そば屋の休日

馬籠峠は、外国人が歩いている。

中山道木曽路の妻籠(つまご)宿は、
古くからの街並みが残されている。
宿場町としての街並みを、
これだけ残せたのは、見事なものだと思う。

聞けば、住民全員で古い家を、
貸さない、売らない、壊さない、
という決まりを作り、守ってきたのだという。
今では、使っていなさそうな家も見かけたが、
庭も含めて、きちんと手が入っている。
だからこそ、江戸の街道の雰囲気を楽しむために、
多くの方が訪れる観光地となったのだね。

休みを使って、
以前から歩いてみたかった木曽路を、
南木曽駅からこの妻籠宿、馬籠(まごめ)峠、
馬籠宿、そして中津川駅まで歩いてきた。

まだ春浅い季節なので、
妻籠宿も、観光客は少なく、
閉じている店も多いが
韓国や中国から来られた方々が、
楽しそうに散策していた。

そこから2キロほど登ったところに、
大妻籠という数軒の集落があり、
どこも大きな建物で、民宿をしている。
泊まったのは、その一軒。
入れば吹き抜けに囲炉裏がある。

70半ばという、中々、口の元気なお婆さんが、
色々説明してくれる。
確かに部屋は昔ながらの座敷を仕切ったものだが、
ちゃんと内窓が入って、二重になっている。
ギシギシいう廊下を踏んで浴室へ行けば、
ここは新しくなっていて、木の浴槽が気持ちいい。
トイレなんぞは最新式で、
入るとフタが自動で上がったりする。

山の中で、とにかく自給自足で暮らしてきたそうだ。
だから、食事に出るお米は自家製。
ちょうど野菜のない時期であったが、
手作りの漬物や根菜類、
そして、岩魚や山女はその辺で獲れたもの。
なんと酒まで自家製で「ドブロク」が出た。

そして、その日の同宿人は、
浴衣からはみ出た足に、
すね毛のびっしりと生えた、
大柄の外国人カップル、ひと組。
食事の座敷に、ちょこんと正座している。
びっくりしたなあ。

英語は通じないようなのだが、
(こっちにも通じないが)、
後で聞いたら、イタリアから来たのだそうだ。
朝6時半の朝食に付き合うと、
一番のバスで、彼らは出て行った。
これから京都に行くそうだ。

失礼ながら、このようなディープな宿に、
外国人が泊まりに来るとは思わなかった。
そうしたら、けっこうやって来るとの、
おばあさんの話。
おばあさんも慣れたもので、
相手が分かろうが分かるまいが、
平気で日本語で説明したりしている。

さて、それからの話。
宿を出て、馬籠峠までの急坂を登り、
馬籠宿までのなだらかな坂を降っていったのだが、
その道で出会ったのは、三十人ぐらいかな、
それが、すべて外国人。
大きなリュックを背負って、
逞しい脚で、ザックザックと歩いてくる。

まだ肌寒いのに、Tシャツ一枚で歩いている人がいて、
身振りで寒くないかと聞いたら、
親指を立ててグッドだって。

そうか、馬籠から妻籠の間は
ゆっくり歩いても三時間。
この山道と、昔ながらの建物の姿が、
外国人を魅了するのだろうなあ。

馬籠宿は、流石に観光客が多い。
ここは山が開けて気持ちの良いところだ。
残念ながら、古くからの宿場の建物は、
何度かの火事で焼けてしまったので、
それらしく作ってあっても、
新しい意匠の入ったものだ。
それでも、観光地らしい雰囲気を抱え、
カメラを下げた人々が、
坂を登ったり降りたりいている。

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ところが、馬籠宿を出て、
旧中山道に入ると、観光客は、
あっという間にいなくなる。
そして、古い石畳の道を降れば、
後は中津川駅まで、普通の住宅街の中を、
クネクネと、そして登ったり降りたりの舗装道路。
この道が長いこと。

ところが、この道で行き会うのも、
やっぱりリュックを背負った外国人。
若い女性が、一人でカッカッと歩いていたり。
途中の喫茶店で一服したら、
店のボードに、訪れた外国人の写真がびっしり。
馬籠ばかりではなく、
この道も、外国人に歩かれているのだ。

コロナ禍が落ち着いて、
多くの外国人が日本を訪れている。
長野駅にも、大きなカバンを持った姿を、
随分と見かける。

三年前にスペインへ行った時にも感じたが、
以前に比べ、日本への興味を感じている人たちが、
多くなったようだ。
短い旅の中で、日本へ行くというスペイン人に、
三人も出会ったのだから。

なんでも、ある国のドキュメンタリー番組に、
この馬籠峠が紹介されたとのこと。
だから、こんなに欧米系の外国人が多いのか。
それにしても、日本でも、
何度もテレビで紹介されているのに、
なんで、日本人と合わないのだろうねえ。

でも、ありのままの日本を、
多少の不便は感じても、
それをかえって楽しんでいるような、
そんな旅を、彼らはしているのだろうねえ。
そんな価値観の違いも、
私たちは受け入れてあげよう。
こんな私の店に来る、
勇気ある!外国の方々を、
暖かく迎えてあげよう、無理のない程度でね。

 

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北国街道40キロを歩く。二日もかけて、、、。

「乗り物は速くなった。
 人は孤独になった。」

チャップリンの映画の中のセリフに、
そんな文句があったと、
覚えている。
かなり、あやふやだが。

一月の終わりに、やっと正月休みをいただいた。
本来ならばこの時期は、
怒涛のような正月の混雑を終え、
やっと、肉体的にもほっとできる時期であった。

ところが今年は、
怒涛どころか、べた凪の、
新年となった。
無理をしてきてもらったスタッフ共々、
顔を見合わせて、暇疲れ。

コロナウイルスは、
善光寺への、初詣まで止めてしまったのだね。

そこでいただいた休みも、
遠くに出かけるわけにもいかない。
そこで、自宅から、上田まで、
古い街道、北国街道を歩いてみることにした。

何しろ自宅は、
丹波島という、昔の宿場跡の近くにある。
そこから、車のびゅんびゅんと通り過ぎる、
細い道や、国道沿いを、
地図を見ながら、古い街道と思われる道を、
歩き続けた。

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道沿いは、家がびっしりと建っているが、
自動車以外に行き交う人の姿はない。
マスクをとって、歩いていると、
この時期なのに、じわっと、
汗ばんでくるぐらいなのだ。

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丹波島宿から、篠ノ井宿、
篠ノ井追分宿、矢代宿、そして戸倉宿へ。
宿場の面影を残しているものは、ほとんどない。
そして、20キロ余りを歩いて、
この日は、上山田温泉泊。

次の日は、うっすらと雪の降る中を、
上戸倉宿から広い通りに面影のある坂木宿、
観光客に人気の柳町のある上田宿を通って、
上田駅へ。
やはり20キロ余り。

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本当に、人と行き合わない。
家から出てくるのは、
車に乗った人だけで。
歩く人の姿は、全く見かけないのだ。

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北国街道は、
軽井沢の追分で中山道と別れ、
千曲川沿いに長野を通り、
峠を越えて新潟、上越に至る道だ。

加賀の前田家も、江戸への参勤に使ったらしい。
佐渡で採れた金も、
年に数回、この道を通って行ったそうだ。
かっての難所と言われた、
坂城の横吹も、上田の岩鼻も、
国道沿いに難なく過ぎていく。

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それでも、歴史を感じさせるものは残っていて、
坂木宿広い通りや升形、
上田のうだつの残る町並みなどが面白い。
中でも、上田の上塩尻地区は、
養蚕が盛んだったところで、
今でも、大きな越屋根のついた蔵がいくつも、
綺麗に保存されている。

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なるほど、歩くスピードで街を見てみると、
いつもとは、違ったものが見えたきた、、かなぁ。
この歩いた40キロ余りは、
上田駅で新幹線に乗れば、
12分で過ぎてしまう。
シャクだから、普通電車に乗っても40分。

そして、痩せたかといえば、
全く、、、、。
こんなバカなことをやって、
せっかくの休日を潰してしまった。

、、、また、やろう。

 

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霧ヶ峰のニッコウキスゲは鹿に食べられている。

毎日雨が続いて、
夕方の散歩にも出られない。
コロナウイルスの感染拡大で、
お客様にも、いらっしゃいとも言えない。
畑は草だらけ、
おまけに、野菜だけはたくさん出来て、
ご近所に配って歩いている。

 

世に難解な、「霞ヶ関語」を理解しない私に、
小役人は、意地悪ばかり(そんなことはないのだろうが)で、
なかなか給付金をくれない。
と言って、誰かの悪口を言ったところで、
何の解決にもならない。

 

ということで、
とても「だるい」。
身体ではなく、気持ちがね。
このまま腐れさてはいけない。
何とか、役に立つように発酵させなければ。

 

そんな中、天気を気にしながら、
気分転換に出かけたのが、
長野から車で二時間ほどの観光地、
霧ヶ峰(きりがみね)だ。

 

この季節であれば、
いつもなら、霧ヶ峰に向かう観光道路、
ビーナスラインは、団体客を載せた大型バスが、
頻繁に行き交っているはず。
初心者向けの山道は、
学生や生徒の集団登山で、
押し合い、へし合いしているはずだ。

 

三、四十年も前に、
高い通行料金を払って、
ニッコウキスゲを見にきた私は、
花よりも多い人の数に、辟易してた。
そして、ここには近寄らない方がいいなと、
きめていたのである。

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でも、この頃は、観光の質も変わってきて、
霧ヶ峰も落ち着いてきたという話を聞いた。
ましてや、この、コロナ騒ぎ。
観光バスも、学校の集団登山もないだろうな、
と思って出かけてみた。

 

雨を覚悟で行ったのだが、
何とかの曇り空。
遠くまでの遠望はなかったが、
ぼんやりと八ヶ岳、南アルプスの一部が見える。

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かっては車山一面に咲いていたニッコウキスゲも、
今は、ほとんど見かけない。
何でも、野生の鹿が増えたために、
他の高山植物も含めて、
食べられてしまったそうだ。
だから、柵に囲まれた一部にしか、
ニッコウキスゲも、ハクサンフウロも咲いていないのだ。

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ということで、車山から、八島湿原まで一回り。
車山は、スキーで何度も来ているのに、
一度も展望に恵まれたことがない。
登ってみれば、なだらかないい山だ。

 

この霧ヶ峰の景観は、
自然に出来たものではない。
標高で1800メートル前後だから、
森林限界を超える高さではないのだ。
麓に住む人たちによって、
何百年も前から、牛馬のための草刈り場として、
木が育たないように、手入れされていたそうだ。
近年では、野焼きも行われている。

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広々とした草原を、
いくつかのぼり下りして、
八島湿原の獣避けゲートを潜ると、
いきなり湿原の花盛りとなる。
ここは駐車場も近いので、
観光の人たちが来ていたが、
以前ほどではない。

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それで、
一時間以上かけて一回りして、
またゲートを出ると、
まったく花の姿が見当たらなくなるのだ。
鹿って、すごい食欲なのだね。
っていうか、それだけの数がいるっていうことだ。
登山道でも、ずいぶんと鹿の足跡を見かけた。

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今年は、
山登りも、リスクを抑えるようにとのこと。
そんなことで、
こんな観光地の山を楽しむことにした。
まだまだ、コロナウイルスの影響は続くだろう。
とにかく自分の気持ちを、
たまにはかき混ぜてみて、
腐らないようにしなくては。

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立ち飲みで楽しむスペイン

私たちがスペインに行ったのは、
一月の中旬から下旬。
その頃のスペインでは、
コロナウイルスの話なんぞなかった。
折しも、中国の正月休暇にあたるというので、
首都のマドリードには、
たくさんの中国人が訪れていた。

 

まだまだ、渡航制限の無かった頃だものね。
私たちが、日本に帰ってから数日で、
中国からのそれが始まった。
既に、イタリアでの感染がニュースになっていたが、
スペインでは、対岸の火事という様子だった様だ。

 

それが、三月になって、
スペインでの感染者が急激に増え、
今では、医療が間に合わない様な事態になっている。
それを考えれば、
いい時に行ってきたものだ。

 

日本国内だって、
これからの感染拡大が心配されるところ。
そんな不安な空気の中では、
人の集まるところは敬遠され、
飲食店は、客足が遠のいている。
かんだた、もね。
かなり、、、。

 

こういう時は、お腹の空かない様に、
動かないでじっとしていよう。

 

で、しつこくスペインの話。

 

スペインで食べるところは、レストランの他に、
バルという店があって、
これがなかなか便利なのだ。

 

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入ってみると、長いカウンターがあって、
そこで、立ったまま一杯いただくわけだ。
カウンターのケースに盛られた料理を、
おつまみとして注文することもできる。

 

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立ったまま、食べたり飲んだりするのは、
我々には抵抗があるかもしれないが、
スペイン人は平気。
立ったまま、おしゃべりに興じている人ばかり。
時間帯によっては、どこも、
人で溢れていたりする。
もちろん、椅子の席もあるのだが、
数が少なく、人気店では大抵埋まっている。

 

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マドリードのバルでは、
飲み物を頼むと、
結構なおつまみが付いてくる店もある。
長居はせずに、
そんなバルを何軒か回れば、
しっかりと夕食がわりになるのだ。

 

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そして注目するのは、
そこで働くカマレロ(女性の場合はカマレラ)たちなのだ。
つまり、スタッフたち。
実にキビキビとよく動く。

 

あるバルなんぞ、女性一人で、
次々と来るお客をこなしていた。
我々の勘定をお願いすると、
きちんと正確に持ってくる。
大したものだなあ。

 

だけど、バルを使う客の方にも、
一つのルールがある。
それは、彼らのやりかけている仕事の、
邪魔をしないことだ。
声をかけたり、大袈裟に手を振ったりしないこと。
そんなことをすると、
永遠に無視されることになりかねない。

 

静かに待っていれば、
仕事の区切りをつけた彼らが、
顔を向ける。
その時に話すなり、ジェスチャーで示せばいい。
そういうタイミングを図ることが大切なのだ。

 

そんなところが、日本の居酒屋と違うところ。
だから、大勢の店内でも、
とても静かな印象を受ける。

 

日本の感覚からすると、
一見、ぶっきらぼうに見える彼らだが、
実は、とてもプロ根性に徹しているのだね。
だから、効率よく、
そして実に、良心的な値段で、
一杯を楽しめる様になっているのだろう。

 

ああ、また、
スペインのバルで一杯やりたいなあ。
などと言いながらも、
とにかく、
目の前の難問と脅威に、、、。

 

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スペインのレストランの注文の仕方を知っていれば、、。

スペインの食べ物事情には、
日本と違った、様々な特徴があるようだ。
それもそうだろう。
遠い外国に来たのだから、
どこへ行っても、
日本にもあるフードチェン店ばかりでは、
ガッカリしてしまう。

 

私が半年過ごした30年前と違って、
確かに、そのような店もスペインで増えているようだ。
観光客の多いところでは、
写真でわかりやすいように、
ワンプレートの料理や、
ハンバーガー、サンドイッチなどのメニューを置くところも多い。

 

でもね、
ちょっと路地を入れば、
落ち着いたレストランや、
庶民的なバルなどがあって、
昼時になると(午後二時ごろだけれど)、
店先に定食の内容を書いた、
ボードが出されるのが普通だ。

 

人気のある店は、
あれよあれよという間に席が埋まっていき、
カマレロ(ボーイ)が、忙しげ動き回っている。
スペイン語のわからない人は、
メニューの前で、戸惑っているうちに、
他の人たちの食事は終わっていたりする。

 

でも、
昼の定食(メヌー・デル・ディア)の頼み方を知っていれば、
たとえスペイン語がわからなくとも、
どんな料理が出てくるのかわからなくとも、
とにかく、スペイン人が食べている食事にありつけるのだ。

 

たとえば、
マドリードで借りたアパートの近くにあったこの店。
すでに、三時近くになっていたので、
覗いた何軒かのレストランはどこも満席。
そこで、いかにも地元の人しか入らないような、
この店に。

 

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ほら、
入り口のボードに、
その日のメニューが書いてあるでしょ。

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注意すべきは、
一番目の料理と、二番目の料理が分けて書いてある事。
スペインのレストランの食事は、
一人が二皿を頼むことができるようになっている。
バルセロナなどの、一部の地域では、
三皿頼めるところもあるようだが。

 

一皿目は、野菜とか、豆の料理、
スープ、卵料理など。
二皿目は、肉や魚のボリュームのある料理となる。
だから、一皿目から、指差しでも構わないから、
一品を選び、
そして、二皿目を選ぶ。

 

そして料理を選び終わると、
「パラ・べベール」(飲み物は?)
と聞かれる。
私の場合はたいてい「ビーノ・ティント」(赤ワイン)。
ビールであれば「セルベッサ」。
水であれば「アグア・ミネラル」。
ブドウジュースであれば「モスト」。
などと注文する。

 

ここで遠慮をしてはいけない。
何しろ、定食の料金の中に、
この飲み物の料金が含まれているのだ。

 

この店では、
とても太ったセニョーラが、
笑顔で注文をとりに来てくれた。

 

注文が終わると、
まず、飲み物がでてくる。
ワインを頼むと、ボトルごとどんと置かれたりするが、
これは、全部飲むことはない。
あくまでも、食事の一部。
自分のグラスに注いでほどほどに。

 

そこで、この店での一品目はこちら。
インゲンとハム。
同行の友人ご夫婦には、
うっすら塩味の野菜のスープ。

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パンは一切れづつ添えられている。

 

これを食べ終わった頃、
二皿目が出てくる。
こちらはチキンハンバーグの、
ほうれん草ソース。
私は、小さなタラの唐揚げ。

 

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これだけ食べれば、結構なボリュームがある。
そして、食べ終わった頃、
セニョーラが「ポストレ?」と聞きにくる。
ポストレとはデザートのこと。
フラン(プリン)とかエラード(アイスクリーム)などがあるらしいが、
すでにお腹いっぱいなので、
コーヒーにする。

 

これで定食は終わりとなる。

 

つまりスペインの定食、
「メヌー・デル・ディア」の中には、
一皿目の野菜料理、
二皿目の肉か魚の料理、
ワインなどの飲み物、
パン、
デザート、またはコーヒー、
が含まれているのだ。
それで、この値段。

10.5ユーロ。

日本円にして1300円ぐらいかな。

もっとも、ここはごく庶民的な店。
観光客の多い地区でも、
20ユーロ前後で用意されていることが多い。
もちろん、高級店に行けば40~50ユーロもする。
まあ、懐の都合で選んで貰えばいい。

ただ、基本的な注文の仕方は、
どこも同じ。

料理の内容というものは、
その店によって違うし、
例え多少のスペイン語がわかったとしても、
出てくるまでは、どんな皿が出てくるのか、
わからないものなのだ。

 

そんなロシアンルーレットみたいな、
楽しみ方をしてみた、
スペインの旅だった。

 

 

 

スペインは世界一健康な国。

アメリカの研究機関の発表によれば、
近い将来、スペインは、日本を抜いて、
世界一の長寿の国になるという。

 

また、別のメディアでは、
世界の健康ランキングで、
一位はスペインだと言う。
ちなみに、このランキングでは、
日本は4位となっている。

 

健康や長寿というのは、
様々な条件があって、
一概に、これが原因だとは言えるものではないそうだ。
でも、スペインという国は、
医療制度の充実や、生活習慣、
社会的な仕組みなどで、
その条件が整っているそうだ。

 

そして、食事も大切な要素のひとつ。

 

少しくらい、旅をしたからといって、
そんなことがわかる訳ではないが、
短い間でも、実にシンプルで、
多様な食べ物を味わうことができた気がする。

 

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市場を覗いてみれば、
豊富な野菜が売られているし、
果物、ナッツ類、豆類も種類が多い。
肉も、様々な形で売られていたが、
同じように、魚介類も豊富だ。
他の欧米の国々では敬遠される、
タコやイカも、ドカンと置かれていたりする。

 

その食べ方も、味付けも、
実に単純なのだ。
焼く、蒸す、揚げる、煮る。
それだけの料理が多い。
強いスパイスに頼ることなく、
複雑な味のソースに絡めることもなく、
素材の味を生かしているような気がする。

 

つまり、
あまり加工食品を使ったり、
人工的な味付けをしていないのだね。

 

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特に、ある種の病気の予防になると言われているオリーブオイルは、
至る所に使われているね。
レストランのテーブルに置かれているのは、
サラダのドレッシング用の3点セット。
オリーブオイルと酢と、塩の瓶だ。
付け合わせのサラダは、自分の好みで味付けする。
これが中々良い。

 

でもねえ、
私がスペイン人は長生きするなあ、
と思ったのは、
そんな食事の内容だけではない。
食事の仕方なのだ。

 

スペインの昼食は午後2時ごろから。
そして、それがその日のメインの食事となるそうだ。
だから、働いている人も、一度家に戻り、
家族と共に食事をとるという。
時間をかけて、ワインを飲みながらね。

 

レストランで食べてもそうだが、
この昼食はとてもボリュームがある。
だから、食事が終わったら、一休みをしなくては。
そう、これがシエスタという習慣。

 

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食事時間の午後2時ごろから4時過ぎまでは、
多くの商店は店を閉めてしまうし、
あれ、お役所だって、銀行だって窓口を閉めてしまう。

 

つまり、食事と、その時間を大切にしているのだね。
日本のサラリーマンの、
スマートホンを覗きながら済ます昼食とは、
大きな違いがあるようだ。

 

そんなことで、
垣間見てきたスペインの食事情。
まだまだ、たくさんあるのだ、、、が。

 

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スペインに行ってきました。

開店以来のまとまった休みをいただき、
スペインに10日ばかり行ってきた。
むかし覚えたスペイン語は、
かなり怪しくなっている。
それでも、ホテルもアパートも自分で予約し、
古くからの友人夫妻と、正月営業の疲れを背負ったまま、
エイと、でかけてみた。

 

アパートとの約束に、
スペイン語でメールを書いたのだが、
返事は英語だった。
だいじょうぶかなあ〜〜。

 

で、今回の一番の目的地は、
サンティアゴ・デ・コンポステーラという、
スペイン北西部の町。
ここは、ヤコブを祀る大聖堂があり、
キリスト教信者にとっては、
巡礼をしてまで訪れる聖地となっている。

 

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折しも冷たい雨が降っていたが、
雨に濡れた古い街は、
独特の落ち着いた雰囲気を持っている。

 

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ここは大西洋に近いということで、
魚介類が豊富。
特にタコが有名なようだ。
柔らかく蒸し上げたタコに、パブリカがかかっていて、
独特の風味。

 

 

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ちいさな赤貝のようなものもいただく。

 

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地元の白ワイン、リベイロは、
日本の盃のような陶器でいただくようだ。

 

そんなことで、スペインの食べ物と雰囲気を味わってきた。
とてもとても、感心したり、
考えさせられることも多かった。
そんなことを、おりおり、
アップさせていただくことにしよう。

 

 

ちょっと一休み

年末から、新年への、

大きな山を乗り切ることができました。

みなさんありがとうございました。

 

ふうー。

 

というところが、

正直な感想。

 

忙しすぎて、このブログすら更新できなかった昨年。

今年は、自分の時間を持てるように、

頑張るつもり。

いえ、

決してサボるのではなくてね。

 

とりあえず、

これから二週間ほどお休みをいただいて、

からだのメンテナンス。

心に油をさして、

少しは動きをなめらかにしたいと思っております。

 

 

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武将隊の案内で上田の街めぐり

上田といえば、三年前のNHKの大河ドラマ、
「真田丸」で一躍注目を浴びた場所。
上田城を作った真田昌幸、その子信繁(幸村)の活躍した舞台。
その年は、大いに観光客で賑わったそうだ。

長野からは、新幹線でわずか11分、
しなの鉄道の各駅停車でも35分で着いてしまう、
すぐ近くの町。
でも、何回も訪ねている割には、
意外と町のことをよく知らない私。

そこで、この冬の休みに、
ガイド付きのツアーに参加してみることにした。
案内してくれるのは、
真田幸村と十勇士に扮する「おもてなし武将隊」のメンバー。
筧十郎と根津甚八のご両名。
さぞかし、大勢の参加者がいることだろうと思っていたら、
駅前に集まったのは、
我々二人だけ。あらら、、、。

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それでも、駅前の幸村公の像の前で、
気勢を上げて出発。

昭和の匂いを残す古い繁華街を抜けて、
真田家ゆかりの寺なんぞをめぐる。
細い露地を抜けたりして、探検気分十分。
古い街道筋には、
昔ながらの屋根の大きな建物なんぞが残っている。

ここは昌幸公の奥方の菩提寺。
禅宗の寺らしい、きりりとした雰囲気が漂う。

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柳町は宿場跡で、
造り酒屋などの、立派な建物が並んでいる。

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幸村の兄、信之の奥方、小松姫の墓のある寺には、
真田の紋である六文銭と、徳川の三つ葉葵が並んでいる。
なるほど。
こんな立派なお寺があったのだね。

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それから上田城まで、
三時間にわたってご案内をいただいた。
お二人の派手な格好は、よく目立ち、
通りがかる地元の人からも声がかかる。
すでに、おなじみとなっているようだ。
寒くないの?と聞けば、
下にダウンを着ているから大丈夫とのこと。
それよりも、夏の暑さの中の方が、大変だそうだ。

この武将隊、観光客の集まる季節には、
上田城を中心にして、様々なイベントに参加されているそうだ。
上田の街を元気にしようと、
頑張っているのだね。
他の地域にも、武将隊があって、
交流もされているとのこと。

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ということで、ほぼマンツーマンで、
案内していただき、とても贅沢な気分になった。
おそらく、ガイドされなければ、
踏み込まなかった道、小さな歴史なんぞを、
知ることができたのだからね。
ありがたいことだ。

これからの観光は、こういう企画が必要なんだなあ、
と、つくづく思う次第。

で、寒風にさらされた後は、
上田ならでの、馬肉を使った肉うどんで温まったりして、、。


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モリアオガエルとクロサンショウウオの池

皆さんはモリアオガエルという生き物を、
ご存知だろうか。
カエルと聞くだけで、
あ〜気持ち悪い、という方もいらっしゃるかもしれない。

私にとっては、
若い頃のいつかどこかの動物園で見かけて、
とても気になった生き物。
ほんの五センチぐらいの大きさのカエルだが、
手の吸盤の大きさが特徴的。
それもそのはず、このカエルは、
木の上で暮らすのだという。

先日、今は長野市となった鬼無里(きなさ)の、
奥裾花(おくすそばな)自然園を訪れた。
ここは、春の水芭蕉(ミズバショウ)の群生で有名な場所。
5月の初めの頃の、まだ、残雪のある時期に、
一面の水芭蕉の花が楽しめる。

その花の時期には、
大勢の人が押し寄せる。
観光バスも来る。
でも、自然を守るため、
駐車場からは、約一時間歩かなければならない。
それでも大混雑をするらしい。

その水芭蕉が、
おばけのような巨大な草になった今、
奥裾花自然園の広い駐車場に、

ぽつんと私達の車だけ。 
 
 
 
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ここから登ることのできる山に、
花を楽しみがら登りに行ったのだ。
その帰りに寄ったのが、
この自然園の奥にある吉池というところ。

ブナをはじめとする天然林に囲まれたこの池は、
ほんの二十メートル四方の小さな池。
水が湧いているわけでもなく、
流れて来る川もないので、

大きな水たまり、という雰囲気。
 
 
 
 
 
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でも、ここは、はじめに書いた、
モリアオガエルの産卵の場所なのだ。

とにかく、どんな音も、吸い込んでしまいそうな、
静かな池。
周りに、木が取り囲んでいる。
その木に枝先に、何やら、白いかたまりが見える。

大きさは、大人の握りこぶしほど、
泡のようなものに包まれたかたまりだ。
よく見ると、向こう岸の、
十メートル以上の高さがありそうな枝先にもぶら下がっている。

これが、6月頃産卵するという、
モリアオガエルの卵なのだ。

ほとんどのカエルが水の中で卵を生むのに、
木の上に生息するこのカエルは、
高いところにある木の枝に卵を生むのだ。

そうして、木の上の泡の中で孵ったカエルの子、
オタマジャクシは、まっすぐ下に落ちていく。
そこが、池の中なのだ。

つまり、このカエルは、
池の上に張り出した枝に、
卵を産むのだね。

オタマジャクシは池の中で育ち、
やがて手も足も出てくると、
池を離れて森のなかで暮らすようになるのだ。

なるほど、そういう循環になっているのだね。
 
 
 
 
 
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ところが、この池には、
もう一つの生き物がいる。
クロサンショウウオだ。

こちらも、春先に卵を生み、
ちょうど鶏の卵のようなかたまりを、
水の中に見ることができる。
そして、こちらのほうが早く孵化するのだよね。

つまり、木の上で生まれたモリアオガエルのオタマジャクシは、
やはり、生まれたばかりのクロサンショウウオが、
口を開けて待っている池の中に落ちるのだ。

私が初めてここで、
この光景を見たのは、20代初めのこと。
えっ、もう40年前のことだって。
それでもいまだに、この営みが繰り返されているのは、
それなりに自然界のバランスがとれているということだろう。

とにかく、ブナの原生林といい、
森のなかの生き物といい、
そして、季節を忘れない花たちに、
心の中に沁みるものがある。
私達は、こんな自然の中で生きているのだね。

そして、こんな生き物もいる。

彼らから見れば、人間ほど恐ろしい生き物はいないのだろうね。
 
 
 
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