かんだた瓦版

久々の東京のそば食べ歩き

 まい年まい年、月日の経つのは速いものだなあと感じています。寒いとか暑いとか言っているうちに、もう、年越しそばの準備をしなければならない時期になってしまいました。

 あっ、瓦版も書かなければ。ということで、今回は、夏の東京のそば食べ歩きの話です。

 

 この店は、入り口で食券を買うのですね。勧められるままに「ねぎせいろ」と「冷やしむじなそば」なんぞを注文しました。

 店内は、いかにも時代を感じさせる落ち着いた雰囲気です。横の壁には、落語家さんの色紙が、ずらりと飾ってあったりします。

 上野の駅前に、こんなそば屋さんがあるとは知りませんでした。新しい建物の間に挟まれた、私には懐かしいような、二階建てのお店です。

 ちょうどお昼時で、たくさんの方が、次から次へと入られていました。お酒を愉しんでいる方もいらっしゃいます。

 おそばは工夫されたもの。ネギの汁の中に、イカの天ぷらがドボンと入っていたり、むじなそばには、茹でたキャベツがたっぷりと載っていたり。別に頼んだ蒲鉾は、きれいに花形に切ってあったりします。

 この「翁庵」は明治の終わり頃の創業と言いますから、いわゆる老舗ですね。でも、高級店にならず、地元の人達に愛される町のそば屋として、続けられているのです。頭が下がります。

 

 次に行ったのは、上野の山を越えて根岸に下った「蕎心(そばこころ)」という、新しいお店です。

 ここは二階建ての町家を、そのまま改装して作った小さな店です。狭い階段を二階に上がってみると、まるで、どこかの家にお邪魔しているみたいな、畳敷きの部屋でした。

 店主もスタッフも若い方ばかりですが、とても丁寧な仕事をされていました。きっと、随分と修行されたのでしょう。

 ここには、かんだたと同じように、揚げそばのメニューがあったりします。楽しみなお店ですね。

 

 最後は、老舗の「上野藪そば」に足を向けました。若い頃に来たときと変わって、ぐっとモダンな建物になっていました。

 周りの安売りをする店々の喧騒から離れて、ほっと出来る落ち着いた雰囲気です。

 ここでは、酒のあてに焼き海苔なんぞがあって、炭の入った箱で出てきたりします。ううん、江戸情緒。名入りのせいろに、積み重ねられた時間の重みを感ぜられます。

 

 ということで、日帰りですけれども、充分に東京のそば屋を楽しんできました。

 この頃は、街を歩けば、大手チェーン店の看板ばかり目立ちます。いわゆる町の食堂と言うものが、成り立たなくなっているのでしょうか。

 その中でも、そば屋は頑張っていると思います。それぞれの店で、様々な工夫をこらしていますね。

 私達も、いろいろな場所でそば屋に入っては、なるほどと感心させられたりしています。

 もちろん、好みの違いもあるとは思います。でも、ただ「うまい」とか「まずい」とかではなく、その、そば屋を見ていただきたい、そば屋を楽しんでいただければと思います。

 せっかくの、時代をかけて作り上げられた、日本の文化ですものね。

 

              

                 かんだた店主 中村 和三

 

 

遠い国からのお客様

 この冬に、京都に行ってきました。  

 何しろ京都に行くのは、何十年ぶりです。女将なぞは、修学旅行以来とのことです。

 ということで、つい、清水寺とか、伏見稲荷とか、祇園などの有名な観光地を巡ってしまいました。

 冬の寒空なのに、どこも、多くの人が訪れています。それぞれに、カメラを構たりして、日本の伝統的な風景を楽しんでいました。

  でも、聞こえてくる言葉が、どこか違うのです。最初は、どこかの方言かなと思いましたが、よくよく見ると、どうやら、外国から来られた方々みたいです。

 伏見稲荷などは、あでやかな着物姿で歩いている人たちも多く見かけました。だけれども、どうも、歩き方がぎこちない。最近の若い人は、着物なんぞ着付けないからなあ、などと思っていたら、その方々も、アジアの何処かの国から来られた方々でした。

 あとで知りましたが、京都では、外国人旅行者のための、着物のレンタルが流行っているのだそうです。

 清水寺にある、有名な音羽の滝には、長い行列が出来ていて、その殆どが、台湾、中国、韓国などからの旅行者の方々のようです。みなさん、長い柄杓で水をすくって、写真を撮られたりして、楽しそうにしていました。

 

 

 

 近頃、日本を訪れる外国人旅行者が増えているとのニュースを聞いていますが、ここまで多いとは思いませんでした。外国人に人気の京都ならなのでしょう。

 そういえば、長野でも、善光寺においでになる外国人の姿を、多く見かけるようになりました。

 そして、路地裏の見つけにくい私の店まで、入ってこられる方もいらっしゃいます。勇気がありますね。  

 さすがに、たいていの方は、何度かそばを召し上がった経験があるようで、箸も上手に使われます。でも、そば湯をお出しすると、なにに使うのか知らない方が多く、説明するのに苦労します。

 「え〜と、アフターイーティング、ソバ、、、、」などと、あやふやな英語と、身振りでカバーしながら、伝えます。

 また、二階は座敷になっております。座るのが苦手な方もいらっしゃいますが、多くの方は、面白がって、床に座ってくれます。

 中には、まったく、そばというものを知らないで入ってこられる方もいて、写真のメニューを見て、戸惑っている方もいらっしゃいます。

 日本びいきの息子さんに連れられたドイツのご夫婦は、どうも箸が苦手のようでした。息子さんが構わず、そばを手繰っているのを横目に、箸をギュッと握って召し上がろうとしていました。調理場の隅からフォークを探し出してお渡しすると、ホッとしたように、それを使い始めました。 

  また、韓国の方は、器を持ち上げて食べない習慣なのだそうで、丼にはスプーンを付けて、汁をすくえるようにしています。

 外国の方にはベジタリアンの方も多く、魚の汁はいいのか、確かめながらメニューをオススメします。

 アレルギーの方もいて、日本語で書かれたカードを示される方もいらっしゃいます。

 そうやって、遠くから来られて旅をするのは大変なことだと思います。

 

 

 考えてみれば、私も、若い頃に、一人で外国を旅したことがあります。言葉も通じないのに。

 フランスやスペインの田舎町では、レストランのメニューが、全くわからず、勧められるままに、適当に指差して注文しました。

 はたして、それがどんな料理なのか、実際に出来てくるまでわからないのです。食事をするごとに、ロシアンルーレットをやっているみたいでした。

 でも、外れることは、ほとんど、ありませんでした。

 若かったこともありますが、地元の方々が、いつも食べている料理ならば、たいてい美味しくいただくことが出来ました。

 食べ物の美味しさって、世界中どこでも似通ったものがあるのかもしれません。

 そんな自分のことを思い起こしてみると、店に来られる外国の方の気持ちも想像できます。きっと、期待と不安な気持ちでいっぱいなのでしょうねえ。

 いまさら英語はよく話せません。だから、せめて、写真付きのメニューでも用意して、気持ちよくそばが食べられるように努めたいと思います。

 帰り際に、覚えたての日本語で「おいしい!」と言ってくれる方もいらっしゃいます。こうして少しでも、「SOBA」という言葉が、世界中に広まるといいのですが。  

店の名はかんだた

 お客様に、店の名前の「かんだた」について、よく尋ねられます。
 そうです、「かんだた」とは、芥川龍之介の小説「蜘蛛(くも)の糸」に出てくる、登場人物の名前です。

 地獄で苦しんでいる「かんだた」は、様々な罪を犯してきた悪人です。その姿を見たお釈迦様は、極楽から蜘蛛の糸を垂らします。「かんだた」が生きている時に、蜘蛛を殺さずにいた事があったからです。

 「かんだた」はその蜘蛛の糸を手繰って、極楽に登っていこうとします。

 でも、途中で悪い心を持ってしまうのですね。あとは、皆さんご存知の通りの結果となります。この話は、教科書にも載ったこともあり、皆さん、筋を思い浮かべられるようです。でも、登場人物の名まで覚えておられる方は少ないですね。

 

 

 開店の計画を立てるにあたって、店の名前を、いろいろと考えました。
 まずは、そば屋にふさわしく、それでいて、他には絶対に付けられないような名前にしようと思っていました。よく、自分の苗字を店名にする方もいらっしゃいます。珍しい名前であればそれでいいのでしょうが、私の名前は、ごくありふれています。「そば処 なかむら」では、なにやら、スーパーの店先に積み上げられた特売の野菜みたいです。

 そうではなく、私の生き方とか、考え方を反映できる名前はないかなと、思案していました。最初に思いついたのは「禅智内供(ぜんちないぐ)」という名前です。皆さん、ご存じですか。

 いや、知らないですよね。周りの人に聞いても、誰も解らないのです。これは、やはり芥川の小説「鼻」の主人公のお坊さんの名前なのです。鼻の大きなお坊さんが、鼻を小さくしようとして、いろいろと努力をしてみる話です。結局、元に戻ってほっとするのですが。そばも、料理も、あるがままに、という意味で、こんな店名もいいかなと思いました。

 でも、誰も意味を知りません。ましてや、気軽に入っていただくそば屋としては、少々重々しすぎる名前ようです。

 

 そこで「かんだた」を思い出しました。なぜ、この名を覚えていたかというと、中学生の時に、議論をしたことがあったからです。

 班ごとに芥川の小説を読んで解説してみる、という国語の授業がありました。その時に私の班に割り当てられたのが「蜘蛛の糸」でした。

 他の人はこんなことを言っていました。「自分だけ極楽へ行こうとした、かんだたの心が悪い。」

 でも、生意気盛りで、だいぶひねくれていた私は、こんなことを言ったのです。「この小説のお釈迦様は、ずるい!」こともあろうに、お釈迦様を悪者にしてしまったのです。

 なぜかといえば。「お釈迦様は、かんだたが悪い心を起こすことを、最初から知っていたのだ。それなのに、あえて、蜘蛛の糸を垂らし、かんだたの心を試したのだ。だから、ずるい!」そんな議論をしたことがあったので「かんだた」の名を覚えていたのですね。

 

 そばは、蜘蛛の糸ほどではないが、細く長いものです。そして、しっかりとした気持ちで作らなければ、切れてしまいます。つまり、そばは「細くて切れやすい」ということで、この話にかけさせていただき、「かんだた」という名前をいただいた訳です。

 

 「かんだた」は地獄に居る極悪人の名前です。でも、それは、私自身かもしれません。若い頃は、ずいぶんと好きなことをして、他の人に迷惑をかけてきました。細く切れやすいそばに頼って、悪心を起こさず、すこしでも上に向かって登って行ければと思います。

かんだた店主 中村和三

子供の頃の粋なそば屋

 長野は、季節の移り変わりがはっきりとしていて、その時々の景色の美しい街だなあと、つくづく思います。天気がよければ、遠く北アルプスが望まれ、そこから流れる河が、街の中を横切っていきます。そうでなくとも、緑の多い山々に囲まれ、野菜や果物も、新鮮で美味しいものが手に入りますね。

 

 さて、私はこうして長野の町の片隅でそば屋をやらせて頂いておりますが、実は生まれは東京なのです。目黒区の学芸大学という駅の近くでした。

 目黒区というと、柿の木坂や自由が丘などの高級住宅街もありますが、私の育ったところは、その中でも、じつに下町の雰囲気の強い地域でした。私の父母がそうであったように、戦後になって、何らかの理由で下町から移り住んだ人が多かったのですね。

 子供の頃の街の風景は、今とはまったく違うものでした。

 そう、まさに映画「三丁目の夕日」の中に出てくるような風景です。軒の低い家々が連なり、駅前には、バラックづくりの市場が、ぎっしりと建てこんでいて、いろいろなものを売っていました。近所の人は皆顔見知りで、酒屋も荒物屋も米屋も、子供の使いでも、かけで売ってくれました。豆腐なんぞは、よく、鍋を持って買いに行かされたものです。

 

 駅前には一軒のそば屋がありました。地元の人が「そば御殿」と呼んでいたぐらいで、御影石やタイルを使った、二階建ての外観は、当時としては、ずいぶんと豪華に見えたものです。ほかに食堂のようなものが無かったせいもあり、いつも人で混んでいて、二間ある玄関の引き戸は、ひっきりなしに開いたり閉じたりしていました。

 入るとすぐに、店の中に張り出すような形で帳場があり、ここでうどんやそばのゆで麺を売っていました。私も何度も行かせられましたが、いつも行列ができて、買うのに時間がかかりました。帳場のカウンターが高くて、背の小さい私は、見上げるようにして「うどん玉六つ」などと、頼んだのを覚えています。

 帳場を回りこむと、高い天井のテーブル席がありました。木の板とすりガラスの窓に囲まれた、重厚な空間で、たしか、透かし金具の入ったぼんぼり型の照明が下がっていたと思います。

 

 小学生の頃、近くの長屋に住む友達の家へ、よく遊びに行きました。その家の親父さんはブリキ職人で、三時を過ぎると、仕事から帰ってきます。すると、すぐに銭湯に行き、戻ると酒を飲み始めます。

 なんでも、職人っていうものは、「暗くなるまで働いちゃいけねえ」そうで、そんなに働くのは、仕事がヘタなのだとか。顔は怖そうでも、子供には優しい人でした。そして時々、そのそば屋に連れてってくれたのです。

 親父さんはそば一枚と酒、子供二人に一枚のそばをおごってくれます。その親父さん、徳利からコップに移した酒を、まるで水を飲むように一気に飲んで、嬉しそうにそばを手繰ります。そして、食べ終わると、すっと席を立とうとします。まだ食べ終わらない子どもたちは、慌ててそばを飲み込むのです。

 ある時のこと、そうして、そば屋に連れてきてもらった時、いつもの様に、チュルチュルとそばを手繰っていたら、後ろから頭を叩かれました。

 「江戸っ子が、そんなそばの喰い方をするんじゃねえ。」

 振り向いてみると、私の知らないおじさんでした。もっとも、むこうのほうでは、こっちが誰々のガキだと、知っていたのかもしれません。それだけ言うと、すたすたと向こうへ行ってしまいます。

 「ほらほら、のんびり食っているからだ。」と、友達の親父さんが、笑いながらいいました。

 その親父さんに、そのそば屋に連れて行ってもらったのは、そんなに多い回数ではなかったけれど、子供ながらに、そばの食べ方を教わりました。

 汁には少しだけ付ける、口の中でくちゃくちゃ噛まない、そば湯はかき回さない、長居をしない、そば屋に爪楊枝は置いていない、などなどです。そして、最後には「粋(いき)に食うんだよ。」と言うんです。

 子供には「粋」なんて言葉はわかりません。でも、かっこ良く食べるんだな、ということはわかりました。

 そのそば屋は、平成に入ってから、ビルに建て替えられたそうです。

 

 今は江戸っ子の「粋」とか「張り」とかいう言葉は、ほとんど使われ無くなりましたね。そば屋の価値観も変わりました。

 でも、お客様には、やっぱり、かっこ良く、そばを食べていただきたい。そのためには、「粋」な店にするように、努力しないといけないなあ、と思っています。

 

             

     

 

             かんだた店主  中村和三

 

  

Sさんのために

 毎年、Sさんの奥様から年賀状をいただいています。

 そのハガキによれば、あのSさんが亡くなってから、今年で二十年になるのだそうです。もう、そんなに時間が経ってしまったのかと、驚くばかりです。

 Sさんとは東京にいた若い頃、あるアルバイト先で知り合いました。

 私より二つほどの年上でしたが、穏やかな性格の方でした。Sさんも山登りをされるということでウマが合い、一緒に丹沢や群馬の山に登ったりしました。

 その後、私は長野に移り住みましたが、東京に行った時には、よく会っていました。

 やがて、Sさんはすてきな女性と出会い、小さな店を借り切ってささやかな結婚式。そして、多摩地区の郊外のアパートに住んでおられました。

 しばらくぶりに会うと、少しふっくらとしたご様子。すっかり幸せな結婚生活を送られているみたいです。と思っていたら、結婚式から一年ほどたった頃、入院をして手術をしたと連絡がありました。

 心配をして、入院している大学病院に行くと、顔に包帯を当てているけれど、元気なご様子。鼻の横に膨らみができて、それを取り除く手術をされたといいます。

 つまり、顔にガンが出来ていたのですね。その後、会うと、せっかくふっくらとした体つきが元に戻り、顔が少し変わっていました。
 なあに、前より男前が上がったといわれているよ、とその時は冗談を言っていたSさんです。再発を恐れていたのですが、一年も経たないうちに顔の他の場所でガンが見つかり、今度は放射線による治療を受けました。

 そして、その後、再び切除手術。ガンが出来ると、切除したり放射線を当てるという、今のままの治療を続けていても、まるで、モグラたたきのゲームのようなもの。ガンが現われたら取り除くだけ。そうではなく、ガンそのものが出ないような治療をしなければ。

 そう考えたSさんは、病院を替え、体質の改善に努めることにしました。

 当時は、まだ、種類の少なかった抗がん剤を試したり、ビタミン剤を飲んだりしました。

 特に食事は、無農薬の野菜や魚、そして玄米を食べるようにしたそうです。出来るだけ添加物のない、身体に刺激を与えないような食事を心がけたのですね。

 そういう食材を集めなければならなかった奥様も、大変なご苦労をされたと思います。

 そうやって、ガンと戦っていたSさんでしたが、ついに、出来てはいけないところにガンができてしまったのです。

 発症から七年、四十歳を過ぎたばかりのSさんは、あの世へと旅立ってしまいました。その頃は、私も仕事が忙しくなり、なかなか見舞いにいけなかったことが、心に残ります。

 

 

 

 Sさんと最後に会ったのは、あるターミナル駅の近くの、そこだけは静かな雰囲気の寿司屋でした。寿司ならば、体質改善をしている最中のSさんでも食べられるというのです。

 仕事の合間の昼の時間なので、酒を飲む訳にはいきませんでした。でも、このとき、Sさんはこんなことを言っておられました。

 「ああ、若いうちから、食べ物に気をつけていればよかったな〜。」

 Sさんは、家庭の事情で、高校生の時から弟さんと二人でアパート暮らしをしていました。

 食べるものといえば、ほぼ、毎日、インスタント食品だったのだそうです。ラーメンや、たまにご飯を炊けばレトルトカレーなど、どうしても、手軽なもので食事を済ませていたそうです。

 その時の食生活が、今になって、ガンという姿になって現われたのではないかと、Sさんは思っておられたようです。

 そして、私にも、食事に気をつけるようにと、言われたのでした。

 あれから二十年なのですね。

 今でも、ひょいと、あのSさんが、私の店にやってきそうな気がします。

 そして、その時のために、私は無農薬で野菜を育て、できるだけ添加物のない食べ物を作っています。Sさんに、そして、すべての人に、安心してそばを召し上がっていただくために。

                                   

                           かんだた店主 中村和三

醤油探し再び!

 四年ほど前の瓦版で、かんだたで使っている醤油を紹介させていただきました。

 かんだたで使っている醤油は、長野から車で1時間ほどかかる、上田市のはずれにある、小さな醸造所で作られていました。味噌と、醤油を、昔ながらのやり方で作っている、家族経営の会社です。

 この醤油が、なかなかしっかりとした味で、そば汁にしても、みりんとよく合いダシの風味を引き立ててくれます。だから、時間をかけても、その醸造所まで、醤油を仕入れに行っていました。

 いい醤油屋さんを見つけたと、喜んでいたのです。ところが、世の中思うようにいかないものですね。

 前々から腰の痛みに苦しんでいた醸造所の親父さん、ある時、いきなり、「や~めた!」と言って、醤油づくり、味噌づくりをやめてしまったのです。奥さんも突然でびっくりしたとおっしゃっていました。さて、後継者もいないので、この醤油は、今あるだけで終わってしまいます。

 さあ、新しい醤油を探さなくてはいけません。と言うことで、再び、そば汁に使う醤油探しの始まりです。

 さて使う醤油の条件として次の三つを考えました。

  1. 長野市周辺地域で作られていること。
  2. 化学調味料などの添加物を加えていないもの。
  3. 金槌(かなづち)で頭を叩いたら、金槌が壊れるほどの石頭の人が作っていること。

 3は、金槌は冗談としても、いい醤油を造ろうという信念を持った方の造るものでなければ、安心ができません。

 長野周辺には、味噌づくりをしているところがたくさんあるので、醤油もすぐ見つかると思っていました。ところが、これが、なかなか見つからなかったのです。

 前に醤油を出していた味噌屋さんは、今は醤油づくりはやめてしまったとのこと。

 他の味噌屋さんの醤油は、しっかりと化学調味料、保存料が入っています。別のところでは、店先に醤油が並んでいるのに、本当は他のところに頼んで造ってもらっていると、店の人が小さな声で言っていました。

 あれ、そういえば少し前までは、地元で造った醤油がスーパーなどでも売られていたのに、今ではすっかり見かけなくなってしまいました。店先に並んでいるのは、大手メーカーのものばかりです。

 実は、いくつかの味噌屋さん、醤油屋さんに問い合わせをしているうちに、判ったことがあります。

 それは、最近は醤油が売れなくなったこと、特に、一般の家庭であまり醤油を買わなくなった、ということです。

 食生活の変化というのでしょうか。醤油を使う料理は、家庭ではあまり作られなくなっているのですね。

 そうして、地元の人たちに使われていた、地元の醤油屋さんで造った醤油が売れなくなってしまっているそうなのです。なるほど、だから、醤油づくりをやめてしまった醸造所が多いのですね。

 

 

 

 でも、そば汁に使う醤油を探さなければならない私に、なるほど、などと感心している時間はありません。

 それでも、探してみると、いくつかの醤油が集まりました。

 実際にそば汁を作ってみて、選んだのは、江戸時代から続く老舗の味噌屋さんのものです。

 今までのものと比べると、ずいぶんと上品な感じの汁になりました。その分、汁の濃さで調整しなければなりません。

 今回の醤油探しで、改めて、醤油の大切さ、地元の味を守っていく難しさを感じたものです。

かんだた店主 中村和三  

乗鞍岳は雨降り!

 「あれ、どうして雨降りなのだ!」

 そうです。登山口の、標高二千七百メートルの畳平でバスを降りれば、雨がざあざあと、音を立てて降っているではないですか。

 天気さえよければ観光客であふれているはずの、広いバスターミナルも、今は閑散としています。

 二週間以上、ずっといい天気が続いていたのに、私たちが山に登ろうという日に限って、こんな雨が降っているのです。よっぽど、日頃の行いが悪かったのでしょうねえ。

 忙しかった夏も終わりに近づき、9月に入って、やっと頂いた二日間の夏休み。これを機会に、北アルプスの一番南にある、標高三千メートルを超える乗鞍岳に登ろうと思いました。

 といっても、私たちは、本格的な登山をしている訳ではありません。

 それでも、そんな高い山に登ろうとするのは、乗鞍岳が、日本で一番簡単に登れる三千メートル級の山だからです。何しろ、頂上まで高さにして三百メートルと少しのところまで、バスで行けるのです。

 ゆっくり歩いても、往復三時間もあれば、頂上に立てるという、天気さえよければ、軽装の観光客が、列をなして登る山なのです。それなのに、ざあざあ降りの雨では仕方がありません。

 それでも、途中の山小屋までは平らな道なので、雨合羽に傘をさして行ってみました。多くの方が、途中で引き返してきていましたね。かくして、ほかに誰もいない山小屋の食堂で、静かにコーヒーをすすることになりました。

 長野はご存知の通り、山に囲まれています。

 以前はよく、その中のいくつかの山に登ってみました。

 そんなに高い山ではありません。いわゆる里山と言われる標高千メートルから二千メートルぐらいの山です。

 例えば、長野市からよく見える飯綱山、志賀高原の岩菅山、志賀山、菅平の四阿山、独立峰で標高の割に眺めのいい一夜山、虫倉山、独鈷山などです。

 どれも、登山口から、ゆっくり歩いても二時間か三時間で、山頂を踏める山です。たいてい、登山客も少なく、静かに山の雰囲気を味わえます。様々な木々に囲まれて、森の空気を吸うと、体中が生き生きとしてくるような気がするのです。

 でも、ここのところ、休みの日は畑仕事に追われ、なかなか山に行けませんでした。久しぶりなので、大きな山に登ろうと思ったら、この雨降りです。

 コーヒーも飲み終わって、やっぱり戻ろうかと思っていたら、山小屋の人が言います。薄日が射してきたと。

 見ると、立ち込めていた雲が切れて、乗鞍岳の山頂も見えるではないですか。この機会を逃す手はありません。

 ごつごつした岩の上を一時間ほど歩いて登った山頂には、神社の祠がありました。他に人はおらず、風を避けながら、ゆっくりと、持参した弁当を頂きました。

 雲の切れ目から、穂高や槍ヶ岳が、同じ高さに見えます。南には、御岳山がどっしりとした山容を見せてくれました。

 こうして、時々は山に登り、大きな、ゆったりとした気分を頂いて、皆様に喜んでいただくようなそばを、作っていければと思っています。

かんだた店主 中村和三

注文伝票が読めない。

 「初めての方には、慣れるまで時間がかかるかもしれません。」

 メガネ屋さんはそう言って、時間をかけてメガネを調整してくれました。そうです。私にとっては初めての「遠近両用メガネ」なのです。

 さっそくかけて見ると、なるほど、遠くまでよく見えます。でも、それは真っすぐ前を見ている時だけ。ちょっと横を覗くと、もうぼんやりとしています。

 ええと、近くを見る時は、レンズの下の方を使って、、、つまり、あごを突き出すようにしてみればいいのですね。

 なにか、そういう自分の姿を想像しただけで、年寄り臭く見えそうです。 

 実は、店の冷蔵庫に張られた注文伝票の文字が、読みづらくなっていたのです。

 私はもともと左の眼があまり良く見えません。いわゆる先天性の弱視なのです。だから、いつも、よく見える、もう一方の眼だけで見ているのです。けれども、その右目も乱視が進んで、ぼやけてきたのですね。

 おまけに、十年ぐらい前から、手元がよく見えなくなっています。ほらほら、老眼ですね。

 そこで、本や新聞を読んだりする時のために、老眼鏡を用意していました。なるほど、手元がよく見えます。

 そして、若い頃から、長い時間の車の運転をする時や、映画を見る時にだけ、遠くを見る乱視用のメガネをかけていました。でも、普段は、ほとんどメガネを使わずに過ごしてきたのです。

 店の仕事中も、メガネなしで、困ることはありませんでした。

 それなのに、ほんの、二メートル先に張られた伝票の文字が、この頃読めなくなってきたのです。

 そこで、遠くを見るためのメガネを仕事中にかけることにしました。これなら伝票がはっきり読めます。ところがところが、今度は、手元がよく見えません。包丁で鴨肉を切るときなんぞ、つい慎重になって時間がかかったりします。

 そのような状況では、これはいよいよ、遠近両用のメガネを作らなければいけないかな、と思い始めたのです。

 そんなメガネは年寄り臭いと思ったけれど、私ももう、今年で五十歳代最後の年となります。しっかり老人になりつつあるのですね。

 新しいメガネは、なるほど便利です。伝票の文字も読めるし、包丁の刃も見えます。でも、焦点を合わせるのに、首を縦に動かしたり、横に振ったりしなければなりませんね。

 あと、そばを茹でる時に、釜の湯気に当たってしまうと、あれあれ、曇って何も見えなくなります。

 それでも使っていれば、メガネ屋さんの言ったように、慣れてくるのかもしれませんね。

 去年、腰痛で病院に行った時には、まだ若い医者にこう言われました。もう若くないのだから、二十代や三十代のつもりで身体を使ってはだめですよ、と。ならば、歳をとれば、じっとしていろということでしょうか。

 いや、確かに、歳とともに身体は衰えていきます。でも、その衰えを、素直に受け入れて、様々な方法で補いながら、物事に取り組んでいくことはできるはずです。

 ほら、老眼には、メガネをかければいいように、腰痛にはストレッチと腹筋運動が効くようにね。

 私もまだまだ十年、といわず、ずっとそば打ちを続けていくつもりです。

 それには、自分の身体の衰えも、率直に認めて、それと付き合っていかなければならないのでしょうねえ。

 話は変わりますが、中国では老眼のことを「花眼」と呼ぶのだそうです。輪郭がはっきりしなくなるので、かえって花が美しく見えるのだそうです。同じように女性も美しく見えるとか。

 世の中は、けっして、はっきり、くっきりと見えることだけが、すべてではないではないようです。時にはメガネを外して、周りを見回してみることも、いいことかもしれません。

 

                かんだた店主  中村和三

 

800円のつもりで買ったぐい飲み

 私が二十代の初めの頃の話です。

 用事があって京都へ行きました。

 午後になって時間が空いたので、1人で東山の清水寺へ行ってみました。
 参道は、名物の八つ橋などを売っている土産物店が、賑やかに並んでいます。さて、その人通りの多い参道から一本外れた静かな通りに、工芸品や陶器を扱っている店が、ぽつりぽつりとありました。

 京都と言えば清水焼が有名。華やかな絵付けの焼き物ですね。

 そんな清水焼を扱っている店を見つけましたが、なにしろ、若い私には敷居が高いのです。入り口のガラス窓に飾られている茶器はどれも数万円の値段が、、、
 とても手が出ません。
 少し行ったところで、庶民的な店構えの陶磁器屋さんを発見。店の前の台に、ぐい飲みや湯のみが、無造作に並べられています。

 まあ、手頃な値段なら買ってもいいなあ、と思って、一つのぐい飲みを手にしてみます。ひっくり返すと、後ろに手書きのシールが張ってあります。なになに「1500円」。これぐらいなら買えそうだ、そう思って、その台に並べられているぐい飲みを選び始めました。
 値段はものによって千円から三千円ぐらいのもの。ちょっといいなあ、と思うものには、やっぱり、高い値段が付けられています。

 ふと、形の変わったぐい飲みに目が止まりました。白磁に青い絵付けがされています。持ってみるととても軽い。磁器のため、薄い生地で出来ているのです。小さめだけれど、何となく品が感じられるのです。裏を返すと、貼ってあるシールに800円と書かれている。

 おお、これは安いぞ。

 でも待てよ、安いということは、どこかに欠けやヒビがあるのではないか、とよく見ますが、大丈夫そうです。よしこれを京都のお土産にしよう、値段も安いことだし。そんなケチな打算で、そのぐい飲みを、奥に居た陰気な主人の前に差し出しました。

 主人は慣れた手つきでそのぐい飲みを包み、私に言います。

 「八千円です。」

 私は焦りました。

 心の中で、「ええっ!、800円ではなかったの!」と叫びました。
 でも、机に置かれた、そのぐい飲みからはがされたシールには、確かに8000と記されていたのです。
 安いと言う先入観を持っていた私は、ゼロを一つ見落としていたのでした。

 包んでしまったぐい飲みに、今更、勘違いでしたとは言えませんでした。
 出来るだけ平静を装いながら、まだ、聖徳太子の絵柄だった、なけなしの一万円札を出して、その包みを受け取りました。その帰り道は、後悔の念でいっぱいでした。私にとって、八千円は大きな金額でした。

 それを、こんな間違いで使ってしまうなんて。

 自分の注意が足りなかったことを悔やみました。そして、ひょっとして、もっと金額の少ないぐい飲みの中に、わざと、これを置いて間違えさせた、陶器屋の親父の策略ではないかと、勘ぐったりしたのです。

 

 さて、話は変わります。

ぐい飲み

 やはり、二十代の初めの頃、青森は弘前の津軽塗の直売所で、箸を一膳買いました。「津軽塗は津軽の馬鹿塗りと言ってな、何度も丁寧に塗るので、いつまでたっても剥げたりしない。だから、この箸も、大事に使えば、一生使えるよ。」

 そう直売所のおじさんに勧められて、つい、買ってしまったのです。金額は覚えていませんが、私にとって、かなり大きな額だったことは覚えています。

 一生使えるなんて、大げさだよなと思っていた、この津軽塗の箸は、今でも使っています。箱はどこかになくなってしまったけれど、我が家の箸立てに無造作に刺さっています。

 

 そして、清水のぐい飲みも使っています。

 よく見ると、内側にも彩色されていて、手の込んだものなのですね。よく焼き締められているので、普通に扱えば、割れることもありませんでした。今から考えれば、妥当な値段だったのかも知れません。

 値段や流行や、そのとき限りの必要で買ったものは、すぐに色あせてしまうけれど、本当にいいものは、一生付き合うことが出来るのですね。

 清水のぐい飲みは、些細な勘違いが縁でしたが。私も、お客様に一生付き合っていただけるそば屋を、作っていきたいものです。

かんだた店主 中村和三

気分は一茶(いっさ)、作品は滅茶(めちゃ)

 「ちょうど、お店の定休日の水曜日にやっていますから、いかがですか。」

 四年ほど前に、そうお客様に勧められて、おそるおそる参加したのが俳句の会です。

 それまで私は俳句など作ったこともありません。でも、何となく、興味はあったのです。「俳句は簡単にできますし、楽しいですよ。」というお客様の言葉に、つい、行ってみることにしました。

 

 その俳句の会は、町の公民館の一室で、十人ほどが集まって催されます。皆さん私よりご年配の方々です。

 まず、参加する人が作った俳句を、短冊に一句づつ書いて提出します。

 そして、それをバラバラに混ぜて、配り直します。

 短冊を配られた参加者は、そこに書かれた俳句を清記用紙と呼ばれる紙に書き写します。短冊をそのまま回すと、誰の作った句か筆跡でわかってしまうからですね。

 その清記用紙に書かれた句の中から、自分が気に入ったものを、今度は選句用紙という紙に書き込んで行きます。選び終わった清記用紙を回して、違う人が書いた清記用紙をもらい、その中から、また気に入った句を選びます。

 句を選ぶ時は、しんとしています。書き込むペンの音と紙の擦れる音しか聞こえません。俳句は、言葉の微妙な感覚を読み取ることが大切なのだそうで、皆さん真剣に選んでられるのですね。

 そうして、提出されたすべての俳句に目を通します。そのあと選句用紙に書いた自分のお気に入りの句の中から、さらにいいと思う句を選んで決められた数だけ○を付けます。

 そうして最後に、選句用紙を幹事さんが集め、選ばれた句を読み出して、それを作った人が名乗り出ます。自分の作った俳句が、果たして、どのくらい他の皆さんに選ばれたのか、ドキドキする瞬間ですね。

 

 俳句には季語を入れるという約束事があります。

 季語というのは、その季節を表す言葉で、歳時記にまとめられています。俳句を始めるには、まずその歳時記を買うことから始まりました。

 本を開いてみると、なるほど、季節ごとに時候、天文、地理、動植物などに項目が分かれ、その季節にふさわしい言葉が並んでいます。

 例えば「風光る」といえば春、「風薫る」は夏、「色無き風」は秋、「北風」は冬、「初風」は新年の季語となるのです。

 こういう季語を先ず覚えなければ、ならないのです。これが、なかなかややこしい。

 野菜で言うと、「大根」は冬、「じゃがいも」は秋の季語です。でも、「じゃがいも植う」といえば春の季語となり、「じゃがいもの花」は夏になります。

 中には、よくわからないのがあって「蛙の目借り時」とか、「亀鳴く」などと言う言葉があります。果たして亀は鳴くのでしょうか。

 でも歳時記というのは、昔から使われてきたもので、今では目にしないもの、行わないようなものまで載っています。昔の人は、農作業や細かな生活の作業の中にも、季節感を感じていたのですね。

 そんなことで、私も俳句の会に、毎月参加するようになり、へたくそな俳句を作ることになりました。

 でも、やっぱり、なかなか私の句は選ばれませんね。勧められて、市の俳句大会にも応募しましたが、選考の先生方には全く目に入らなかったみたいです。自分では、けっこう気に入った作品なのに。

 最初は、俳句なんぞ簡単なものさ、と高をくくっていたのですが、やって見ると、実に難しいものです。

 たった十七文字で、他の人の気持を引きつけなければならないのです。自分にだけ判る感情や想いを入れても、他の人には通じません。読む人の誰もが、その情景がぱっと浮かぶような言葉を選ばなくては、共感されないのです。

 あっ、料理も同じかもしれません。作る人の思いだけでは、なかなか通じません。

 食べる方の共感を得てこそ、おいしい料理なのですよね。あと、季節感も感じていただけるように努力しなければと、俳句を始めてから思うようになりました。

かんだた店主 中村和三