
自宅から車で5分ほどの、
畑に通う。
犀川の河川敷の、
およそ百坪ばかりの畑だ。
その畑に通う、堤防通り沿いに、
約二十本の桜の木が植えられている。
小さかったそのソメイヨシノも、
今は育って、毎年、
目を楽しませてくれる。
その花を見るたびに、
さあ、花見へ行くぞ、、、
いや、行かなくてはと、
心が騒ぐのだ。
桜の花との出会いは、
タイミングが大切。
かの、在原業平(ありわらのなりひら)でなくとも、
この季節は、落ち着かない気分だ。
まして、この時期、
畑の準備に忙しい。
二日間の連休をとっても、
土をいじっているだけで終わってしまい、
花見どころではない。
そこで、もう一日、お休みをいただいた。
まさに「お花見休み」だ。
さあ、どこへ行くか。
この歳になると、
華やかに咲くソメイヨシノは、
どうも、眩しくて目に痛くて仕方がない。
人混みは億劫だ。
世の中の、隅っこに、
こぢんまりと生きている身としては、
どこかに、ポツリと咲いている、
古い桜を訪ねたい。
幸いなことに、
住んでいる長野の周辺には、
時代を生きた、
古い桜の木が、結構残っているのだ。
毎年、少しづつ、そんな場所を巡っている。
この時期に、咲いている場所をと、
探して、バスに乗って出かけようとしたら、
女将が、膝が痛いなどと言い出す。
下僕としては、仕方がないので、
車に乗せて、お運びすることになる。
だから、今回の花見は、
私の苦手な、お酒は抜きなのだ。
苦手は克服しなければならない。
桜の花の下ならば、
そんな苦手なお酒も、
少しは飲めるだろうと思っていたのに、
残念!!!
長野市の東、若穂地区、
やや、登ったところにある古刹、蓮台寺。
その、仁王門前の駐車スペースに、
車を止めた途端、桜まみれとなる。
平成になって再建されたという仁王門に、
被さるように、
樹齢四百年以上といわれる、枝垂れ桜が咲いている。
勢いのある、見事な咲っぷり。
本堂への階段を登って、
鐘楼のある門をくぐれば、
さらに二本の枝垂れ桜が迎えてくれる。
この石段にしても、
こんなに雰囲気のあるお寺が、
近くにあったのだね。
それから、須坂の豊岡地区。
大日向観音堂の枝垂れ桜、
長妙寺の枝垂れ桜、
延命地蔵堂のアズマヒガン。
そして、狭い山道の急坂を登ったところにある、
弁天さんの彼岸桜。
こちらは、標高の高い場所にあるので、
まだつぼみだ。
周りの景色もいいので、
咲いていれば見事だろう。
ぜひ、その時期に来て見たいものだ。
桜を見上げると、
人は呆けたような顔になる。
きっと、桜の花の方から見れば、
相当な間抜け顔に見えることだろう。
そんな間抜け顔を、
あと何回できるのかな、、、。
ああ、そんなことを考える歳になってしまった。
変わりゆく季節を、
大切に味わいながら、
でも、ひっそりと暮らしていきたいものだなあ。
苦手な酒を、いつか克服してね。


桜に囲まれて、鐘楼の鐘が、おのずから鳴り出しそうな気配だ。

少し前まで、もう一本の桜があり、夫婦桜と呼ばれていたらしい。
その根元が残っている。
右側の小さな木は、孫の桜だそうな。

樹形が美しい桜だ。

太い幹が途中で折れて、新しい枝が伸びている。
隣の若い枝垂れ桜も見事だ。

残念ながら、まだつぼみ。
周りの畑の梅の花が咲いていた。