そばコラム

「まごつき」と「おしな湯」

●そばというのは、
提供するのに人手のかかる食べ物。
ちょっと、大きなそば屋さんに行くと、
たくさんの人が、店の中で働いている。

それぞれの人に、仕事の分担があって、
スムーズに、そばが作られ、
お客さんの元に運ばれるように、
上手に配置されている。

今でこそ、パートやアルバイトの人が、
よく、教え込まれて働いているが、
昔は、そば屋には、厳しい職制があったという。
つまり、経験や技術によって、
仕事の役割が決められ、
それぞれに、呼び名があったのだ。

子供の頃、近所にあったそば屋でも、
驚くほどの大勢の人たちが働いていた。
そば屋で働くには、
長い間かかって、それぞれの仕事を覚え、
経験を積んでいかなければいけなかったのだね。

今でこそ、
従業員を多く抱える店は少なくなったが、
老舗といわれる店には、
まだ、そういう職制が残っているところがあるようだ。

●そば屋に入って、
まず、対応してくれるのが「花番」さん。
要するにそば屋のホール係だ。
でも、そば屋では「仲居」さんとは呼ばないし、
「お運びさん」とも「ウエイトレス」とも呼ばない。
そば屋独特の言い回しかもしれない。

「花番」は、名前の通り、
そばに花を咲かせてくれるので、
きれいな女性が多い、、、、
というより、経験が豊富な方が多いようで。

これは、店の入り口を守っている人、
つまり「端(はな)」を担当するかららしい。
たいていは女性が担当するので、
「花」という字を当てたとか。

この花番が、厨房に注文を通し、
できたそばを客に運ぶ。
サービスを重要視する今の時代には、
花番さんの仕事ぶりで、
店の印象まで変わってしまう、
大切な役割。

●さて、厨房の中で、
どしんと、真ん中になって動くのが、
「釜前」という仕事。
これは、かなり経験を積んだ職人が行う。

昔は、釜の火加減まで、
薪で調整しなければならなかったので、
大変に難しい仕事だった。
ワンタッチで点火できるガス釜になった今でも、
湯の濃度や、そばの状態を見極めて、
いつも同じような状態に茹であげる技術が必要。

いや、ただ、茹でるだけではない。
常に、店のお客の流れを読み、
天ぷらなどの他の作業の流れを予想し、
タイミングよくそばを茹であげるのだ。

老舗のそば屋で「釜前」をやっていた人の話では、
注文を受けた時点で、
客席のすべての状況が、
頭に浮かんで来るのだそうだ。
伝票を使わず、一度に来る十件以上の注文を、
間違いなくこなせる能力がなければならない、との話。

私なんぞは、
足元にも及びません、、、。

●天ぷらを揚げたり、
種物を作ったりするのが「中台(なかだい)」の仕事。

そば屋の種物は、あらかじめ作った汁を使うものが多く、
その場で味付けしたりすることはないが、
手際と、「釜前」との連携を要求される仕事だ。

大きなところでは、調理されたそばを揃えて、
「花番」に引き渡す「膳立て」、
茹でて、溜めざるに上がったそばを盛り付ける「盛り出し」、
出前を受け持つ「外番」などもあったそうだ。

●そばを打つ職人を「板前」と呼んだそうだ。
これが、かっては、一番偉い職制だったらしい。
昔は、そば打ちを専門にして、そば屋を移り歩く、
渡りの「板前」もいたという。

「包丁一本さらしに巻いて〜〜〜〜」
という歌があったけれど、
そば切り包丁じゃねえ。
さらしに卷けたのかな。

ところが、機械打ちが広まると、
状況が変わってしまった。
それほどの技術がなくとも、
そばが作れるようになってしまった。
そば打ちのことを「運転」と呼んだそば屋もあったとか。

でも、機械打ちだろうが、手打ちだろうが、
そばを打つためには、細心の注意と技術が必要。
「板前」を大切にしたそば屋もあったが、
たいていは「上下(うえした)」といって、
「釜前」がそばを作っるようになったそうだ。

●さて、調理場に入ったばかりの人は「まごつき」。
掃除から、使い走りから、なんでもこなす役割。
そういう厳しい修行を積んで、
厨房の中の仕事を覚えていくのだね。

あるそば屋では、
新入りのことを「お雛(ひな)」と呼んだ。
ところが江戸っ子は、「ひ」が発音できない。
だから「おしな」になってしまう。

さて、その「おしな」は、
先輩たちがひと休みして、お茶を飲んでいる時も、
そのお茶を飲ませて貰えなかった。
だから、そば湯を汲んで飲んだとか。

そうして、そのまま飲むそば湯のことを、
「おしな湯」といったとか。

●小さなそば屋ゆえ、
なんでもこなさなくてはならない私。
「板前」も「釜前」も、「中台」「膳立て」、
時には「花番」までやっている。
大勢の人たちが居たからこそ、
作られた、職制。
昔のそばの職人さんは、
そうやって磨かれていったのだ。

まだまだ、私なんかヒヨッコ。
「おしな湯」を飲んで、
一息つくとしよう。

寒さにさらせば、そばも人も甘くなる?

●立春を過ぎたとはいえ、
まだまだ、寒い日が続いている。
長野でもこのところ、
最低温度がマイナス5度とかいう日がある。

そんな寒い朝、長野の町でかわされるこんな挨拶。
「いやあ、今朝はかんじたねえ。」
「ああ、かんじたねえ。」

そう、うんと寒いことを、この辺の人は、
「かんじた」というんだね。
これが、同じ長野県でも、松本や諏訪の方へ行くと、
「いやあ、今朝はしみたねえ。」
というように「しみた」と言うそうだ。
場所によって、そんな寒さの感覚が微妙に違うのかもしれない。
そういえば、北海道の人は、
「しばれる」と言うとか。

長野県では、この寒さを利用して、
寒天作りや凍り豆腐が作られて来た。
今では工場生産も多くなったが、
未だに、天然の寒さを使った寒天作りは続いている。

そうして、そばも、この寒さを使って加工されたりしているのだ。

●長野市からさらに北へ行った新潟県境の信濃町。
ここは豪雪地帯で、なおかつ、そばの産地として有名なところ。
ここで、寒さを利用した「凍りそば」が作られている。

冬の、うんと「かんじる」夜にそばを打ち、
茹で上がったそばを、一口大の輪にまとめる。
それをざるの上に並べて屋外に出し、
外気に当てて凍らせる。

その後、それを日陰に保存し、
解凍と凍結を繰り返させながら乾燥させていく。
そお、即席ラーメンなどの、フリーズドライと同じ製法。
でも、自然に乾燥させるには、一ヶ月から二ヶ月かかるそうだ。

そうして出来た「凍りそば」は、
そのまま保存できるから、いつでも使うことが出来る。
そうして、椀に入れて、熱いだし汁を注ぐだけで、
直ぐに、そばが食べられるのだ。
まさに、インスタント!!!

この「凍りそば」は、
江戸時代の終わり頃から作り始められたらしい。
戦後は作る人がいなくなったが、二十年位前から、
地元のグループが復活させて生産されているとの話。
手作りのためと、冬の、ごく寒い季節にしか作れないので、
売られているのは、ごくわずかとのこと。
機会があればお試しあれ。

●また、信州の冷たい川の水にそばを浸して作る、
「寒ざらし」そばも、復活して作られ始めた。

これは、寒中の川の水の中に、
玄そばを放り込んで、
数日間さらしておくもの。
その後、水から取り出し、
乾燥させて保存する。

この玄そばを使って作った「さらしな粉」は、
夏になっても風味の落ちない最上品とされ、
江戸時代には、信濃から将軍に献上されたそうだ。

このそばも、長らく作られていなかったが、
最近になって研究するグループがいくつか出来て、
夏の期間限定で、販売されているらしい。
八ヶ岳の麓のグループは、
今年は900キロの玄そばを仕込んだと、
新聞に報じられていた。

何でも、寒さにあたるために、
甘さがぐっと増すのだと言う。

●そう、野菜というものは、
寒さの中で保存すると、
甘さが増すと言われている。
だから、近頃は、雪の中に保存した、
キャベツやニンジンが売られている。
このニンジンを食べたことがあるけれど、
とても甘いのだ。

だから、そば粉も、雪の中に置いたらどうだ、、、
と、信濃町にあるそば粉屋さんが考えた。
そこで、雪の中に玄そばを麻袋ごと積み上げて、
雪に埋もれさせた。
何でも、今年は大雪で、
そばがすっかり雪の下になってしまったそうだ。
それを掘り出して、粉にして、
やはり「寒ざらしそば」として、売り出している。
試したけれど、どういうわけか、
しっとりと、滑らかな感触のそばに仕上がる。
不思議なものだ。

●信州の厳しい冬の寒さも、
このように生かすことが出来るのだねえ。
ここまでくれば、春ももう少し待てばやってくる。
でも、人間も、
寒い寒いと言って、家の中に閉じこもっていないで、
寒さにあたった方が、
少しは、味が出てくるのかなあ。
「寒ざらし人間」なんてね。

どちらにしろ、この寒い季節が、
そばの一番おいしい季節といわれている。
秋に収穫されたそばが落ち着いて、
甘みが乗ってくる時期なのだ。
寒さの中を、
ぜひ、そば屋に足をお運びを。

80年前のソバの産地ランキング

●ちょっと古い本を読んでいたら、
昭和5年の各県別のソバの生産量の表が載っていた。

昭和5年と言えば、、、、、

、、私は生まれていないので、
よくわかりません。

この年、東京の三越で「お子様ランチ」が売り出され、
脚光を浴びたそうだ。
まだ、戦争の陰は薄く、
そばも、大いに食べられていた時代だったことだろう。

さて、今から80年前の日本。
そのころ、ソバの栽培の盛んな県と言えば、
ほほお、
なるほど、なるほど。
さて、一番でダントツの生産量を誇っていたのは、
どの都道府県でしょうか?
そうして、ダントツの二位は?


●去年は天候不順の影響で、
全国的にソバの出来が良くなかった。
10アールあたりの収穫量は、
例年の60パーセントだったと統計が出ている。

おかげで、国産のそば粉が不足。
そば屋も、製粉屋さんも、
頭を悩ませているこの頃なのだ。

現在の国内のソバの生産量を見ると、
圧倒的に北海道が多く、
国内産の約半分近くを出荷している。
やはり、土地の広さが違うのだろう。

あとは、茨城、福島、山形、などが
続いている。
おっと、いけない、我が長野も、
この二番手のグループに入っている。

そうして、福井がそのあとを追い、
青森、秋田、新潟、栃木などが三番グループを作っている。

さて、現在のソバの産地は、
このようなところだが、
果たして、80年前、
昭和五年の産地は、どうなっていただろうか。

●その前に、ちょっと、
 ソバの栽培されている場所を考えてみよう。

「そばの自慢はお里が知れる」

などという言い伝えがあるが、
ソバというのは、米の栽培に向かない、
冷涼な山間地で作られたものが、良いソバと言われる。
つまり、良いソバの産地ということは、
険しい山に囲まれた場所ということ。

「褒められて所はづかしそばの花」

などという川柳もある。
山ばかりの何もないところで、
ソバの作られる恥ずかしさを詠んだものなのだろうなあ。

今だったら、逆に、
そういうところの方が、
都会の人には喜ばれる気がする。
だって、
今、日本で作られているソバの多くは、
減反対策で、平地の田んぼで作られているののだから。

ソバの産地といえども、
決して山の中とは限らないのが、
現代の特徴だ。


●では、
昭和五年のソバの生産量ランキングの発表!!

十位から六位までは、
静岡、長野、栃木、熊本、岩手

あれっ、長野は九位だったのか。

五位 青森、
四位 宮崎、
三位 茨城、
そうして、ダントツの二位は、
鹿児島。

さらに、さらにダントツの一位は
ほっ、ほっ、ほっ、
北海道!!!!

なんだ、昔から、北海道は、ソバの一大産地だったのだ。

もっとも、北海道は、
寒冷なため、稲作がなかなか発達しなかった地域。
今でこそ、稲の品種改良が進んで、
大規模に栽培されるようになったが、
その前までは、ソバぐらいしか育たなかったのかもしれない。


●でも注目すべきは、
九州で、多くのソバが作られていたことだ。
特に鹿児島、宮崎、熊本などの名が挙がっている。
九州の山間部では、昔は盛んにソバが作られていたことが、
この資料からもうかがえそうだ。

また、名前は出て来ないが、中国地方や四国でも、
結構栽培されていたようだ。
つまり、山奥の、
他に作物が出来ないようなところには、
必ずソバが植えられていたのだろう。

それが、今では、機械の入らない山の畑では、
ソバすらも、作られなくなってしまったようだ。

さてさて、少しは様変わりしたソバの産地。
でも、田んぼで作るそばより、やっぱり、
山奥の畑で作るそばの方がおいしい気がする。
ともあれ、今年は、天候に恵まれ、おいしいそばが、
たくさんとれますように、、、、
ひたすらそう祈っている。


そば屋の褒め方

●そば屋というのは、
なかなか、褒められることが少ない。
どちらかと言えば怒られることばかり。

「店が汚い」
「出てくるのが遅い。」
「そばが、期待するほどうまくなかった。」
「お釣りを間違えているぞ。」
「お前の顔が悪い。」

とまあ、いろいろなことで叱られている。

それでも、時々、
お客様にこんな言葉をいただいたりする。
「おいしかったよ」
これは、何よりもうれしい褒め言葉。

「路地裏で、人が少なくていいねえ。」
と褒められることもあるけれど、
これは、私の方で複雑な気分。
お客様には、たくさん来ていただいた方が、、、、。

昔の江戸っ子も、
そば屋を褒めるっていえば、
せいぜい、こんな言葉。
「あの店は、
 そばはうまいが、
 汁がいまいちだなぁ。」

えっ、これって褒めていないじゃないか?
と思われるかもしれないが、
シャイな江戸っ子にとっては、
精一杯の褒め言葉であったようだ。

●ところが、そんな江戸っ子が、
そば屋を、べた褒めする話がある。
ご存知、落語の「時そば」。

ある江戸っ子が、屋台で売り流しているそば屋に声をかける。
そうして、「しっぽく」を注文すると、
ことあるごとに、そのそば屋を褒めるのだ。

「看板が当たり矢じゃないか、
 こりゃあ、縁起がいい。」
「おっ、待たせずにすぐ出来るなんていいね。
 江戸っ子は気が短いのだから。」
「ちゃんと割り箸を使っているね、
 これはきれいでいい。」

そんな感じで、
ドンブリを褒め、
そばが、細くてコシがあると褒め、
具の竹輪が厚く切ってあると褒める。

そうして、そば屋の主人をおだてておいて、
十六文のそば代を払う時に、時間を聞いて、
一文ごまかすのだ。

それを横で見ていた、
一枚抜けている江戸っ子が、
同じことをやろうとして失敗するというお話。


●この「時そば」は、
寄席では前座さんがよくやる。
でも、経験豊富な師匠が話すと、
もっと楽しくなる。
先代の「小さん」師匠がやると、
近所のそば屋は、寄席帰りの客でいっぱいになったそうだ。

そうやって、褒められれば、
そば屋だって、一文ぐらい足りなくても、
気分はいいことだろうなあ。

●ある年配のお客様。
とても、食べ慣れているご様子で、
すすす、、、と、そばが口の中に吸い込まれていく。
そうして、帰り際に、
「おいしい汁だねえ。」と言っていかれた。
そう、私のような職人は、
そばも褒められればうれしいが、
苦労して作った汁の価値を、
解ってもらえれば、もっとうれしいのだ。

ある方によると、
食べ物屋によって、
お店を喜ばす褒め方が違うそうだ。

そば屋だったら汁を褒める。
天ぷら屋は衣を褒める。
うなぎ屋は焼き方を褒める。
寿司屋はシャリ、つまり米を褒めるのだそうだ。

どれも、あまり目立たないが、
職人さんの苦労しているところなのだ。

ある寿司屋さんに聞いたら、
そこでは、すし飯の温度に気を使っているそうだ。
寿司のネタは冷たくとも、シャリは、
人肌程度のぬくもりを感じさせるくらいがいいという。
もちろん、ネタのよさにも自信があるが、
やっぱり、米を褒められるとうれしいという。
そういうところまで、気のつく方がいらっしゃると、
普段の気遣いが報われるそうだ。

でもねえ、そうやって、
シャリを褒めてもらってうれしいのは、
寿司の食べ方をきちんと知っている方から、
声をかけられた時だという。
寿司の食べる順番や食べ方で、
寿司屋は、客のレベルが解るらしい。
そのレベルの高い方から褒められるのが、
一番うれしいそうだ。

店に入ってきたとたんに、
「大トロ」、「ウニ」、
と頼むようなヤボッ食いに褒められても、
ちっともうれしくないという。

そば屋だって、同じかもしれない。
おいしい食べ方をする方に、褒めていただくと、
「一文」ぐらいは、
まあ、だまされてもいいや、、、
という気になるのだ。

あくまでも「一文」(いちもん)。
だけ、、、ですが。


「外二(そとに)そば」って何?

●先日の取材に来られた、
テレビのレポーターの方は、
目のクリッとした、かわいい方だ。
こういう若い方と話をするだけで、
つい鼻の下が伸びてしまう、、、
あ〜あ、おじさんになってしまった私。

その目玉ちゃんは、マイクを突き出して、
いきなり、こう聞く。
「あの、この店のおそばは、
 どんなおそばなのですか。」

はっはっはっ、このくらいの質問なら、
カメラの前でも慌てずに答えられるぞ。
「はい、外二の割合で打った、
 細めの手打ちそばです。」

テレビに出る方は、
たいていオーバーなアクションをする。
目玉をさらに大きくして聞いてくる。
「えっ、いま、ソトニ、とおっしゃいましたね。
 ソトニってなんですか。」
「はい、そば粉とつなぎ粉との割合のことで、
そば粉が10に、つなぎ粉が2の割合になります。」

そうしたらレポーターさん、自分の指を広げ、
「だって、そば粉が10で、
 あとの2はどうやって足すんですか。」
などという。
なるほど、テレビを見ている人に解りやすくするために、
わざとトボケているのだね。
こういう仕事も大変だ。

「ええ、そば粉を10杯鉢に入れて、
 つなぎ粉を2杯足せばいいのです。」
「あっ、そうか。
 10杯と2杯と言うことなのですね。
 ところで、つなぎ粉って何ですか。」

「そばを作る時に、そばだけではまとまりにくいので、
 つなぎ粉を入れて、つながりやすくするのです。
 それによって、そばが切れずに、つるっと食べられるようになります。」
うん、我ながら、優等生的回答。

「そのつなぎ粉って、何を使うのですか?」
「小麦粉です。」

そうしたら、またまた、目玉がぐぐっと大きくなって、
のけぞるように驚いた表情でいう。
「えっ、そばって、!うどん粉!が入っているんですか?」

何も知らないフリをする、
目のクリッとしたレポータさん。
いくら仕事だからといって、
そこまでボケなくても。
(ひょっとしたら天然?)

●、、、ということで、
こういうテレビの取材は疲れるなあ。
でも、あとで放映された映像を見たら、
ちゃんと『大人』向けに編集されていた。

たしかに、
そばは「外二(そとに)」で打ちました、
といっても、普通の人には解りにくい。
その度ごとに説明しなければならないのが現実。

なぜ「二八(にはち)」と呼ばないのか、
とも聞かれたりするが、
だって、「二八」は8対2の割合。
「外二」は10対2の割合。
微妙にそばの濃さが違うのだ。

それに、
「二八そば」という言葉には、
ただ単に、そば粉の割合を表すだけでなく、
小麦粉のつなぎを入れた、
一般的なそばを指す意味としても使われているんだ。

東京にいた頃に使っていたそば屋も、
表にはしっかりと「二八そば」の看板があるのだが、
親父さんに聞いてみると、同割りだという。
つまり、5対5の割合。
出前も種物も扱うそば屋としては、
そのくらいが、麺線を保つ限度らしい。

江戸末期に、街で売られたそばは、
相場が16文と決められてという。
そこで、そのそばを、
2×8で、16文で食べられるということで、
「二八そば」の名が広まった。

だから、「二八そば」の看板を掲げる店は、
「生そば(きそば)」(十割の意味)の看板を掲げる店より、
庶民的な店ですよ、
と、アピールしたわけだ。
けっして、そばが八割、つなぎが二割の意味ではなさそうだ。

●しかしながら、今では十六文ではそばを食べられないから、
本来の割子の割合と関係なく「二八そば」と名のるのは、
はなはだ、解りにくい。

今だったら、500円の「ワンコインそば」とか、
ドルも安くなったので「9ドルそば」とか、
大手の雑誌と同じ値段の「文芸春秋そば」とか、
近くの有料駐車場の駐車料金と同じになる「1時間半そば」とか、
まあ、いずれにしろ流行りそうもないが、
別の呼び方があるだろう。

そば粉の割合でいえば、
「同割(五五)」「六四」「七三」「二八」「九一」
などの呼び方がある。
あれ「二八」だけ、そばの割がひっくり返っている。
まあ、中には「逆七三」(そば粉3:つなぎ粉7)なんかもあって、
なにがなんだか。

ちなみに、乾麺では、
「逆七三」以上のそば粉の含有率がないと、
「そば」と表示できないことになっているらしい。
乾麺の業界の皆さんは、かなりぎりぎりの割合で、
苦労をされているみたいだ。
でも、そのくらいの割合で、
しっかり、そばの風味を出しているのも、
たいしたものだと、感心してしまう。

●で、さっきから、そんな話をせせら笑っているのが、
「十割そば」なのだ。
俺こそが、混じりけなしのそばの本道よ、、、、
などと威張っているが、
どっこい、
栄養面で見ると、
二三割小麦粉を混ぜたそばの方が、
バランスがいいそうだ。

十割そばを打つと、よく聞かれるのが、
「長芋でつないでいるのですか?」
「たまごを使っているのですか?」
という質問。
「十割そば」というのは、
そば粉と水だけで作るそばのこと。
他には何もいれていません。

そば粉には、水で溶くと、
もともと、ねっとりとして、くっつきあう性質がある。
その性質を、最大限に生かしてそばを打てば、
「十割」で打つことも出来るのだ。
でも、
そば粉の皆さんは、飽きやすい性格のようで、
くっつきあっているのが、長持ちしない。
だから、小麦粉のようなホスト役、またはホステス役を入れて、
円満に生地が繋がるようにしている訳なんだね。

●昔は「色の黒いそばの方が、そば粉の割合が多い。」
などと言われたりしたが、
色の白いそば粉もあるので、
色と、そば粉の割合とは関係がない。
ソバの実の外側の部分を多く挽き込むと、
黒っぽい粉になるまでのこと。

でもねえ、
そばを一口食べただけで、
「これは七三のそばだ。」
「これは九一だ。」
などと判る人は、
まあ、あまりいないことだろう。
ただ、使っているそば粉によって、
また、店の人の考え方によって、
一番使いよい、そして、おいしくいただける割合があるのだろう。
それが私の場合は「外二」だったわけだ。

十杯と二杯。
粉を量る時に、計算しやすいから、、、
、、というのも、あるかなあ。


本家、本流、看板の取り合い

●ひと昔、いや、ふた昔前の頃には、
どこの温泉地にいっても、
「温泉まんじゅう」が売られていた。
たいてい、何軒かのまんじゅう屋があって、
競い合っている。

果たして、その店が温泉まんじゅうを、
最初に造り始めたのかどうかは知らないが、
ある店は「元祖温泉まんじゅう」という看板を掲げている。
それに対抗する店は「本家温泉まんじゅう」とうたっている。
さらに、それに対抗して「総本家」を名乗る店があったりして。

どちらも、
自分のところが
「本筋の作り方を伝承している店ですよ」
と強調しているのだろう。

まあ、
食べる方としては、
「元祖」だろうが、「本家」だろうが、
「総本家」だろうが、
おいしければ、どちらでもいい気がする。

●さて、そば屋の世界でも、
「本家」の使い方を巡って、
裁判にもなった店名がある。

東京は麻布に、
三軒の老舗のそば屋があるが、
どこも、200年の伝統をうたい、
創業者は「布屋太兵衛(ぬのやたへえ)」だという。

三軒の名は
「永坂更級布屋太兵衛」
「麻布永坂更級本店」
「総本家更級堀井」。
どこも、自分の店こそが、
布屋太兵衛のそばの流れを汲むものと、
「本店」「本家」「本流」を名乗っているのだ。

これってどういうことだろう。

●寛政元年(1789年)に、
信州特産の信濃布という布を商っていた太兵衛が、
麻布に「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」の看板を掲げた。
この時の「更科」は、
蕎麦の産地である信濃の「更級」の地名と、
そば屋の開業を勧めた領主の「保科」氏の名前から、
いただいたと言われている。

これを今も呼ばれる「更科そば」の起りという人も居るが、
じつは「さらしな」の名は、その前から使われていたようだ。

その布屋太兵衛の店は、色の白い御前蕎麦を看板商品として、
大いに流行ったらしい。
明治には「永坂更科」とよばれ、
独自の更科の製粉方法も生み出し、
何軒かの暖簾分けも行った。

ところが、昭和の初めの大恐慌、
加えて七代目当主の芸者遊びがだめ押しとなり、
昭和16年に廃業と相成った。
あらあら。

戦後になって、
布屋太兵衛の名を惜しんで、
相次いで、その名を使ったそば屋が開業し、
さらに、八代目となる子孫も本流を主張して麻布に店を開いた。
「永坂」と「布屋太兵衛」の名をめぐって、
商標権が争われたが、
最終的に今の形に落ち着いたようだ。

なるほどなるほど。
有名な名前だからこそ、
看板の取り合いになったわけだ。
そうして、三軒とも、
今でも老舗として、繁盛しているようだ。

●さて、昔はそば屋の系列に
「更科」「薮」「砂場」の三つがあると言われた。
それぞれにそばを作る流儀が微妙に違う。

でも「更科」では、明治になるまで暖簾分けをしなかったので、
その正式な系列店は、東京にある六軒ほどの店だけといわれている。
他にも「更科」を名乗る店があるが、
繁盛にあやかって使われているとの話。

暖簾分けという方法は、
今はやりのチェーン店のはしりでもある。
だけど昔は、その看板を分けてもらうには、
それ相応の、技術と資産と人格が必要とされ、
簡単には分けてもらえなかったのだね。

さて、「かんだた」も
「総本家」とつけないと間違えられる、、、
というぐらいの看板(ブランド)に、
なるのだろうか。


「ハッピーバースデー」を歌って手洗い

●さて、これは、人から聞いた話。

ある老舗のお菓子屋さんが、
お客さまに配るための、
パンフレットを作ったそうだ。
その、老舗の得意とするのは、
練りきりという生菓子。
きれいな形に仕上げるためには、
熟練と技が必要だ。

そこで、職人さんが、
手でそのお菓子を作っているところを、
きれいな写真に撮って、
パンフレットの表紙にした。

うん、いいパンフレットができた、
これなら、お客さまに喜んでいただき、
店のイメージアップになることだろう。
そうお菓子屋さんは考えた。
そうして、
その自慢のパンフレットを配りはじめたのだった。

ところが、暫くして、
こんな電話があった。
「パンフレットを見ると、
 おたくのお菓子は、素手で作られているんだね。
 ちょっと、食べる気がしなくなった。」

あれれ、ずいぶん神経質な方がいらっしゃるのだな、
と、お店の人は最初は思ったそうだ。
ところが、そういう電話が、
それからも、度々あったのだ。

練りきりの繊細な形は、
熟練した職人さんの、微妙な手の動きによって、作られる。
それは、素手でしかできない芸術品のようなものだ。
とても、手袋をした手や道具では作れない。

そういう手作りの大切さを伝えたかったから、
パンフレットに、手の写真をのせたのだ。

なのに、それを嫌がる人もいる。

お菓子屋さんは、ずいぶん悩んだ末、
そのパンフレットを配るのをやめたそうだ。

●弁当工場や給食施設、食品工場などでは、
マスクをし、頭巾をかぶり、
ビニールの手袋をして作業しているところが、
写真などで紹介されたりしている。

そう、そういう場所では、
衛生に細心の注意を払っている。
だから、殺菌された手袋を使うのだね。

そういうのを見ているから、
手袋をしていた方が衛生的で、
素手で食品を扱うのは、
不衛生だと考える人もいるのだろう。

でも、その手袋って、
どうやって身につけるのだろうか。
やっぱり、一度は素手で触らないと、
着けられないよね。
手袋をした、ほかの人にはめてもらえばいいけれど、
今度は、その人は、どうやって、、、、
なんて、考え出すと、
眠れなくなってしまう。

●飲食店なんぞ、
食品を素手で扱わなければならないところは、
たくさんある。

例えば寿司屋。
手袋をした手でシャリを握り、
「へい、大とろお待ち!」
なんて出されたら、どんな気分だろうか。
(お客さまの話では、
 実際にそういう店があるらしい。)

そば屋だってそうだ。
手袋をして、そばを打つことはできないし、
茹でたり、洗ったり、
それを盛ったりするのは、どうしても素手になる。

何しろ、お客さまが口にするものを、
素手で触るのだから、
そば屋というのは、よっぽどの覚悟が必要だ、、、
なんて、いまさら。

●実は、「そばを手で捏ねてはいけない」、
という時代があった。
戦後のしばらくの間、
食べ物を素手でこねて作るなどとはけしからん、
と、お役人が言い出して、
製麺機の設備のない店には営業許可が降りなかった。
当時の衛生状態を考えると、
それも仕方がなかったのかもしれない。

今でも、飲食店では、
手洗いの設備や方法について、
うるさく指導される。
いわく、30秒以上流水にさらしながら、
手を洗うようにとのこと。

この30秒という時間は結構長い。
普通の人が手を洗えば、
せいぜい、5秒程度。
ある人の話では、
30秒というのは、
「ハッピーバースデー」の歌を、
二回歌うぐらいなのだそうだ。

●うどんなどでは、
ゆでた後に、シャワー洗浄し、
箸などを使って盛ることができる。

でも、細く切れやすいそばはそうもいかない。
少しづつ、つまんで盛り込まないと、
水も切れないし、そばが絡んで食べにくくなってしまう。
箸を使っていたら、
お客さまの席に着く頃には、
すっかり延びてしまうだろうなあ。

しかしながら、
お客さまの厳しい目。
やがて、手袋をしてそばを盛る日が、
やってくるのかもしれない。

そんな日が来ないように、
しっかりと、手を洗おう。
ハッピーバースデー、ツーユー〜〜〜〜。


「ノビる」そばと「ノビない」体力

 ●食べ物とは関連のない勤めをしていた若い頃、
 仕事場で、よく、そばの出前を頼んだ。
 まとまった食事時間の取れない不規則な仕事。
 そばならば、さっと、食べられて、
 お腹に重たくなく、
 すぐに動けるので、重宝していた。

 しばらくしたら、近所に別のそば屋ができた。
 食べに行ってみると、
 こちらの方がはるかにおいしい。
 出前もしてくれるというので頼んでみた。
 そうして食べようと思って、
 箸でつまむと、
 あらら、そば全体が持ち上がってしまう。
 そばがみんな、くっついているのだ。

 なんとかほぐして食べるけれど、
 すっかり、歯ごたえがなくなっている。
 完全にノビきっているのだ。

 うんちく好きの上司のいうことには、
 「いいそばほど、ノビやすい。」
 のだそうだ。

 結局、出前には元のそば屋、
 食べに行くのなら、新しいそば屋、
 ということで、役割分担が決まった。

●そばは、時間が経つと、
 すぐにノビてしまう。

 漢字で書けば「伸びる」とも、
 「延びる」とも使うそうだ。

 別に、物差しで測って、
 長さが変わるわけではない。
 しゃきっとした、歯切れのいい、
 そば独特の食感が失われることだ。

 茹で上がったそばは、
 洗われて、せいろなどに盛って、
 すっと、水が引いた瞬間が、
 一番おいしいといわれている。

 だから、そば屋で酒なんぞ飲んでぐずぐずしていると、
 「ほらほら、そばがノビてしまいますよ。」
 と、女将さんに促されたりする。

 老舗のそば屋さんの中には、
 「大盛りはありません。
  盛りの量が多いと、
  食べているうちにそばがノビてしまいますから。」
 と、言われるところもある。
 
 大人数の宴会などで、
 「そばは無礼講」などと呼ばれるのは、
 みんなに行き渡るまで待っていたら、
 そばがノビてしまうから。
 たとえ、下っ端だろうが、小間使いだろうが、
 茹でて出された順に食べるのが、
 あたりきしゃりき!
 部長、専務、社長、大臣、ヒラ、
 この際、肩書きは関係ないのだ。

●さて、そばがノビているって、
 どんな状態なのだろう。

 はっきり分かるのは、
 盛られたそばがくっついてしまうこと。
 そうして、ぐにゃっという食感になってしまうこと。

 なんで、こうなるの?

 何でも、そば粉には、
 水溶性のタンパク質が多く含まれ、
 それが、茹でられた後に溶け出して、
 、、、うんぬん。

 つまり、そば粉の割合の多いそばほど、
 ゆでた後にノビやすいようだ。

 上司が言っていた、
 「いいそばほど、ノビやすい。」
 というのは確かなことのようだ。
 だから、そば粉の割合の多かった新しいそば屋は、
 出前には向かなかったのだね。


●でも、どこでも、好きな時に、
 そばを食べたい、
 というのも、一つのニーズ。
 ましてや、食べ物屋の少なかった昔は、
 そば屋の出前は重宝した。

 ある時、そば屋の厨房を覗いたら、
 出前用のそばを盛る前に、
 懸命にうちわで扇いでいた。

 水気を飛ばすことによって、
 少しでもノビるのを、
 延ばそうとしていたのだねえ。

 お客さまの話では、
 あるコンビニで売られているざるそばには、
 「ほぐし水」というのが付いているそうだ。

 プラスチックのパックに盛られたそばは、
 全く、ノビた状態で、固まっているけれど、
 その水をかけると、あら不思議、
 パッと、そばがほぐれて、
 おいしく食べられるそうだ。


●そばはノビる前に食べるに限る。
 だから、そばが来たら、
 一気に、たぐり込むように食べるのが、
 そば通の常識、、、、
 と思いきや、
 中には、ノビたほうが好きだという方もいらっしゃる。

 そばをお出しても、しばらくそのままにして、
 おかれるのだ。
 その方のおっしゃるには、
 店によってノビ方が違うので、
 そこを見極めるのが難しいとか。

 また、最近は、
 一枚のそばを、
 20分ぐらいかけて、
 すこしづつ召し上がる方もいらっしゃる。
 まるで、そばのノビていくのを、楽しんでおられるようだ。

 それでも、
 ノビのない、
 しゃきっとしたそばをお出しするのが、
 そば屋のつとめ。
 タイミング良く茹で、よく洗い、
 丁寧に水を切る。
 そうして、どんなに忙しくとも、
 ノビない体力をつけておくのも、
 そば屋の仕事のうち、、、なんだなあ。


白い飯ばかり食べていると、、、、


●江戸時代は終わり頃、下町の一角に、
居を構えている大工の棟梁。
たくさんの若い衆を抱え、
あっちのお店、こっちの現場へと忙しい。

ところが、その若い衆の中でも、
一番の働きをしていた熊五郎が、
俄に床についてしまった。

棟梁は心配して、他の者に尋ねる。
「おい、猫八、熊五郎の具合はどうなんだ。」
「へい、それが、なんでも、脚に力が入らなくて、
 起き上がることが出来ねえっていうんですよ。」

棟梁は若い衆の顔を見回しながら、
しみじみと言う。
「俺はなあ、若いときに食べるものに苦労をしたから、
 せめて、お前たちには、
 白い飯をたっぷりと食わせてやりたいと思っている。
 それが、一番飯を食っていた熊五郎がこのざまだ。
 それにひきかえ、猫八、お前らは飯もろくに食わずに、
 そばばっかり食べにいっているだろう。」

頭を掻きながら答える猫八。
「へい、ご存知でしたか。
 そりゃあ、白い飯もおいしいんですが、
 なにしろ、あっしは、大のそば好きだもんで。」

さて、起き上がれなくなった熊五郎、
医者の見立てでは「江戸患い(わずらい)」というものらしい。
なんでも、江戸を離れると、回復することがあるという。

そこで棟梁は、百姓をしている田舎の親類に、
熊五郎を預かってもらうことにした。
大八車に乗せられ、猫八たちに引っ張られて、
熊五郎は江戸を去ったのだった。

さてさて、一年もたった頃、
元気になった熊五郎がかえってきた。
「いやあ、田舎はひどいよ。
 何しろ食べるものといえば、麦や豆ばかりなんだ。
 また、ここで、白い飯を食べて、
 ばりばりと働くぞ。」

棟梁も、猫八も、ほかの若い衆も、
熊五郎が元のように元気になったので、
大いに喜んだのだ。

が、しかし、、、、。


●私の若い頃には、小学校の身体検査の時、
ゴム製のハンマーで、膝の頭を叩かれた。
そう、ある程度御年配の方なら、
ご存知だろう。

えっ、何のことかって。
ハンマーで叩いて、脚がピクッと反応すればOK。
反応がないと、脚気(かっけ)の疑いがあるとされた。

脚気は、ご存知のようにビタミンB1の欠乏症。
いわば、栄養失調なのだが、戦前までは、
結核と並ぶ国民病で、亡くなる人も多かった。

これは、白米ばかりを食べることによって、
玄米で補われていたビタミンが摂られなくなったため。
江戸時代の中頃までは、
殿様や武士たちのかかる病気だったが、
白米食が庶民の間でも行われるようになって、
底辺が広がった。

特に、江戸の住民の間ではやったので、
「江戸患い」と呼ばれたのだ。
大工の熊五郎も、
白米ばかりを食べていたために、
「脚気」にかかったのだね。

●この「脚気」による被害が大きかったのが、
明治時代の陸軍だった。
日清、日露の両戦争で、
「脚気」に倒れた兵士の数の多いこと。

これは、強い体を作るため、という目的で、
白米中心の食事を、陸軍が進めたため。
日露戦争での戦死者は4万7千人。
ところが、約25万人が脚気を患い、
亡くなったのは2万8千人。

一方の海軍では、麦飯を導入したため、
ほとんど脚気患者を出さなかったといわれている。
当時はまだ、細菌によって脚気が起こると、
信じられていたのだねえ。

明治の終わり頃にビタミンが発見されて、
脚気は、ビタミンB1の欠乏症だということがわかっても、
その撲滅までには、長い時間がかかったのだねえ。
そお、私の子供時代までね。

●脚気を予防するには、ビタミンB1を含む食品を食べるといい。
多く含まれるのは、玄米、豚肉、うなぎ、大豆、ごま、ピーナッツなど。
それに、麦やそばにも含まれている。

すでに、江戸時代には、脚気患者にそばを食べさせると、
回復するということを、漢方医たちは知っていた。
でも、明治維新で、西洋に目を向けてしまった政府は、
それまでの漢方を、すべて否定してしまったのだね。

さて、棟梁のところで働いていた熊五郎。
白いご飯ばかり、おいしい、おいしいと言って食べていたから、
脚気になってしまった。
それが、田舎へ行って、
豆や麦などのビタミンB1を含む食べ物を食べたから、
元気になって、帰ってきた。
でも、また、白いご飯ばかり食べていて、
大丈夫なのだろうか?

いいえ、
同僚の猫八が、熊五郎をそば屋に誘ったら、
この熊五郎、すっかりそば好きになってしまった。
そうして、棟梁の元で、ずっと元気に働いたのだった。

江戸時代に広まった「そば」。
そのおかげで「脚気」にかからずに済んだ人たちが、
結構いたのではないだろうか。

そのように、私は勝手に想像している。

えっ、脚気って、昔の病気かと思っていたら、
今の人でも、かかる人がいるって?
コンビニのおにぎりや、お菓子だけを食べていたり、
お酒ばかり飲んでいるあなた、危ない危ない。

そばをズズッと手繰って、
元気に過ごそう。



耳の痛いそば屋の「いろはかるた」


●ある「いろはかるた」の文句から、

ーい  勢いをつけよお客の迎え声
ーろ  緑青(ろくしょう)に気付け銅鍋、銅しゃもじ
ーは  繁盛の木に油断の虫が喰い。

そっ、そんなこと言われたって!
あのぉ「緑青(ろくしょう)」ってなあに?

これはいったい、
何の「いろはかるた」なのだろうか。

ものの本によると、
何でもそば屋を営んでいた、長野の岡本さんが、
昭和8年に作った「かるた」なのだそうだ。
そば屋の宣伝として、
刷り物にして広く配布したという。

昭和8年といえば、
先頃亡くなった、三遊亭円楽の生まれた年。
ドイツでは、ヒトラーが政権を取り、
日本は国際連盟を脱退した年。

今から、七十年以上前に作られた、
そば屋のかるた。
これがねえ、今でも耳に痛い、、、
のだ。


●その当時といえども、
やはり、店の衛生、清潔が大切。
常に、整頓と、道具の整備を怠らないこと。

ーち  散らかった、店にお客は寄り付かず
ーれ  料理場にさびた包丁、赤い恥

なるほどねえ、最近はさびない包丁もあるけれど、
やっぱり、手入れは必要。
最初の「緑青」は、銅製品に出来る青緑色の錆。
昔は、鍋やおろし金、ひしゃくなどに、
銅がよく使われた。
手入れをしないで、水に濡れたままにしておくと、
すぐに、青い色が浮いて来て、
さぼっているのがわかってしまう。


●そば屋というのも商売。
お金に対する考え方も大切。

ーし  仕入れものすべて現金、借りぬよう

うう〜ん、これは大事なことだ。
そば屋は日銭商売。
下手に、つけを溜めてしまうと後が大変。

ーり  流行は着物にきずに店にかけ

たとえ儲かったとしても、
贅沢をしてはいけない、という戒め。

ーひ  控えめに費(つか)わぬ財布足を出し

商売が大きくなってくると、
つい、気も大きくなって散財しがち。
ぐっと引き締めなければ。


●さて、そばの味も大切。

ーほ  ほめられて気をゆるめるな塩加減

そう、ほめられたからって、
いい気になってはいけない。

ーて  ていねいは下手も上手の仕事をし

まずは一つ一つ、
丁寧な仕事をすることが、
お客様に喜ばれる秘訣なんだねえ。

ーみ  磨け腕、自慢は道の逆戻り

商売に慣れてくると、自分のやり方に、
いや、自分のやり易いやり方に傾いていきがち。
腕自慢に満足しては、時代に取り残されてしまう。

ーの  のびたそば売る店だんだん縮こまり

そりゃあ、そうだろうねえ。

ーね  値で売るな味と仕事と品で売れ

ほらほら、耳に痛い。
クーポン券や値引きで人を集めたって一時的なもの。
やはり、そばの味で評判にならなければ。
それに「品」とあるところが、ちょっと憎い。


●商売は、昔も今も、
お客様に喜ばれてこそ、
成り立っていくもの。

ーに  ニコニコの店に閑(ひま)なし客の山

ぶっきらぼうの店よりも、
笑顔でそばを出された方が、
気分がいいもの。
これがねえ、わかっていても、
続けられない店が多いのだ。

ーゆ  有名になるほど店の腰低く

うちは有名じゃないから、
腰が高くてもいい、、、、わけがない。

ーお  おいしさも、まずさも一つは店気分

料理の味の感じ方も、
店の雰囲気や接客によって左右される。
目のつかぬところにも気を使い、
お客様をもてなす気持ちを店が持たなければ、
どんなにおいしいそばを出したところで、
おいしく感じなくなってしまう。


●この昭和の初めの頃の、
そば屋の作った「かるた」を読んでみると、
今も昔も変わらない、商売の姿が見えてくる。
当時の商売も、厳しいものがあったのだろう。

ここに書かれたことは、
今でも充分に通じること。
そば屋という生業を続けていくには、
常に、こうして自らを戒め、
注意を呼び起こしていかなければ。

特に、こんな言葉はね。

ーゐ  居眠りは不体裁ぞや店の番

居眠りをしたいほど閑なときも、
時々あるもので、、、。