「ちょうど、お店の定休日の水曜日にやっていますから、いかがですか。」
四年ほど前に、そうお客様に勧められて、おそるおそる参加したのが俳句の会です。
それまで私は俳句など作ったこともありません。でも、何となく、興味はあったのです。「俳句は簡単にできますし、楽しいですよ。」というお客様の言葉に、つい、行ってみることにしました。
その俳句の会は、町の公民館の一室で、十人ほどが集まって催されます。皆さん私よりご年配の方々です。
まず、参加する人が作った俳句を、短冊に一句づつ書いて提出します。
そして、それをバラバラに混ぜて、配り直します。
短冊を配られた参加者は、そこに書かれた俳句を清記用紙と呼ばれる紙に書き写します。短冊をそのまま回すと、誰の作った句か筆跡でわかってしまうからですね。
その清記用紙に書かれた句の中から、自分が気に入ったものを、今度は選句用紙という紙に書き込んで行きます。選び終わった清記用紙を回して、違う人が書いた清記用紙をもらい、その中から、また気に入った句を選びます。
句を選ぶ時は、しんとしています。書き込むペンの音と紙の擦れる音しか聞こえません。俳句は、言葉の微妙な感覚を読み取ることが大切なのだそうで、皆さん真剣に選んでられるのですね。
そうして、提出されたすべての俳句に目を通します。そのあと選句用紙に書いた自分のお気に入りの句の中から、さらにいいと思う句を選んで決められた数だけ○を付けます。
そうして最後に、選句用紙を幹事さんが集め、選ばれた句を読み出して、それを作った人が名乗り出ます。自分の作った俳句が、果たして、どのくらい他の皆さんに選ばれたのか、ドキドキする瞬間ですね。
俳句には季語を入れるという約束事があります。
季語というのは、その季節を表す言葉で、歳時記にまとめられています。俳句を始めるには、まずその歳時記を買うことから始まりました。
本を開いてみると、なるほど、季節ごとに時候、天文、地理、動植物などに項目が分かれ、その季節にふさわしい言葉が並んでいます。
例えば「風光る」といえば春、「風薫る」は夏、「色無き風」は秋、「北風」は冬、「初風」は新年の季語となるのです。
こういう季語を先ず覚えなければ、ならないのです。これが、なかなかややこしい。
野菜で言うと、「大根」は冬、「じゃがいも」は秋の季語です。でも、「じゃがいも植う」といえば春の季語となり、「じゃがいもの花」は夏になります。
中には、よくわからないのがあって「蛙の目借り時」とか、「亀鳴く」などと言う言葉があります。果たして亀は鳴くのでしょうか。
でも歳時記というのは、昔から使われてきたもので、今では目にしないもの、行わないようなものまで載っています。昔の人は、農作業や細かな生活の作業の中にも、季節感を感じていたのですね。
そんなことで、私も俳句の会に、毎月参加するようになり、へたくそな俳句を作ることになりました。
でも、やっぱり、なかなか私の句は選ばれませんね。勧められて、市の俳句大会にも応募しましたが、選考の先生方には全く目に入らなかったみたいです。自分では、けっこう気に入った作品なのに。
最初は、俳句なんぞ簡単なものさ、と高をくくっていたのですが、やって見ると、実に難しいものです。
たった十七文字で、他の人の気持を引きつけなければならないのです。自分にだけ判る感情や想いを入れても、他の人には通じません。読む人の誰もが、その情景がぱっと浮かぶような言葉を選ばなくては、共感されないのです。
あっ、料理も同じかもしれません。作る人の思いだけでは、なかなか通じません。
食べる方の共感を得てこそ、おいしい料理なのですよね。あと、季節感も感じていただけるように努力しなければと、俳句を始めてから思うようになりました。
かんだた店主 中村和三