景に山でも入れば、
さらに、清らかに美しくも見えるだろう。
浄土のようにというぐらいだから。
でも、それは、都会から来る旅人の目。

 

「しなの路やそばの白さもぞっとする」
           一茶

信州育ちの一茶にとっては、
そばの花の白さは、
来たるべく雪の世界を想像させる。
その冬の厳しさに、今からゾッとしているのだね。

 

「暮れても蕎麦の花があり月があり」
           荻原井泉水

この句を読むと、
夜の桜もいいが、月に照らされたそばの花も、
なかなか風情を感じさせる。
そばの白さは、薄暗闇にも、浮くような気がする。

 

「秩父路や天につらなる蕎麦の花」    
           加藤秋邨

そばの産地として知られる秩父。
山の上の方までそばを栽培していたのだ。
今では見られない、少し昔の光景だろう。

 

「いかめしき門を這入れば蕎麦の花」
           夏目漱石

屋敷の中で、そばを栽培していたのだろうか?
鑑賞用に植えることはないと思うので、
そばの畑があったのだろう。
漱石の時代には、まだ武家屋敷が残っていて、
屋敷内にそこそこの畑があったのかもしれない。
そばを育てるなんて、いかめしい門のわりに、
庶民的な主人なのかもしれない。

 

最後はやっぱり、もう一度、一茶。

「そばの花江戸のやつらがなに知って」
               一茶

厳しい山国の暮らしも知らず、
何を言ってやがるんだ、江戸の奴等め。
いいなあ、一茶の、この意地っ張りなところ。

信州では、今を盛りのそばの花。
機会があれば、ぜひ、眺めていただき、
一句なんぞを、、、。

 

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醤油は二年かけて作られる。

先日は、パートさんの研修会ということで、
須坂にある老舗の味噌屋「塩屋」さんの、
蔵を見学させていただいた。

 

ここは江戸時代中期の創業で、
海のない信州で、塩の扱いをしていたのが、
そのまま屋号になったそうだ。
途中から、味噌、醤油の醸造を始め、
今では味噌の製造が主流となっているようだ。

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江戸時代から明治にかけて建てられた蔵が並び、
国の登録文化財に指定されている。

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まず、案内されたのが、味噌蔵。

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私の背よりも、大きな木の桶が並んでいる。
この時期は醸造していないが、
春に仕込んで、夏に寝かし、
秋になって出荷するそうだ。
この木の桶は、今では、
作っているところがなく、
タガを修理するにも苦労しているという。

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味噌を作るには、
塩の力というものが大切だとか。
最初は味噌玉にして、
様々な菌を繁殖させ、
その後塩を加えて、有用な菌だけを繁殖させ、
熟成させるのだそうだ。

 

場所によって、様々な菌が住みついていて、
昔、それぞれの家で作っていた頃は、
同じように作っても、微妙に味が違った。
それが「手前味噌」の謂れなのだそうだ。

 

今は、温度管理された工場で、
短期間に作られる味噌がほとんどだが、
ここでは、昔ながらの木の桶で、
時間を掛けて作られているのだね。

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きれいに手入れされた中庭を通って、
今度は醤油蔵へ。
ここでは、醤油を絞る機械を見ることができる。

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知らなかったけれど、
日本酒と同じように、
醤油も、もろみを袋に入れて重ね、
上から圧をかけて絞るのだね。

 

明治の頃から使っているという、
その機械の古めかしいこと。
長く伸びた木の棒を使って、
ギリギリと絞っていくのだそうだ。

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醤油作りには、いくつかの工程があり、
味噌造りよりも手間がかかるそうだ。
天然の素材だけで作っているので、
熟成して、製品にするまで、
二年もかかるという。
なかなか、醤油らしい色が出ないとか。

 

そんなに時間を掛けて作られているとは、
私も知らなかった。

 

最後に、蔵のなかで、味噌汁と甘酒をいただいた。
発酵という、微生物の不思議を感じながら、
味わう本物の味だ。

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醤油というものも、
こうやって、昔ながらの方法で作られているのだね。
かんだたのそば汁に使う醤油を選んだとき、
取り寄せた数種類の中から、
迷わずにコレに決めたのは、
やっぱり正しかったのかな。
値段は一番高かったけれどね。

 

ということで、
なかなか見ることのできない、
味噌や醤油の製造現場を見せてもらった。
昔ながらのじっくりとした造りをしていることと、
我々のために時間を割いてくれた塩屋さんに、
深く感謝です。

 

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そばの輸入の75パーセントは中国産。

さて、昨年は全国的にそばが不作で、
国産の玄ソバが不足して、
値段が高騰していることを、
前回のブログでお伝えした。
 
どうしても、質の良いそばがなければ、
この夏を乗り切るためには、
外国産を使わなくてはならないかと覚悟していたのだが、
どうやら、その怖れはなさそうだ。

さて、そばの輸入について、
昨年の財務省の統計が出ていた。

玄そばの輸入量は、5万4千トン。
一位は中国で2万5千トン。
次がアメリカで、1万7千トン。
三位がロシアで、8千トン余りとなっている。

アメリカでは、健康食ブームもあって、
そばの栽培が盛んになっているそうだ。
でも、そこで栽培されるのは、
シリアルやクッキー向けで、
淡白な味のそばなのだそうだ。

だから、日本向けに風味の強い品種を開発し、
契約栽培で作られているらしい。
そのため、毎年、ほぼ同じ量が輸入されるし、
価格変動はあまりない。

そう言えば、何年か前に、
そばの農園をやっているという、
体格のいいアメリカ人が、
製粉会社の人とやってきたことがあったっけ。
ちゃんと、日本で食べられているそばを、
研究しているのだね。

ロシアからの輸入は、
ここ数年でグンと伸びている。
もともと、ロシアや東欧諸国は、
そばの栽培の盛んなところ。
粒のままスープにして食べられているとか。
あれ、キャビアも、そば粉のクッキーで
食べるのではなかったっけ。

ところが、商習慣の違いや、
手続きの問題などがあり、
なかなかスムーズにいかないところがあるようだ。
価格も、輸入量も、変動が激しいところだ。

全体に、玄そばの輸入量は、
減少傾向にあるという。
特に、中国からの輸入は減っている。

ところが、日本のそばは、
やっぱり中国の力に頼っているのだね。
玄そばの代わりに増えているのが、
皮をとった抜き(むき実)なのだ。
これらは主に、乾麺などの加工用に使われるらしい。

今や、中国からは、玄そばより多く輸入され、
抜きは、玄そばに換算すると、
5万トンぐらいになるらしい。

一昨年の統計では、
玄そば、抜きを合わせた輸入量の総計は、
約10万トン。
そのうち75パーセントは中国からのものだ。

この中国産の値段は、
以前に比べてかなり高くなっていて、
今や、アメリカ産と同じぐらいになっているとか。
加工業者さん泣かせなのだ。

そこで、たくましき日本の商社は、
新たな産地を求めて、
ブラジル、モンゴルなどからも、
そばを輸入しようとしているとか。

でもねえ。

日本には、
空いている畑がたくさんあるのだよ。
この長野の周辺だって、
少し山の中に入ってみれば、
動物の住処となるつつある、
かっての耕作地がたくさんある。
せっかく、お金と労力を使って切り開いたのにね。

一茶の時代のように、
山の上まで真っ白になるまで、
そばの花が咲き乱れるような風景は無くなってしまった。
今、そばの花が咲くのは、
かって米が作られていた田んぼなのだ。
米も余っている時代になってしまったからね。

値段が安いからと、
遠くのそばを買いに行くのではなく、
なんとか、身近で、
美味しいそばが採れるようになってもらいたいものだ。

 

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去年も不作!国産ソバが不足している。

なんでも、和菓子屋さんが困っているらしい。
アンコの材料となる、
国産の小豆が、天候不順のため不作で、
手に入りにくくなっているとか。
もちろん値段も上がっている。

 

これは、昨年の、北海道の長雨が原因だとか。
ほとんどが、北海道産に頼っていたため、
ここで採れないと流通しないのだそうだ。

 

これは、ソバも同じこと。

 

年によっては、全国のソバの生産量の、
半分近くを育てていた北海道なのだが、
昨年は、量が、ぐっと減ってしまった。

 

長野をはじめとする他の産地の収量も思わしくなく、
全体に、国産のソバが、手に入りにくくなってしまったのだ。

 

色々と情報が錯綜していて、
迂闊なことを書けなかったのだが、
先月になって、農水省の統計が発表された。

 

それによると、
昨年30年の全国のそばの収穫量は、
前年の16パーセント減の28,800トン。
なんだ、たくさん採れているではないか、、、
と思ったら、ちょっと違うようだ。

 

豊作と言われた平成24年には、
全国で44,600トン採れている。
その時の収穫率は、
10アールあたり73キロ。
ところが、昨年は、
10アールあたり45キロしか採れていないのだ。

 

これでは、質の良いソバは限られてしまうし、
農家の人も、
収穫が少なくて大変だろうなあ。

 

ということで、
質のいい国産のそば粉の相場は、
カクッと音を立てて上がってしまった。
製粉屋の社長は、玄ソバを仕入れるために奔走し、
ますます不機嫌な顔になっているとか。

 

どうもここのところ、
そばの出来の悪い年が、
数年続いている。
それだけ、自然の変化に、
弱い作物なのかもしれない。

 

また、農家の人も、
あまり、生産に力を入れていない現実もあるようだ。
だって、他の作物に比べて、
あまりお金にならないからね。

 

今年こそ、
天候に恵まれて、
良いソバがたくさん採れますように。
って、毎年言っている気がするが、、、。


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大盛りのない店、盛りの少ない店にはそれなりのコダワリ。

先日、ある蕎麦屋でそばを手繰っていたら、
あとから来た人が、
そばの大盛りを注文した。
そしたらご主人が、大盛りはやっていないという。
一枚召し上がっていただいた上で、
追加のご注文をお願いいたします、
との、丁重なご説明。

そこは、粉も自分で挽いている、
こだわりのお店。
自分の苦労をかけたそばを、
最後まで美味しく召し上がっていただくために、
あえて、そういう選択をしているのだね。

東京の老舗の蕎麦屋でも、
大盛りという頼み方は無いところが多い。
そばは伸びやすいので、
一度にたくさんのそばを盛れば、
最後の方は、味がだれてしまう。
だから、たくさん召し上がりたい方は、
「御替わり」を頼んだほうが、
美味しくいただけるというわけだ。

老舗のそばの盛りが少ないというのも、
同じ理由による。
一度に食べるそばの味が、
舌に飽きないうちが、そばを楽しめる。
つい勘ぐりたくなるが、
けっしてケチなわけではない。

なんでも、昔のそばの盛りは、
今よりずっと少なかったらしい。
明治の初めに撮られた写真で、
芸者さんたちが、何人かでそばを食べる写真を見たことがある。
それぞれの女性が、せいろを何枚も積み重ねているところを見ると、
この人達はよっぽど大食い、、、、
ではなく、一枚のそばの量が少なかったようだ。

なんでも、明治の終わり頃までは、
そばの一人前といえば、
せいろが二枚来たのだそうだ。

今でも長野県の中部や南部では、
そんな習慣があって、
一人前と頼むとそばが二枚来る店がある。

だから、せいろ一枚の量が少なかったのだね。

確かに、食べ比べてみると、
少ない量で、その都度そばを茹でてもらったほうが、
飽きずに、そして、量をいただけるようだ。

なんでも、大盛りと注文される前に、
そんな食べ方も試されるといいかもしれない。

ちなみに、かんだたでは、
しっかりと大盛りがあったりして。

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昨年も信州産は、天候の影響を受けてしまった。

農水省の発表によると、
昨年の全国のそばの生産量は、
約3万4千トン。
そのうち北海道が、1万7千トンで、
52%を占める。
長野産は2千トンを超え、
都道府県別では第二位となった。

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一昨年は、長野県産のそばは大不作で、
質のいいそば粉が採れなかった。
だからと、去年は期待していたのだ。
9月までは天候に恵まれ、
目につくそば畑も、順調に花が咲いていた。
ところが、刈入れ時の十月になって、
長雨が続いてしまった。

おかげで、そばの収穫が伸び伸びとなり、
ついには倒伏して、
刈り取られなかったそばが多かったという。
11月の初めに山歩きに行ったときに、
そんな畑を目にして唖然としたものだ。
農家の人も、
大きな手間を掛けてまで、単価の安いそばを、
刈り取ろうとはしなかったのだね。

この天候不順が、
長野ばかりでなく、
東北、関東のそば畑にも影響したようだ。
単位面積あたりの収穫量も、かなり下がっているようだ。
一方、北海道は、台風などの被害もなく、
順調に育った様子。

そばは、どうしても、
その年の天候の影響を受けやすい。
この表のように、栽培面積は変わらないのに、
収穫量が大きく変動している。
そして、その質も変化が大きいのだ。

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同じ畑で作っても、
毎年収穫量やそばの質が違うのだ。
農家の人も大変だ。

その中で、安定して、
質のいいそば粉を提供しようとしている、
中間業者さんや製粉屋さんの苦労は計り知れない。

スポット的に質のいいそば粉が手に入っても、
それを継続的に入手できなければ、
そば屋としての商売は成り立たない。
そばの出来が悪かったから、
このくらいの味で我慢してくれ、
などと、言ってみたいが、
お客様には受け入れられないだろうなあ。

産地にこだわることも大切だが、
そばの場合は、こういう変動が大きいことを、
知っていただきたいと思う、、、しだい。

こちらは、信濃町産の粉で打ったそば。
打っているときから、香りが立ち上がる、
優れたそばだ。
こういうそばを、
安定して提供できるようになればいいのだけれどね。

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小判をくずして新そばを食べる江戸っ子の粋

さて、各地の新そばも出尽くして、
そばも、どっしりと、落ち着いた味となってきた。

今は玄そばの保存環境も良くなったので、
夏を越した古そばも、それほど、捨てたものではない。
むしろ、甘みが強く、味がしっかりとしているので、
下手に青みがかった新そばより、
味わい深かったりする。
だから、「新そば」の有り難さが、あまり、
感ぜられない時代になってしまったのかもしれない。

しかし、何と言っても、新そばの若々しさにはかなわない。
特に、食感はまったく違うもの。
毎日そばを扱っている者としては、
切り替わるときには、
その差を大きく感じる。

保存の設備がなかった時代には、
梅雨を超えると、そばは風味が落ちた。
子供の頃のそばを覚えているが、
色が赤っぽくなり、独特の蒸れたような臭いを持つことがあった。

だから、昔の人は、
新そばを心待ちにしていたのだね。


〜〜 新そばに小判をくずすひとさかり 〜

 
江戸の川柳に、こんな句があった。
新そばを食べるために、小判をくずした、
つまり、小銭に換えた、それが一悶着、というわけだ。

江戸時代には、今と違って、
ちょっと複雑な貨幣制度になっていた。
小判などの金(きん)と、銀の貨幣、
そして銅銭といわれるものが、
それぞれの別のレートがあって、
その商売にあった貨幣が使われていたという。

だから、そば屋でそばを食べて、
一両小判を出したところで、お釣りなんぞ出てこない。
あらかじめ両替商というところで、
文(もん)という銅貨に換えて置かなければ、
そばを食べられないことになる。

さて、小判一枚で、つまり一両で、
そばがどのくらい食べられたかというと、
これが、なかなか。
江戸時代後期には、一両は6500文に交換されていたという。
その頃のそばは、一枚16文と決められていた。
ということは、、、

なんと、400枚ものそばが食べられることになる。
もっとも、その頃のそばの盛りは、
今よりずっと少なかったらしい。
それでも、一回三枚ずつ食べても、
百回以上は、そば屋に行けることになる。

小判一両って、価値があったのだねぇ。

おそらく、普通の町民は、小判なんぞ待っていなかったろう。
親の遺産か、なにやらの報奨で手に入れた、
虎の子の小判。
それを、新そば食べるためにくずしてしまおうというのだ。
さすがに江戸っ子、粋だねえ。

当時の人には、
「新そば」という言葉は、
それほどの価値があったということなのだろう。

それに引き換え今は、、、
なんて野暮な話はやめておこう。
今なら1万円札でもお釣りが貰えるし、
カードやスマホでも、支払いができる時代。
気楽にそば屋を楽しんでいただけたら、、、と思う次第。

 

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製粉屋さんは「設備産業」?でも、職人技も必要。

この春に、
店のスタッフの研修ということで、
いつも世話になっている製粉屋さんの、
工場を見学させていただいた。
そして、改めて、
そばを粉にする、
いや、いいそば粉を作るために、
ずいぶんとたくさんの手がかかっていることを、
みんなで実感したところだ。

この製粉屋さんは、
何十年も続く、業務店向けのそば粉を作っているところ。
地元長野のそば屋さんばかりでなく、
東京のそば屋さんにも、
数多く出荷している。
製粉工場とすれば、小規模というが、
それでも、なかなかの広さと大きさがある。

工場の三階には、まず、
玄そばを加工する設備がある。
玄そばを、様々な方法で磨いて、
ゴミや不純物を取り除かなくてはならない。
それから、皮を取りのぞき、
その皮を分離する。
そのための機械も、何種類もあり、
どれがどう動いているのか、見ただけではよくわからない。

その機械の間には、
幾つものシフターがあり、
粉をより分けている。
シフターというのは、機械式のフルイのようなもので、
網の目によって、
何段階にも粉や粒を選り分けることができる。
それが横に休みなく動いているので、
見ていると、建物全体が揺さぶられているような気がしてくる。

そうして皮を剥かれたり、
大割れといって、粗く砕かれた実が、
石臼によって挽かれていく。
二三十台もある大きな石臼が、
ゴロゴロ回って、粉を作っている光景は、
なんとも圧巻だ。

それでも、一回の回転で、
石臼の端からこぼれ落ちる粉は、
僅かなもの。
それを、石臼と一緒に回っているハケが、
かき集めていく。

天井には、
空気圧で粒や粉を運ぶ、
銀色の管が、複雑に絡み合っている。
そして、とにかく、音がやかましい。
せっかく説明してくれている、
社長さんの声も、
ほとんど聞こえない。

最後には、
粉はそれぞれの製品に分けられて、
手作業で袋詰されていく。

なるほどねえ、
とにかく、
倉庫に山と積まれている玄そばが、
そば粉になるまでは、
じつに、じつに、
たくさんの機械を通り抜けているのだ。
品質を上げるために、
以前に見せていただいたときより、
設備の数が増えている。

あとで、事務所で社長が言っていた。
とにかく、機械にお金がかかると。
特別な機械だから、
割高になってしまうのだね。
「でも製粉屋は、設備に投資しなければやっていけない。」
のだそうだ。
しかも、
そばの製粉は、
小麦と違って、完全なオートマチックでは出来ないのだそうだ。
玄そばは、産地や生産者による、
品質の違いが大きいのだそうだ。
そういうことを、微妙に調整しながら粉にしていく。
常に、眼で見て、手で触って調整をしていく、
職人技が必要だという。

そういう社長さん、
そうとうガンコが入っているなあ。

ということで、
いつも使っているそば粉も、
それだけの手をかけられて作られていることを、
忘れないようにしなければね。
そういうことを踏まえて、
私は、いいそばを作らなくては、、。

ブログを書く時間がなくて、
すみません。
いつの間にか、畑の周りのニセアカシアの花が咲いていたりして。

 

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なんでこんなに元気な高齢者の方がいらっしゃるのだろう。

今日来られたお客様は、
なんと85歳なのだそうだ。
お一人でいらして、
40分ぐらいの間に、
生ビール三杯と、
そばを二枚平らげて帰って行かれた。

ふう、お元気だなあ。

ということで、
元気なお年寄り、
いや、高齢者の方が増えているのだね。

ここ長野では、
住人の、なんと、三人に一人は、
60歳以上と言われている。

そう言っている私も、
その仲間。
でも、まだまだ、
そのほんの入口に差し掛かっただけなのだが。

月に一度の俳句の会でも、
80歳代の方々と顔を合わせるが、
皆さん、お元気だ。
作られる俳句も、
前向きなものが多い。

友人のお父さんなんか、
その米寿のお祝いに、
高速道路を自分で運転して、
駆けつけてきたそうだ。
米寿って、88歳のことだよね。

そういう方々と接して感じるのは、
気持ちが若々しいことだ。
年をとると、
どうしても、若い頃の事ばかり語ったり、
人の悪口ばかり言う人もいる。
身体の衰えを感じたりすると、
どうしても、そんなことを言いたくなる、
そんな気分になってしまうものだ。

そんなことも気にせず、
元気さを感じさせてくれる方々もいるのだ。

その元気の源は、
おそらく、毎日の食事だろうなあ。
けっして、薬やサプリメントだけではないはずだ。
いろいろなものを食べて、
規則正しい生活を送ることが、
そんな暮らしの繰り返しが、
大切なことかもしれない。

そして、そばを食べることもね。
どこかの観光地のキャッチフレーズではないけれど、
そばを食べて「死ぬまで長生き」しなければね。

、、いや、「死ぬまで元気に長生き」かな。

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