そば屋の褒め方

そば屋の褒め方

●そば屋というのは、
なかなか、褒められることが少ない。
どちらかと言えば怒られることばかり。

「店が汚い」
「出てくるのが遅い。」
「そばが、期待するほどうまくなかった。」
「お釣りを間違えているぞ。」
「お前の顔が悪い。」

とまあ、いろいろなことで叱られている。

それでも、時々、
お客様にこんな言葉をいただいたりする。
「おいしかったよ」
これは、何よりもうれしい褒め言葉。

「路地裏で、人が少なくていいねえ。」
と褒められることもあるけれど、
これは、私の方で複雑な気分。
お客様には、たくさん来ていただいた方が、、、、。

昔の江戸っ子も、
そば屋を褒めるっていえば、
せいぜい、こんな言葉。
「あの店は、
 そばはうまいが、
 汁がいまいちだなぁ。」

えっ、これって褒めていないじゃないか?
と思われるかもしれないが、
シャイな江戸っ子にとっては、
精一杯の褒め言葉であったようだ。

●ところが、そんな江戸っ子が、
そば屋を、べた褒めする話がある。
ご存知、落語の「時そば」。

ある江戸っ子が、屋台で売り流しているそば屋に声をかける。
そうして、「しっぽく」を注文すると、
ことあるごとに、そのそば屋を褒めるのだ。

「看板が当たり矢じゃないか、
 こりゃあ、縁起がいい。」
「おっ、待たせずにすぐ出来るなんていいね。
 江戸っ子は気が短いのだから。」
「ちゃんと割り箸を使っているね、
 これはきれいでいい。」

そんな感じで、
ドンブリを褒め、
そばが、細くてコシがあると褒め、
具の竹輪が厚く切ってあると褒める。

そうして、そば屋の主人をおだてておいて、
十六文のそば代を払う時に、時間を聞いて、
一文ごまかすのだ。

それを横で見ていた、
一枚抜けている江戸っ子が、
同じことをやろうとして失敗するというお話。


●この「時そば」は、
寄席では前座さんがよくやる。
でも、経験豊富な師匠が話すと、
もっと楽しくなる。
先代の「小さん」師匠がやると、
近所のそば屋は、寄席帰りの客でいっぱいになったそうだ。

そうやって、褒められれば、
そば屋だって、一文ぐらい足りなくても、
気分はいいことだろうなあ。

●ある年配のお客様。
とても、食べ慣れているご様子で、
すすす、、、と、そばが口の中に吸い込まれていく。
そうして、帰り際に、
「おいしい汁だねえ。」と言っていかれた。
そう、私のような職人は、
そばも褒められればうれしいが、
苦労して作った汁の価値を、
解ってもらえれば、もっとうれしいのだ。

ある方によると、
食べ物屋によって、
お店を喜ばす褒め方が違うそうだ。

そば屋だったら汁を褒める。
天ぷら屋は衣を褒める。
うなぎ屋は焼き方を褒める。
寿司屋はシャリ、つまり米を褒めるのだそうだ。

どれも、あまり目立たないが、
職人さんの苦労しているところなのだ。

ある寿司屋さんに聞いたら、
そこでは、すし飯の温度に気を使っているそうだ。
寿司のネタは冷たくとも、シャリは、
人肌程度のぬくもりを感じさせるくらいがいいという。
もちろん、ネタのよさにも自信があるが、
やっぱり、米を褒められるとうれしいという。
そういうところまで、気のつく方がいらっしゃると、
普段の気遣いが報われるそうだ。

でもねえ、そうやって、
シャリを褒めてもらってうれしいのは、
寿司の食べ方をきちんと知っている方から、
声をかけられた時だという。
寿司の食べる順番や食べ方で、
寿司屋は、客のレベルが解るらしい。
そのレベルの高い方から褒められるのが、
一番うれしいそうだ。

店に入ってきたとたんに、
「大トロ」、「ウニ」、
と頼むようなヤボッ食いに褒められても、
ちっともうれしくないという。

そば屋だって、同じかもしれない。
おいしい食べ方をする方に、褒めていただくと、
「一文」ぐらいは、
まあ、だまされてもいいや、、、
という気になるのだ。

あくまでも「一文」(いちもん)。
だけ、、、ですが。