●そばを食べる人は

宮本武蔵はそばを食べたか?

○宮本武蔵は二刀流を生み出した、
江戸時代の初めの剣豪。
その生涯は吉川英治の書いた長編小説「宮本武蔵」で、
詳しく描かれている。

この小説は、過去に何度も映画やドラマになり、
広く知られている。
またまた、人気タレントを使って、
新しくドラマになるという話もあるようだ。

この小説の中で、
武蔵がそばを食べるシーンがある。

江戸の旅館で、
そばを食べるのだが、
その時に、そばに集まってくるハエを、
箸でつまんで取り除いていたという。
えっ、動いているハエを!
ちょうど、武蔵に文句を付けようととしていた隣の部屋の男が、
その様子を見て、
黙って引き上げていったというのだ。

なるほど、
剣豪として研ぎすまされた動きが、
こういうところにも表れるのだ。

○この吉川英治の小説が新聞に掲載されたのが、
昭和10年という。
長い物語なので、何年かにわたって連載されたそうだ。

ところがこの小説に噛み付いた、
江戸文化の研究家が居た。
その名を三田村鳶魚(えんぎょ)という。

この人は、
江戸時代を舞台にした、
様々な小説について、
時代考証をして意見を言っていた人なのだ。

三田村の言うことには、
武蔵が活躍したこの時代には、
今食べられているようなそばは、
まだなかったという。
だから、
この、武蔵がそばにたかるハエを箸で捕まえたという、
良く引用される有名なエピソードは、
あり得ない話なのだそうだ。

○ソバの栽培は、
五世紀ぐらいから行われたらしい。
でも、それが粉になり、
さらに、長い麺に作られた、
つまり「そば切り」になって広まったのは、
江戸時代中期になってからといわれる。

年代でいうと1700年前後のお話。
今から約三百年前のこと。
ちょうどその頃、
関東でも醤油が造られるようになり、
さかんに出回るようになった。
そうして、その醤油の汁で食べる「そば切り」が、
江戸で人気になったわけだ。

さて、宮本武蔵が江戸でそばを食べたのは、
推定すると1620年頃。
三田村が調べた文献では、
そばが初めて現われるのは、
それより半世紀も後のこと。
だから、
宮本武蔵が、そばを食べたというのは、
へそが茶を沸かすようなもんだ、、、というのだ。

○そうか、宮本武蔵は、
そばを食べることはなかったのだ。

ところがどっこい、
これは小説「宮本武蔵」が発表され、
それに三田村が噛み付いた、昭和の初めのお話。

戦後になって、さらに、
そばの歴史の研究が進んだ。
そして、なんと、
宮本武蔵と同年代、
1620年頃に、「そば切り」を食べたという記録が、
ある僧侶の日記の中にあることが分かったのだ。
特に珍しいという感じではないので、
すでに、知られている食べ物だったようだ。

さらに、
長野県の木曽のお寺では、
1574年に「そば切り」を振る舞ったという記録が発見される。

ということは、
ひょっとしたら、宮本武蔵はそばを食べたかもしれないのだ。
少なくとも、
三田村のように頭から否定することは出来ないのだね。

○さて、真実はともあれ、
小説には小説ならでの面白さがあって、
これは、宮本武蔵のすごさを描いたもの。

私も、箸でハエを捕まえる練習でも始めることにしよう。

 

白い飯ばかり食べていると、、、、


●江戸時代は終わり頃、下町の一角に、
居を構えている大工の棟梁。
たくさんの若い衆を抱え、
あっちのお店、こっちの現場へと忙しい。

ところが、その若い衆の中でも、
一番の働きをしていた熊五郎が、
俄に床についてしまった。

棟梁は心配して、他の者に尋ねる。
「おい、猫八、熊五郎の具合はどうなんだ。」
「へい、それが、なんでも、脚に力が入らなくて、
 起き上がることが出来ねえっていうんですよ。」

棟梁は若い衆の顔を見回しながら、
しみじみと言う。
「俺はなあ、若いときに食べるものに苦労をしたから、
 せめて、お前たちには、
 白い飯をたっぷりと食わせてやりたいと思っている。
 それが、一番飯を食っていた熊五郎がこのざまだ。
 それにひきかえ、猫八、お前らは飯もろくに食わずに、
 そばばっかり食べにいっているだろう。」

頭を掻きながら答える猫八。
「へい、ご存知でしたか。
 そりゃあ、白い飯もおいしいんですが、
 なにしろ、あっしは、大のそば好きだもんで。」

さて、起き上がれなくなった熊五郎、
医者の見立てでは「江戸患い(わずらい)」というものらしい。
なんでも、江戸を離れると、回復することがあるという。

そこで棟梁は、百姓をしている田舎の親類に、
熊五郎を預かってもらうことにした。
大八車に乗せられ、猫八たちに引っ張られて、
熊五郎は江戸を去ったのだった。

さてさて、一年もたった頃、
元気になった熊五郎がかえってきた。
「いやあ、田舎はひどいよ。
 何しろ食べるものといえば、麦や豆ばかりなんだ。
 また、ここで、白い飯を食べて、
 ばりばりと働くぞ。」

棟梁も、猫八も、ほかの若い衆も、
熊五郎が元のように元気になったので、
大いに喜んだのだ。

が、しかし、、、、。


●私の若い頃には、小学校の身体検査の時、
ゴム製のハンマーで、膝の頭を叩かれた。
そう、ある程度御年配の方なら、
ご存知だろう。

えっ、何のことかって。
ハンマーで叩いて、脚がピクッと反応すればOK。
反応がないと、脚気(かっけ)の疑いがあるとされた。

脚気は、ご存知のようにビタミンB1の欠乏症。
いわば、栄養失調なのだが、戦前までは、
結核と並ぶ国民病で、亡くなる人も多かった。

これは、白米ばかりを食べることによって、
玄米で補われていたビタミンが摂られなくなったため。
江戸時代の中頃までは、
殿様や武士たちのかかる病気だったが、
白米食が庶民の間でも行われるようになって、
底辺が広がった。

特に、江戸の住民の間ではやったので、
「江戸患い」と呼ばれたのだ。
大工の熊五郎も、
白米ばかりを食べていたために、
「脚気」にかかったのだね。

●この「脚気」による被害が大きかったのが、
明治時代の陸軍だった。
日清、日露の両戦争で、
「脚気」に倒れた兵士の数の多いこと。

これは、強い体を作るため、という目的で、
白米中心の食事を、陸軍が進めたため。
日露戦争での戦死者は4万7千人。
ところが、約25万人が脚気を患い、
亡くなったのは2万8千人。

一方の海軍では、麦飯を導入したため、
ほとんど脚気患者を出さなかったといわれている。
当時はまだ、細菌によって脚気が起こると、
信じられていたのだねえ。

明治の終わり頃にビタミンが発見されて、
脚気は、ビタミンB1の欠乏症だということがわかっても、
その撲滅までには、長い時間がかかったのだねえ。
そお、私の子供時代までね。

●脚気を予防するには、ビタミンB1を含む食品を食べるといい。
多く含まれるのは、玄米、豚肉、うなぎ、大豆、ごま、ピーナッツなど。
それに、麦やそばにも含まれている。

すでに、江戸時代には、脚気患者にそばを食べさせると、
回復するということを、漢方医たちは知っていた。
でも、明治維新で、西洋に目を向けてしまった政府は、
それまでの漢方を、すべて否定してしまったのだね。

さて、棟梁のところで働いていた熊五郎。
白いご飯ばかり、おいしい、おいしいと言って食べていたから、
脚気になってしまった。
それが、田舎へ行って、
豆や麦などのビタミンB1を含む食べ物を食べたから、
元気になって、帰ってきた。
でも、また、白いご飯ばかり食べていて、
大丈夫なのだろうか?

いいえ、
同僚の猫八が、熊五郎をそば屋に誘ったら、
この熊五郎、すっかりそば好きになってしまった。
そうして、棟梁の元で、ずっと元気に働いたのだった。

江戸時代に広まった「そば」。
そのおかげで「脚気」にかからずに済んだ人たちが、
結構いたのではないだろうか。

そのように、私は勝手に想像している。

えっ、脚気って、昔の病気かと思っていたら、
今の人でも、かかる人がいるって?
コンビニのおにぎりや、お菓子だけを食べていたり、
お酒ばかり飲んでいるあなた、危ない危ない。

そばをズズッと手繰って、
元気に過ごそう。



とかく、そば好きってやつは

 ●都会の真ん中の、
 とあるビルの階段を下りたところにある、
 しゃれた内装のそば店。
 夜ともなると、
 間接照明で浮き上がる店内にはジャズが流れ、
 落ち着いた雰囲気の中で、
 それなりの身なりの人たちが、
 そばを楽しんでいる。

 おりしも、その一角の、
 一番奥まったテーブル席では、
 背広姿の若い男Aと、
 洗練されたスーツを着た女Bが、注文したそばが、
 出てくるのを待っている。

 この二人、
 夫婦というほどの、あきらめの中に落ち着いた関係ではない。
 婚約者という、幻想に包まれた仲でもない。
 恋人という、非経済的な関係の、
 なおかつ、その初心者同士のようだ。

●店員に案内されたときから、
 どうも、女Bの機嫌は悪い。
 
 「せっかくの私の誕生日なのに、
  どうしてまたそば屋なの。
  そのうえ、これから会社に戻って、
  残業があるなんて。
  ひどいわ〜。ひどいわ〜。」

 ひたすら謝る男A。

 「私だって、責任のある仕事をしているから、
  仕事の大切なことは分かるけれど、
  少しは私のことを考えてもらいたいわ。」

 ひたすら謝る男A。

 「この前だって、、、、
  (あまり意味の無いことが多いので省略)
  なのよ。」

 ここで男Aの反撃。

 「いや、だから、ここのそば屋を予約しておいんだ。
  ここのそば屋は人気で、この時間には、
  いつも満席なんだよ。
  だから、仕事の合間でも、
  君にここのそばを食べさせたいと思ってね。」

 女B、冷たく男Aを見る。

 「あなたが食べたかっただけでしょう。」

●ここで店員がそばのせいろを持って登場。
 「お待たせしました。
  本日のおそばは、長野県の信更(しんこう)の産です。」

 女Bは言葉を止めない。
  「だからね、少しは私の話も聞いて欲しいわ。
  (グチ、グチ、グチ。)」

 男A。
 「とにかく、その話は、そばを食べてからにしよう。
  そばは、茹でたてが一番おいしいのだから。」

 女B(キッとした表情で)。
 「私の話より、そばの方が大事なの?」

 男A
 「いや、まずはそばを食べてから。
  その話は、また後から聞くよ。
  ほら、見てごらん、信更のそばだって、
  いい艶をしている。」

 女B
 「私の話は途中なのよ。
  せめて、最後まで聞いてよ。」

 男A(そばに箸をかけながら)
 「うん、食べながら聞くから。
  う〜ん、おいしそうだ。」
 ズズーっ、ズズーぅ。

 女B(一瞬、そのきれいな栗色の髪が逆立つ)。
 「うも〜〜〜お。」
 牛が鳴いたか、カエルがひっくり返ったか、
 はたまた新興宗教の呪文か。

●女B、すっと席を立ち、
 やたら黒光りする大きめのハンドバッグを手に、
 足音も荒く立ち去る。

 男A、慌てて、立ち上がって、
 その後を追いかけようとするが、
 左手に持ったそば猪口と、
 右手の箸に気付く。

 そして、女Bの背中が1.5秒ほどで見えなくなると、
 おずおずと席に座り直した。
 そのまま5秒ほど固まっていたが、
 不意に、思い出したように、
 残りのそばをたぐり始める。
 ズズーっ、ズズーぅ。

 店員が、何も知らずに
 そば湯の入った湯桶をおいていく。

 男A、食べ終わって、
 その湯桶を持ち上げようとしたが、
 ふっと気付いてそれをおろす。

 周りを一瞬見回すと、
 女Bが、手を付けずに立ち去ったせいろを、
 空になった自分のと、そっと入れ替える。
 そして、そのそばを、たぐる。
 ズズーっ、ズズーぅ。

 そうして、満足そうな笑みを、
 口元から2センチほどのところに浮かべる
 男Aなのであった。
 その時店内には、
 ルイ・アームストロングの
 「この素晴らしき世界(What a Wonderful World)」が
 流れていた。

 ん〜〜ん、全くそば好きってやつはねえ。