手打ちそば屋は眠れない

彦根の雪は、やはり冷たい。

天気に恵まれない。
旅に出ると、いつもそうだ。
雨が降ったり、雪に襲われたり、
雲に覆われたり、強い風に押し戻されたり。
そんなことばかりだから、
時たま、ごく稀に恵まれる晴天に、
感謝するしかない。
そして、今回の三泊の、
滋賀、彦根への旅は、
そんな天気に翻弄された。

彦根の宿は、
駅から徒歩15分ぐらいの、
古い街並みの中に埋まっている、
昔ながらの商人宿だった。
なんでも、明治時代の建物を、
そのまま使っているという。
間口の割に奥行きがあって、
石灯籠と植え込みのある中庭が2箇所あり、
そこに挟まれただだっ広い二間が、
我々に当てがわれた。
学生の団体だったら、軽く一ダース以上は寝られるだろう。
床の間には、解読不明の書が掛けられ、
牛の置物が、重々しく鎮座している。

宿の世話をしているのが、
五十年配のご兄弟で、
この方達が、とても気持ちよく対応してくれる。
トイレや風呂は共用だが、
今風に綺麗に作り直されている。
特に風呂は広々としていて、
入り口に使用中の看板を下げておけば、
貸切で入れるのだ。これが気持ちがいい。
季節のせいか、他に泊まっている人も少ないので、
夜も静かだ。
街中なので、夕食は頼まなかったのだが、
すぐ近くにコンビニがあり、
好きなようにしてくださいとの宿の人の言葉に、
とても気楽に過ごすことが出来た。

夕食をと街に出れば、
すぐに古くからの商店街に出る。
車の通る両側に、
雨よけのアーケードを構えた、
どこにでもある、昔ながらの街だ。
時間はまだ6時半。
名は銀座街。
でも、誰も歩いていない。
しばらくすると、灯りの灯ったスーパーらしき店があるが、
中に人の気配がない。

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ネットで探してみれば、
その裏路地に、おでん屋さんらしきものがある。
真っ暗な路地に、
人通りのない路地に、
ポツンと、提灯の灯りが見える。

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空腹を覚えていた私たちは、
地獄の闇の中に灯った、
一つ灯明のようなその店に、
考える余裕もなく吸い込まれていったのだ。

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旅の形は、人それぞれだと思う。
効率を考えれば、駅近のホテルに泊まり、
ネットでおすすめの店に行くのが、
もっとも、無難な姿なのだろう。
でも、私は自分は素直な人間だと思っているのに、
他人からは、天邪鬼(あまのじゃく)と言われたりするのだが、
その「無難」が大嫌いなのだ。
人混みと祭りが苦手。
いつも、人のいない方へ、
「無難」好きの人たちの集まらない、
季節と時間と場所を選んで旅をしている。

詳細は話さないが、
そのおでん屋はいい店だった。
ここなら三日間、通ってもいいなと思った。
でも、次の日は、昼に、大津で鮎を食べ過ぎ、
夜は出歩く元気はなかった。
そして、その夜に、
彦根に大雪が降ったのだ。

雪の予報が出ていたのだが、
床に着いた時にはまだ降っていなかった。
夜中に目覚めて、雪見障子を上げてみれば、
こんこんと雪が降っている。
朝には、およそ30センチの重い雪に、
彦根の街は、残すところなく覆われていたのだ。

その日は、伊勢神宮の天照大神の父母にあたる、
なんとかという神様(なんと罰当たりな)を祀る、
多賀大社に詣でる予定だったが、
交通の状況がわからない。
しばらくして、JR琵琶湖線は動いているとの情報を得て、
多賀大社はあきらめ、
もう一つの目的地である、
五箇荘金堂を目指すことにした。
ここに、予約している料理屋さんがあるのだ。

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外に出れば、なんと、長野より多い雪の世界。
寒さはそれほどでもないが、
歩きにくい。
なんだここまで来て、
雪の上を歩かなければならないのか、とほ。
やや時間をかけて、彦根駅前へ。
井伊直政公の銅像も、雪の中だ。

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でも、琵琶湖線を少し南に向かうだけで、
雪の量はぐっと減る。
能登川駅からバスで五箇荘へ。

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公開されている近江商人の館の一つを訪ねると、
こんな日にようこそと歓待されたのだ。
お目当てだった庭は、
雪が被っていて、モコモコとしているばかり。
でも、百年以上は経っている、
その建物の座敷には、誰かが住み着いているような、
そんな、艶かしさを感じるのだ。

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料理屋さんに行っても、
驚いたような顔をされた。
他のお客は、皆、キャンセルされたとのことで、
我々二人に、付きっきりでお相手していただくことに。
風情のある座敷で、
滋賀の滋養ある食材を、十分に楽しむことができた。
お酒は苦手だと言っているのに、
次から次へと勧めてくれるので、
仕方がなしにいただいた。
はい、仕方がなしに。
雪の積もった梅の古木を見ながら、
とてもいい時間を過ごせたと思う。

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夜になって、
かのおでん屋に出かけてみたんだ。
だけど、雪道の向こうに、
あの提灯の灯りは、
点っていなかった。
この雪の中、来る人もいないと、
判断したのだろうか。
彦根の旅で、
唯一の心残りが、
この店に、もう一度行けなかったこと。
常連さんが食べていた、
タコの足を、試したかったなあ。

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