かんだた瓦版

畑仕事から学ぶこと

畑仕事から学ぶこと

かんだたでは、北アルプスの雪解け水の流れる犀川の河川敷に、小さな畑を借りて、無農薬で野菜を育てています。といっても、野菜はなかなか思うように育ってくれないのです。だから、定休日には、その畑で汗を流します。

実は、東京生まれの私は、畑仕事など、したことがありませんでした。15年ほど前に、居酒屋を始めた時に、親切な近所の人が、畑を貸してくれたのです。畑で野菜を作って、店で使えばいいって。

なあに、野菜作りなんて、簡単さ。最初、私はそう思っていました。畑を機械で起こしてもらい、種を植えました。しばらくすると、芽がでてきます。  しめしめ、これで、レタスもカブもトマトもできるぞ。そのまましばらく放っておいて、どれ、畑の野菜は、そろそろ育ったかな、などと思いながら、久しぶりの畑に行ってみると、、、なんだ、これは!

草が一面に、膝の辺りまで伸びていました。私のレタスはどこ?トマトは?ネギは??

周りの畑が、きれいに、草一本生えていないのが不思議でした。結局その年は、ただ、草を育てただけで、また、機械で起こしてもらいました。それから、いろいろなことを、他の人から聞くようになりました。他の畑がきれいなのは、毎日、朝早くに草取りをしているからだと分かりました。それでも、私には、毎日のように草取りに行っている時間がない。いろいろな理由をつけては、畑に行かず、毎年、草だらけににしてしまいました。でも。そうしながらも、少しづつ、野菜は育ちました。特に、あまり手間のかからないネギやジャガイモは、重宝しました。ナスや、キュウリも収穫できるようになりました。

ある年のことです。
その年は、ことのほか、トウモロコシがよく育ちました。これはいい、おいしいトウモロコシが穫れるぞ。ところが、そこで私は、欲を出しました。きっと、ここで肥料をたくさん与えれば、驚くほど立派な実ができるに違いない。そこで、化学肥料をたっぷりと与えたのです。一週間後、トウモロコシは茶色く枯れ、虫がいっぱい集っていました。肥料が強すぎて、根が焼けてしまったのです。

ある年には、サツマイモの茎がよく茂りました。これだけ茂れば、きっと、立派な芋ができているに違いない。そうして、秋になって、土を掘ってみると、芋はほとんどできていませんでした。サツマイモの茎を茂らせてはいけないことも、私は知らなかったのです。
ナスや、キュウリも、ただ茂らせればいいのではない。きちんと剪定してやらないと、いい実がつかないのです。野菜作りは、とても、とても、奥が深いものだと、やっと気がつきました。毎年、同じように育てても、その年の気候によって、育ち方が違うのです。それぞれの作物によって、与える肥料やタイミングが違うことも分かってきました。

野菜は、決して、私の思うままに育つものではない。
むしろ、野菜の都合に、私が合わせなければいけないのだ、そういう気持ちになってきました。

私の畑では、農薬は使っていません。
だから、たくさんの虫がいます。地面にはミミズが這い、それを狙って、モグラがトンネルを掘っています。周辺の雑草の間に、蜘蛛が糸を張り、いろいろな鳥たちが、土の上を歩いています。ある時、スズメの群れが、私の畑にいました。ああ、菜っ葉が食べられている。そう思った私は、スズメを追い払いました。でも、そうではなかったのです。スズメたちは、菜っ葉についている虫を食べてくれていたのでした。野菜作りは、決して、私の思う通りにいくものではありません。

太陽や雨、そして畑にいる様々な生き物たちによって、野菜は育てられ、その恵みを、分けてもらっているのです。私は野菜を育てているのでない、野菜が育つ手伝いをしているのだ。そう考えるようになって、やっと、いい野菜が穫れるようになりました。野菜作りから、たくさんのことを学んだ気がします。まだまだ、至らない私の野菜作り。でも、そういう大地の恵みを、できるだけ自然な形で、皆様にも味わっていただきたいと思います。

かんだた店主 中村和三

天然醸造醤油との出会い

私は「手打ちそば屋かんだた」を始める前に、他の場所で「純米酒と手打ちそばの店、なんやら洞」という、居酒屋をやっていました。さて、そこでそばを打っていた頃の話です。私は、醤油を探していました。というのは、そば汁に使うための、いい醤油が見つからなかったからです。居酒屋を始める時に、そばの打ち方を知っている方に来てもらって、そば打ちのやり方を学びました。以後、自分で、そばの打ち方を工夫してきました。そば打ちは、だんだん上手になるのですが、どうも、教わったそば汁の作り方が気に入りません。

そば汁というのは、最初に、汁の元になる「かえし」を造り、それを瓶(かめ)の中で寝かしておきます。そこに濃いめに煮だした「出汁」を合わせて造るのです。その「かえし」は、醤油と砂糖とみりんを使って造ります。醤油を熱して、かなりの量の砂糖を溶かし、煮抜きしたみりんで仕上げます。最初に教わった時に、ええっ、こんなに砂糖を使うのだと、驚きました。

たしかに、他の店などを食べ歩いてみると、かなり甘い汁が目立ちます。口の中に、ホワッとした甘さが残るのです。もっと、砂糖を減らしたらどうだろうか。そうしたら、今度は、しょっぱいばかりの汁になってしまいます。そこで、みりんの量を増やします。口に残る甘さののない汁を造ろうと思っていたら、ついに、砂糖を使わずに、醤油とみりんだけで、「かえし」を造るようになってしまいました。

そこで大きな問題が二つできました。
一つは、とても原価が高くなってしまうこと。砂糖に比べれば、時間と手間をかけて造られるみりんは、遥かに高価なものなのです。でも、せっかく、そばをおいしく食べていただくためのそば汁、妥協する訳にはいきません。そうして、もう一つは、砂糖を使わないと、醤油のうまみが、うまく出てこないことです。それまで使っていた、そば屋さんでよく使われる大メーカーの醤油では、ただ、塩気の強い汁になってしまいます。どこかに、みりんと相性のいい、しっかりと造られた醤油はないだろうか。そこで、私の醤油探しが始まりました。

天然醸造醤油

いろいろなメーカーの醤油を取り寄せてみたのですが、どうしても今ひとつでした。醤油としてはおいしいのに、汁にしてみると、その醤油らしいおいしさが消えてしまうのです。自然食品店で扱っている、九州の醤油を取り寄せてみました。
確かに、いい醤油なのですが、今ひとつもの足りません。関西の薄口醤油も使いましたが、そば汁には合わないようです。地元で売られている醤油も試してみましたが、なかなかいいものがありません。どこかに、そば汁にしても味の消えないような、しっかりと造られた醤油はないだろうか。そんな醤油探しをしながら、2年ぐらいたった頃です。

たまたまちょっと遠くに遊びに行って、車で通りがかった道筋に、障害者の方々の運営する店がありました。その店を、新聞で知っていたので、ちょっと立ち寄ってみました。そこでは、障害者の方々の造られた、石けんや、陶器、手芸品などが売られていたのですが、地元の野菜コーナーもあって、野菜や食べ物も売られていました。そこに、やはり、その地元で作られている醤油が一升瓶で並んでいました。

つい、それを買って帰りました。味わってみると、かなりしょっぱい醤油です。それをみりんと合わせて瓶に入れておきました。しばらくして、その「かえし」と出汁とを合わせてみました。そうすると、おやっと思いました。何か、独特の、いかにも醸し出されたような味がするではないですか。製造元に問い合わせると、長野市内に、その醤油を扱っている生協がありました。早速、そこから仕入れを始めました。みりんとの、合わせる量を工夫し、砂糖を使わなくともしっかりとこくのある汁が、やっとできるようになりました。

今では、月に一度ぐらい、片道一時間かけて、製造元に仕入れに行っています。昔からの集落の中にある、小さな醸造所で、味噌と醤油を作っています。醤油は、古い木の樽で仕込まれていました。その樽に住み着いた酵母が、深みのある味を作り出していたのです。天然醸造のために、季節によって、微妙に味が変化します。

それが、この醤油の面白いところです。いい料理を作るには、いい素材と出会うこと。私は、この醤油に、ほんの偶然に出会いましたが、運が良かったと思います。そうして、このような醤油を造り続けている、醸造所の方々にに、深く感謝したいと思います。

かんだた店主 中村和三

貧乏だけれどおいしい思い出

私が十八歳の時に東京で借りたアパートは、四畳半一間でした。荷物と言えば、布団と小さな本箱だけで、裸電球に照らし出されたその四畳半が、ずいぶん広く感じたものでした。その部屋に、小さな流しとガスコンロが備え付けられていました。さて、外食をするほどのお金がなかった私は、ここでなんとか食事を作らなければいけません。今のようなコンビニが、まだなかった時代の話です。

かといって、それまで居た学生寮の夜食のように、インスタントラーメンをつくってそれだけで済ませるのは、身体に良くないと分かっていました。でも、そのときの私は、料理を良く知りません。おまけに、道具がないのです。中学校のキャンプの時に買った飯ごう、フォークとスプーンが付いた折りたたみナイフ、アルマイト製の食器、そうして、インスタントラーメン用の小鍋と、取っ手付きのカップが一つあるだけです。でも、とにかく、飯ごうで米を炊いてみることにしたのです。

キャンプの時の、黒こげのご飯を思い出しながら、米を洗い、適当に水を入れ、ガスコンロの火をつけます。噴いて来たら火を細め、適当なところで火を止め、飯ごうをひっくり返して少し置きます。そうして、炊きあがったご飯は、芯の残った固いものでした。でも、食べ盛りの胃袋には炊きたてのご飯は、何よりのごちそうでした。

その後何回もやっているうちに、ガスコンロを使って、飯ごうで米を炊く「達人」になりました。飯ごうでお米を炊くには、軍手とスパナが必需品。軍手は、炊きあがった飯ごうを、ひっくり返すために、そうしてスパナは?スパナは、音を診るためです。火にかかっている飯ごうをスパナで叩きます。鈍い音がするうちはまだでやがて、乾いた音に変わった時に、火を止め、飯ごうをひっくり返します。

はんごう

こうすれば、焦げたところの少ないご飯が、きちんと炊きあがります。
煮干しでだしをとったみそ汁と、このご飯があれば、なによりのごちそうでした。訪ねて来た友人があきれていましたが、炊飯器を使うよりは、ずっとおいしかった気がします。思えば、この飯ごうというのも、よく工夫されて出来ているものなのですね。

さて、それから何年かたって、長野の農家の納屋の二階で、ひと月ほど過ごしたことがあります。スキーをやっていた私は、友人と共同で、その納屋を荷物置き場や休憩所に使っていたのです。スキーのシーズン前で、お金を使いたくありません。その納屋には、たくさんのキャベツが転がっていて、売り物にならないから、好きに使っていいとのこと。

貧乏な私に、そのキャベツを使わない手はありません。刻んだり、炒めたり、煮たりと、本当にキャベツばかり で過ごしました。やがて、キャベツの芯の部分から、おいしいだしが出ることに気付きました。
刻んだキャベツを芯も入れて良く煮込み、塩だけで調味します。そこに卵を溶き入れれば、それだけで、十分なごちそうでした。野菜というものが、それ自体おいしさを持っているものだと、気付いたのでした。

さて、おいしいものが溢れる今の時代。お金を出せば何でも食べられ、魅力的な調味料も使われ、道具も便利になりました。でも、心の中の、本当においしい思い出は、案外、身近な、素朴なものの中にあるのかもしれません。
そんな思いで、飾り気のないそばを、作り続けていきたいと思っています。

かんだた店主 中村和三

健康だと気が付かない、健康の大切さ。

左手の甲の付け根に、ぽっこりとした膨らみができました。触ってみるとコリコリしていて、皮膚の下を少し動きます。去年の暮れの頃に気が付きました。でも、痛みがあるわけでもないので、放っておきました。

ところが、善光寺の御開帳で忙しくなって、毎日何回もそばを打っていると、少しずつ大きくなっていくような気がします。じっとしてれば痛くないのですが、何しろ、出っ張っているので、何かの拍子に、この膨らみを、ぶつけたりします。そうすると、じわっと痛むのです。

これはいったいなんなのでしょうか。
大きさは、上から見ると一センチぐらいになり、ちょうど、枝豆の一粒ぐらいの大きさです。それが、皮膚の下にぽっこりと潜り込んだ感じです。これがこのまま大きくなって、そら豆ぐらいになったりしたら困ります。

そこで、御開帳が終わってお客さまの数も一段落したころ、思いきって病院へ行ってみました。かねてから知っている外科の医師に見せると、すぐにこう言います。「これは、ガングリオンだと思います。」えっ、ガン、、、、?

「いや、ガンではありませんよ。ガングリオンといって骨の関節の一部が飛び出したものです。」、そういって、絵を描いて説明してくれます。なるほど、中に入っているのは、関節の成分なのだそうです。

一応、確認のため、日を改めて切開することになりました。そうして、中の液を抜いてもらい、膨らみはなくなりました。でも、深くから飛び出しているために、ガングリオンそのものは切ることはできませんでした。こういう、病気?もあるのですね。このガングリオンは特に害のあるものではないそうです。ネットで調べたら、「若い女性に多く発生する。」と書いてありました。五十五歳のおじさんにも発生するのですね。

健康が第一

さて、そば屋という商売は健康が第一。
おいしい、元気なそばを打つためにも、私が元気でなければ話になりません。幸いなことに、今まで、大きな病気をしたこともなく、丈夫に過ごしてきました。毎年の検診も特に、いや、ちょっとはあるのですが、あまり、問題になるほどではないようです。

ところが、数年前、次の日の検診を忘れて、つい、深酒をしてしまいました。ほとんど、二日酔い状態で血液検査を受けたのです。そのときの検査値ときたらひどいもので、医者はすぐに薬を飲めと言い出しました。事情を説明したのですが、その時に押された「高脂血症」という判子は、未だに私のカルテから消えていません。

また、ガンの検査なども、できるだけ受けるようにしています。
私の身近な人も(誰でしょうね)、検診でガンが見つかり、二か月入院して手術を受けました。おかげで今では、元気に過ごしています。自覚症状が出るまで放っておいたら、大変なことになっていたでしょう。「健康とは、病気でないこと。」だけではないと、いわれています。

元気に、はつらつと、自分の意志を持って生きられることが、「健康」ということだと思います。病気を直すばかりではなく人間本来の力で、病気を寄せつけない体を作ることが大切なのでしょうねえ。食べ物を選ぶことも、そのための大きな要素の一つ。食べ物は、今日のエネルギーになると同時に、五年後、十年後の私たちの体を作っているのですもの。私も、「そば」という食べ物を通して、微力ながら、そんな「健康」のお手伝いができればいいな、、、と思っています。

かんだた店主 中村和三

店の掃除に三ヶ月かかったこと

「ええっ、これは古くて使えないなあ!」
店を探していた時に、はじめて、今の店を見た時に、思わず出た言葉でした。

入口は、塀が崩れて散らかり、中は真っ暗。中に入ると蔵独特の湿った空気と、すえた油の匂い。懐中電灯で照らしてみれば、どこもホコリだらけで、剥がれかかった壁紙に、調理場には、古い冷蔵庫がさびて、今にも倒れそうに傾いています。

二階の床は抜けていて、階段のマットはめくり上がっています。これでは、きれいにするだけで、かなりの手間がかかりそうです。おまけに、一階と二階に分かれた客席は、そば屋のような商売には不向きです。でも、懐中電灯で照らして見た、屋根組の太い梁と階段のしっかりとした木組みが気になりました。

そのころ、それまで郊外で営業をしていた居酒屋から、「そば」に専念したくて、空き店舗を探していました。いろいろな不動屋さんを回り、いくつかの物件を見せてもらいました。でも、なかなか、ピンとくるところがありません。

私の探していたのは、ほんの十坪少々の小さな店。通りがかりに入る店ではなく、そば好きな方にわざわざ足を運んでいただける店にしたい、と思っていました。だから、表通りではなく、少し入った裏通りのほうが、向いていそうです。
あるとき、一つの不動産屋の物件を見に行きました。そこは場所はいいのですが、広さが少し足りません。そしてそのついでに、「こんなところもあるよ。」と見せてもらったのが今の店です。

でも、この場所は、あまりに目立たな過ぎます。だいいち、改修にお金がかかりすぎます。そこで、別の場所を探すことしました。ところが、どうも、この店のことが、頭から離れないのです。

他の店を見ても、どうやったらあの蔵を生かせるか、無意識に考えている自分に気づきました。どうやら、この店に「惚れて」しまったようです。そこで、もう一度この店を詳しく見せてもらい、大工さんや設備屋さんにも見積もりをしてもらいました。そうして使いにくいことを覚悟しながらも、ここで店を始めることを決めたのです。

不動産屋さんによれば、以前は、魚料理をやっていた店で、十年近く空いていたとのことです。節約のために、出来るだけ自分たちで、きれいにしなければなりません。調理場の床に固まった油をはがし、壁を塗り直し、客席のホコリを、何度も何度も拭いてきれいにしました。水道を開けば、床下のどこかで水漏り。新たに管をひいてもらいます。ガスの栓を開いてもらえば、やはり、どこかでシューという音がする、危ない危ない。下水は詰まっているし、電気のコードは露出してショートする恐れがあるとのこと。予想外のことに驚かせられながら、少しづつ、店らしい体裁を調えていきました。

大工さんによれば、新しい店をつくる方が、はるかに楽なのだそうです。現場合わせの仕事の方が手間がかかるとのこと。そうは言いながら、二階の床を張り、階段を直し、壁紙を整えたりと、多くの職人さんが仕事をしてくれました。建具屋さんは、入口の扉を注文通り作ってくれ、設備屋さんがそば釜を据え付けて行きます。照明屋さんも、レトロな雰囲気でまとめてくれました。

こうして、あの汚かった蔵が、なんとかそば屋として、営業できるようになったのです。大家さんの話では、昔は入口の建物に銀行が入っていてこの蔵はその物置だったそうです。でも、こういう古い建物も、手をかければ、まだまだ生かせるのだなあ、と思いました。この場所で営業をはじめて五年になります。初めの頃はには、「こんな場所で」と思いましたが、今では、この場所に店を構えて、良かったと思っています。分かりにくい場所で、お客様にはご迷惑をおかけしておりますが。

かんだた店主 中村和三

つい意地になってしまう 「橋の上のバトル」

「橋の上のバトル」と私は勝手に呼んでいます。

朝の通勤時間帯、橋の上の車は大渋滞です。私の住んでいる家から店に行くのには、丹波島橋という大きな橋を越えなければなりません。朝の時間はバスレーンで車線が規制されるため、この橋に流れていく道は、どこも長い車の列が出来ています。少しでも早く行こうと、それぞれの交差点や信号で、列に割り込もうとする車の、鋭い駆け引きが、毎朝繰り返されています。

でも、私の言う「橋の上のバトル」は、実は車道ではなく、その横の歩道の方で繰り広げられます。家から店までの約六キロの道を、私は自転車で通っています。スムーズに行けば三十分もかかりません。

ところが、家を出てからすぐにさしかかる、この丹波島橋。これが、自転車で渡るには、一つの難所なのです。
ご存知のとおり、橋というのは、端が低くて真ん中が高い構造になっています。橋にもよりますが、少なくとも、丹波島橋はそういう造りになっているのです。おまけに、橋のたもとに辿り着くまでに、土手の高さだけ、登らなければならないのです。

車で通り過ぎる人には、おそらく気にならない勾配でしょう。ギアを切り替えることもなく、アクセルペダルを踏み込むこともなく、トップスピードで渡って行かれることと思います。ところが、自分の足で越えて行く自転車は、そうはいきません。橋を越えるための、長く続く上り勾配は、意外なほど体力を、特にモモの力を使うのです。

一昨年のガソリン価格高騰のおりには、この橋を自転車で越える人たちが、ぐっと増えました。さすがに、今は、その時ほどではありませんが自転車で通勤、通学をする人はけっこうたくさんいらっしゃいます。

皆さん、この橋を渡るのには、さすがに苦労されているみたいで、途中から歩く方もいるくらいです。にもかかわらず、軽快に、たいしてスピードを落とさずに、すいすいと渡って行かれる方もいるのです。私は、若い時から、自転車には乗り馴れていました。以前は、ロードタイプと言う、フレームの大きなタイヤの細い自転車に乗っていました。でも街中を走るには不向きなので、今はクロスバイクと呼ばれるものに乗っています。タイヤの太い、街乗り用の自転車です。

おかげで、地面のでこぼこを、あまり気にせずに乗ることが出来ます。
そんなことで、少しは自転車に乗る体力に自信があったのです。
ところが、通勤通学の人たちに交じってこの橋をハアハアいいながら渡ってみると、、、、けっこう追い抜かれます。

見るからに高級そうな車体に、いかにも自転車をやっています、という服装の人に追い抜かれるのなら納得できます。でも、片手をポケットに突っ込んだままの高校生や、普通のママチャリに乗った、後ろ姿のはげ上がっているおじさん(失礼)にまで追い抜かれると、なにか口惜しいのです。つい必死になって、冬でも汗をかいたりします。

丹波島橋

丹波島橋は、松本や北アルプス方面から流れてくる犀(さい)川と、戸隠鬼無里(きなさ)方面からくる裾花(すそばな)川が合流するところにかかっています。

晴れた日には、犀川の向こうに北アルプスが見えます。今の季節だと、雪をいただいた鹿島槍ヶ岳が、鋭く青い空に突き刺さっています。正面には、長野市の最高地点である飯縄山がそびえています。冬の日の出の遅い頃には、ちょうど、山頂から、徐々に朝日があたって行く様子が見られたりします。

この頃は、エコという言葉がはやっていますが、私の扱っている「そば」は環境への負担の少ない作物。地球のためにも、もっと「そば」を皆さんに食べていただきたいなあと思っています。そして、私も、自転車をこぎながら、地球にやさしい生き方を心がけたいものです。

かんだた店主 中村和三

日本の味を守る「猫の好物」

私の家では、猫を一匹飼っています。もっとも、猫の方では、あまり飼われているという実感がなさそうで、いつも、家の外を飛び回っています。

私に近寄ってくるのは、寒くて仕方がないときと、お腹がすいたときだけ。あとは「あなた誰?」という感じで、呼んでも振り返りもしません。そんな素っ気のない猫なのですが、私が台所で、あることを始めると、いつの間にか、足下にすり寄ってくるのです。押し入れの奥に寝ていても、縁側の戸棚の中に潜り込んでいても、この音を聞くと、すぐに飛んできます。

かつお節

そうして、いかにも「あなたの飼い猫ですよう。」というふうに、私を見上げ、甘えた声で鳴くのです。最後は、その鳴き声に負けた私から、それのお裾分けを、しっかりと、いただいていきます。あることとは、かつお節を削ることです。

ちょっと、出汁をとりたいな、畑から採れた青菜のお浸しに、冷や奴にまぶしたいなあ、これからたくさん採れるゴーヤの炒め物にも入れよう。そういう時に私は、かつお節の削り箱をとりだして、しゃかしゃかと、堅いかつお節を削ります。

その音に、我が家の猫は、敏感に反応するのですねえ。そうして、餌皿に入れられた削りたてのかつお節を「ウゴウゴ」と言いながら、あっという間に食べてしまいます。

一度、出汁をとったあとのかつお節をやったのですが、クンクンと匂いを嗅いだあとに、「馬鹿にするんじゃないわよ、フン!」と言って(いや、そう言ったような気がするのですが。)、行ってしまいました。やっぱり、猫にとっても、かつお節は削りたてでないと、いけないのですね。

私は昭和29年生まれです。
多分、その頃までの年代の方は、子供の頃、かつお節を削らされた経験があるのではないでしょうか。使い初めのかつお節は、太くて、子供の手には持ちづらいものでした。しかし、削っていくうちに,だんだん小さくなり、本当に小さくなると、削り箱のかんなを逆にして、手前に引くようにして削ります。そうして、最後は、新聞紙の間に挟んで、金槌で粉々に割って使いました。

子供の頃、こういう経験をしたので、かつお節は、削って使うものだと思っています。ええっ、今は袋に入っているのを使うのが、当たり前ですって?
だから、店でかつお節を削っていると、「それ、なんですか?」と聞く、若い方がいらっしゃるのですね。かつお節は、縄文時代から、似たようなものが食べられていたと言われています。薫製してカビを付ける今の製法が広まったのが江戸時代。以後、日本料理の出汁の定番として、使われてきたのです。もちろん「かんだた」でも、料理に使わせてもらっています。このかつお節で引いた出汁は、噛みしめることが出来るような、深いおいしさであふれています。定番の「鬼おろし」には、この削りたてのかつお節が、そばの上に載ります。

そば汁には厚削りの節を使うので、工場で削ってもらった袋入りを使っておりますが、、、。
さて、このかつお節を作るのには、ずいぶんと手間がかかります。それだけでなく、芯まで乾燥させるために、時間もかかるのですね。おいしいかつお節を作るために、伝統的な製法を守って作られているのです。

ところが、最近は、このかつお節の消費量がずいぶんと減っているという話を聞きました。製造工場も、だいぶ少なくなってしまったとか。今は、簡単に出汁の作れる化学調味料などがでまわっているからでしょう。でも、かつお節の出汁で慣れてしまうと、化学調味料などは使えません。「ニャ~。」 よしよし、そうか、お前もか。しかし、「猫にかつお節」とは、よくいったものですねえ。

かんだた店主 中村和三

800円のつもりで買ったぐい飲み

私が二十代の初めの頃の話です。

用事があって京都へ行きました。午後になって時間が空いたので、1人で東山の清水寺へ行ってみました。
参道は、名物の八つ橋などを売っている土産物店が、賑やかに並んでいます。さて、その人通りの多い参道から一本外れた静かな通りに、工芸品や陶器を扱っている店が、ぽつりぽつりとありました。

京都と言えば清水焼が有名。華やかな絵付けの焼き物ですね。そんな清水焼を扱っている店を見つけましたが、なにしろ、若い私には敷居が高いのです。入り口のガラス窓に飾られている茶器はどれも数万円の値段が、、、
とても手が出ません。
少し行ったところで、庶民的な店構えの陶磁器屋さんを発見。店の前の台に、ぐい飲みや湯のみが、無造作に並べられています。

まあ、手頃な値段なら買ってもいいなあ、と思って、一つのぐい飲みを手にしてみます。ひっくり返すと、後ろに手書きのシールが張ってあります。なになに「1500円」。これぐらいなら買えそうだ、そう思って、その台に並べられているぐい飲みを選び始めました。
値段はものによって千円から三千円ぐらいのもの。ちょっといいなあ、と思うものには、やっぱり、高い値段が付けられています。ふと、形の変わったぐい飲みに目が止まりました。白磁に青い絵付けがされています。持ってみるととても軽い。磁器のため、薄い生地で出来ているのです。小さめだけれど、何となく品が感じられるのです。裏を返すと、貼ってあるシールに800円と書かれている。

おお、これは安いぞ。

でも待てよ、安いということは、どこかに欠けやヒビがあるのではないか、とよく見ますが、大丈夫そうです。よしこれを京都のお土産にしよう、値段も安いことだし。そんなケチな打算で、そのぐい飲みを、奥に居た陰気な主人の前に差し出しました。主人は慣れた手つきでそのぐい飲みを包み、私に言います。

「八千円です。」

私は焦りました。
心の中で、「ええっ!、800円ではなかったの!」と叫びました。
でも、机に置かれた、そのぐい飲みからはがされたシールには、確かに8000と記されていたのです。
安いと言う先入観を持っていた私は、ゼロを一つ見落としていたのでした。

包んでしまったぐい飲みに、今更、勘違いでしたとは言えませんでした。
出来るだけ平静を装いながら、まだ、聖徳太子の絵柄だった、なけなしの一万円札を出して、その包みを受け取りました。その帰り道は、後悔の念でいっぱいでした。私にとって、八千円は大きな金額でした。

それを、こんな間違いで使ってしまうなんて。自分の注意が足りなかったことを悔やみました。そして、ひょっとして、もっと金額の少ないぐい飲みの中に、わざと、これを置いて間違えさせた、陶器屋の親父の策略ではないかと、勘ぐったりしたのです。

さて、話は変わります。

ぐい飲み

やはり、二十代の初めの頃、青森は弘前の津軽塗の直売所で、箸を一膳買いました。「津軽塗は津軽の馬鹿塗りと言ってな、何度も丁寧に塗るので、いつまでたっても剥げたりしない。だから、この箸も、大事に使えば、一生使えるよ。」

そう直売所のおじさんに勧められて、つい、買ってしまったのです。金額は覚えていませんが、私にとって、かなり大きな額だったことは覚えています。

一生使えるなんて、大げさだよなと思っていた、この津軽塗の箸は、今でも使っています。箱はどこかになくなってしまったけれど、我が家の箸立てに無造作に刺さっています。

そして、清水のぐい飲みも使っています。よく見ると、内側にも彩色されていて、手の込んだものなのですね。よく焼き締められているので、普通に扱えば、割れることもありませんでした。今から考えれば、妥当な値段だったのかも知れません。

値段や流行や、そのとき限りの必要で買ったものは、すぐに色あせてしまうけれど、本当にいいものは、一生付き合うことが出来るのですね。清水のぐい飲みは、些細な勘違いが縁でしたが。私も、お客様に一生付き合っていただけるそば屋を、作っていきたいものです。

かんだた店主 中村和三

気分は一茶(いっさ)、作品は滅茶(めちゃ)

「ちょうど、お店の定休日の水曜日にやっていますから、いかがですか。」四年ほど前に、そうお客様に勧められて、おそるおそる参加したのが俳句の会です。それまで私は俳句など作ったこともありません。でも、何となく、興味はあったのです。「俳句は簡単にできますし、楽しいですよ。」というお客様の言葉に、つい、行ってみることにしました。

その俳句の会は、町の公民館の一室で、十人ほどが集まって催されます。皆さん私よりご年配の方々です。まず、参加する人が作った俳句を、短冊に一句づつ書いて提出します。そして、それをバラバラに混ぜて、配り直します。短冊を配られた参加者は、そこに書かれた俳句を清記用紙と呼ばれる紙に書き写します。短冊をそのまま回すと、誰の作った句か筆跡でわかってしまうからですね。その清記用紙に書かれた句の中から、自分が気に入ったものを、今度は選句用紙という紙に書き込んで行きます。選び終わった清記用紙を回して、違う人が書いた清記用紙をもらい、その中から、また気に入った句を選びます。句を選ぶ時は、しんとしています。書き込むペンの音と紙の擦れる音しか聞こえません。俳句は、言葉の微妙な感覚を読み取ることが大切なのだそうで、皆さん真剣に選んでられるのですね。そうして、提出されたすべての俳句に目を通します。そのあと選句用紙に書いた自分のお気に入りの句の中から、さらにいいと思う句を選んで決められた数だけ○を付けます。そうして最後に、選句用紙を幹事さんが集め、選ばれた句を読み出して、それを作った人が名乗り出ます。自分の作った俳句が、果たして、どのくらい他の皆さんに選ばれたのか、ドキドキする瞬間ですね。

俳句には季語を入れるという約束事があります。季語というのは、その季節を表す言葉で、歳時記にまとめられています。俳句を始めるには、まずその歳時記を買うことから始まりました。本を開いてみると、なるほど、季節ごとに時候、天文、地理、動植物などに項目が分かれ、その季節にふさわしい言葉が並んでいます。例えば「風光る」といえば春、「風薫る」は夏、「色無き風」は秋、「北風」は冬、「初風」は新年の季語となるのです。こういう季語を先ず覚えなければ、ならないのです。これが、なかなかややこしい。野菜で言うと、「大根」は冬、「じゃがいも」は秋の季語です。でも、「じゃがいも植う」といえば春の季語となり、「じゃがいもの花」は夏になります。中には、よくわからないのがあって「蛙の目借り時」とか、「亀鳴く」などと言う言葉があります。果たして亀は鳴くのでしょうか。でも歳時記というのは、昔から使われてきたもので、今では目にしないもの、行わないようなものまで載っています。昔の人は、農作業や細かな生活の作業の中にも、季節感を感じていたのですね。

そんなことで、私も俳句の会に、毎月参加するようになり、へたくそな俳句を作ることになりました。でも、やっぱり、なかなか私の句は選ばれませんね。勧められて、市の俳句大会にも応募しましたが、選考の先生方には全く目に入らなかったみたいです。自分では、けっこう気に入った作品なのに。最初は、俳句なんぞ簡単なものさ、と高をくくっていたのですが、やって見ると、実に難しいものです。たった十七文字で、他の人の気持を引きつけなければならないのです。自分にだけ判る感情や想いを入れても、他の人には通じません。読む人の誰もが、その情景がぱっと浮かぶような言葉を選ばなくては、共感されないのです。

あっ、料理も同じかもしれません。作る人の思いだけでは、なかなか通じません。食べる方の共感を得てこそ、おいしい料理なのですよね。あと、季節感も感じていただけるように努力しなければと、俳句を始めてから思うようになりました。

かんだた店主 中村和三

醤油探し再び!

四年ほど前の瓦版で、かんだたで使っている醤油を紹介させていただきました。かんだたで使っている醤油は、長野から車で1時間ほどかかる、上田市のはずれにある、小さな醸造所で作られていました。味噌と、醤油を、昔ながらのやり方で作っている、家族経営の会社です。この醤油が、なかなかしっかりとした味で、そば汁にしても、みりんとよく合いダシの風味を引き立ててくれます。だから、時間をかけても、その醸造所まで、醤油を仕入れに行っていました。いい醤油屋さんを見つけたと、喜んでいたのです。ところが、世の中思うようにいかないものですね。前々から腰の痛みに苦しんでいた醸造所の親父さん、ある時、いきなり、「や~めた!」と言って、醤油づくり、味噌づくりをやめてしまったのです。奥さんも突然でびっくりしたとおっしゃっていました。さて、後継者もいないので、この醤油は、今あるだけで終わってしまいます。さあ、新しい醤油を探さなくてはいけません。と言うことで、再び、そば汁に使う醤油探しの始まりです。

さて使う醤油の条件として次の三つを考えました。

  1. 長野市周辺地域で作られていること。
  2. 化学調味料などの添加物を加えていないもの。
  3. 金槌(かなづち)で頭を叩いたら、金槌が壊れるほどの石頭の人が作っていること。

3は、金槌は冗談としても、いい醤油を造ろうという信念を持った方の造るものでなければ、安心ができません。長野周辺には、味噌づくりをしているところがたくさんあるので、醤油もすぐ見つかると思っていました。ところが、これが、なかなか見つからなかったのです。前に醤油を出していた味噌屋さんは、今は醤油づくりはやめてしまったとのこと。他の味噌屋さんの醤油は、しっかりと化学調味料、保存料が入っています。別のところでは、店先に醤油が並んでいるのに、本当は他のところに頼んで造ってもらっていると、店の人が小さな声で言っていました。あれ、そういえば少し前までは、地元で造った醤油がスーパーなどでも売られていたのに、今ではすっかり見かけなくなってしまいました。店先に並んでいるのは、大手メーカーのものばかりです。実は、いくつかの味噌屋さん、醤油屋さんに問い合わせをしているうちに、判ったことがあります。それは、最近は醤油が売れなくなったこと、特に、一般の家庭であまり醤油を買わなくなった、ということです。食生活の変化というのでしょうか。醤油を使う料理は、家庭ではあまり作られなくなっているのですね。そうして、地元の人たちに使われていた、地元の醤油屋さんで造った醤油が売れなくなってしまっているそうなのです。なるほど、だから、醤油づくりをやめてしまった醸造所が多いのですね。でも、そば汁に使う醤油を探さなければならない私に、なるほど、などと感心している時間はありません。それでも、探してみると、いくつかの醤油が集まりました。実際にそば汁を作ってみて、選んだのは、江戸時代から続く老舗の味噌屋さんのものです。今までのものと比べると、ずいぶんと上品な感じの汁になりました。その分、汁の濃さで調整しなければなりません。今回の醤油探しで、改めて、醤油の大切さ、地元の味を守っていく難しさを感じたものです。

かんだた店主 中村和三